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⑭愛しい人
「はぁ…はぁ…はぁ………」
密室となった倉庫内でレオンは荒い息を吐いていた。汗で体操着は体に張り付いてぐっしょりと重くなっている。
「強情だな……、素直に抱かれれば優しくしてあげるのに」
「こっちに少しでも来たら…、本当に殴りますよ……」
閉めきって蒸し暑い状態の倉庫内での攻防は続いていた。
特別生食いとして有名人のジョアンは思った通りのクズで、倉庫内で一人になったレオンを襲おうと近づいてきた。
ジョアンはドアを背にして退路を防いだ状態で立っていた。レオンは転がっていた鉄で出来た棒を振り回して、隙を見て近づいてくるジョアンを防ぎながらなんとか自分の身を守っていた。
こんな武器で殴ったところで大した傷にはならないだろうが、顔に当たればそれなりの傷になるだろう。ジョアンは顔を傷つけたくないのか、レオンの反撃を気にして最後まで近づけないでいた。
「授業が始まっても教室に私がいないことに気づいて、友人が来てくれると思います。いい加減、諦めたらどうですか?」
「ああ、急遽王国からの視察が入って教師達はその対応に追われているよ。残りの授業は休みになったからバタバタしていて、まだ気付かれないはずだ。それより、君……」
ジョアンは薄ら笑いを浮かべながら、レオンの上から下までをじっと眺めてきた。
「すごい汗だ……。まるで、滝のように流れているね」
汗を指摘されてレオンは動揺した。こんなやつに言われたくなかったし、見られたくなった。
「運動着もびしょびしょだ。下着の中はどうなっているんだろうね」
「……変態」
「はははっ、まずはその可愛い口に俺のをブチこんであげようかな」
ジョアンはじりじりと距離を詰めてきた。レオンは焦った。完全に心の弱さを見抜かれている。
町で暮らしながら、地味に生きてきたレオンは父に殴られたことはあるが、他人から暴力を受けたことなどなかった。
アデルが、あいつウゼェから殴ってやったとか、縄張りがどうとかでみんなで殴り合いなったとか、そんな物騒な話を聞くだけで震えていた人間なのだ。
「どうした?手が震えてるぞ。女がそんなもの振り回しても所詮その程度だな」
正確には女の子じゃないので、なんとも言えない気持ちになったが、レオンは諦めずジョアンをにらみつけた。
「ほらその顔……、たまらないな」
「来るな!あっちに行けーー!!」
全く喧嘩慣れしていないレオンは鉄の棒をブンブン振り回したが、めちゃくちゃに振り回したので手汗で滑って手から抜けてドアの方へ飛んで行ってしまった。
ジョアンにかすり傷ひとつ与えず、空しく壁に当たって落ちた音が響いた。
「ひぃぃ!嘘ーーー!!最悪!!」
「はははっ、傑作だな。君、意外とバカだね」
最悪の展開だった。触れられたら男だとバレてしまうだろう。この男がシドヴィスのように黙っていてくれるはずがない。さすがに襲うのはやめると思うが、今度こそ、その場で職員室に連行されるか、教師に密告されるだろう。
ならば自分にできることは一つしかない。レオンはごくりと唾を飲み込んだ。
「ちょっと待って!」
「………?この期に及んで何を?」
「とっと……と、友達になりましょう!」
「はあ?」
追いつめられた状態でレオンがわけの分からない事を言い出したので、ジョアンは目を開いて動きが止まった。
「ジョアン様、あなた、そんな性格だし、やること最低だし、友達いないでしょう!いや、絶対いないはず!せっかく学生やってて友達のいない学園生活ってどうですか?楽しいですか?そんな環境だからこんな卑劣なことを思い付いてしまうんですよ!」
「……………」
追いつめられたネズミはよく喋るがごとく、レオンはとにかく喋り続けてこっちのペースに巻き込むしかなかった。
「もう勝手に友人として言います!私も友人に教えてもらったので、正確なところは分かりません!ですが、ジョアン様が求めるような行為は、恋をして好きな方とするべきです!特別生に適当に手を出して満たされてますか?愛し合えばこそとても気持ちいいものだって…、ジョアン様は恋をするべきです!恋してますか?好きな人のことを考えたり、見たりするだけで、心臓がどきどきして胸が苦しくなる。そういう気持ちが結ばれたときこそ、初めて満たされるんじゃないですか?」
レオンは喋りまくった。こうなったら思ったことを全部ぶつけてやろうとそれしか思いつかなかった。
「………アデル、君……変なやつだな」
あれだけ喋って感想一言というのが悲しかったが、ジョアンは勢いをそがれたのか、体から出ていた毒気が消えたみたいに黒い色が消えた。
その時ドンドンとドアを叩く音がした。ジョアンが鍵をかけたのか上手く開かなかったのか知らないが、ドアはゴンゴン大きな音を立てて歪んで、最後は轟音を立てて外から蹴破られた。
「レ…アデル!!」
「シドヴィス様!」
ひしゃげたドアを唖然とした顔で見ていたが、その後ろから飛び出してきたシドヴィスを見てレオンはもっと驚いた。立派な体躯であるがこんな荒事などとてもしそうにない上品な雰囲気であったからだ。
いつも綺麗に整えられている髪は乱れて、拳には血が滲んでいた。
「シド、どうしてここ…うわぁ!!」
レオンの無事を確認したシドヴィスは飛び込んできた勢いそのままに駆け寄ってきて、レオンに飛び付いて抱きしめてきた。
「良かった……良かった……」
シドヴィスは息をきらして汗だくだった。いつもの貴族然とした余裕のある彼からは想像ができない乱れっぷりにレオンは動揺した。それ以上に、体に張りつめていた力が急速に抜けていくのを感じた。シドヴィスに抱きしめられて、自分が恐怖を感じていたことが分かった。と同時にその温もりに安堵した。この温かさをずっと求めていたのだ。
「シド……、なんで……、お…私なんかのために、怪我までして……」
「なんかとはなんですか……。愛しい人がいなくなったら必死になるのは当たり前です!」
「いっ…愛しいって……!?誰が……誰を……?」
ぎゅうぎゅうと抱きしめてきたシドヴィスの力がぱたりと止まってゆっくり体が離れると、微笑んではいるが目が笑っていないシドヴィスの顔があった。
「私達、お付き合いしていると思っていましたが……」
「え?だって…それは……、シドは私のこと……ちょっとした興味というか……遊びくらいの気持ちなのかと………」
レオンの言葉を笑顔のまま聞いていたシドヴィスは、白目になってそのまま頭を抱えてバタンと床に倒れこんだ。
「えっ…!ちょっ…!大丈夫??」
「赤子の頃以来の涙が出そうです。私を泣かせるのは貴方くらいですよ……」
二人の様子を見ていたジョアンだったが、気まずそうに小さく声を出した。
「あー、特になにもなかったし…、俺は帰っていいですかね……」
「いいわけないでしょう!……アデル、後でじっくり話しますから。先にジョアン!何もなかったじゃすまされないですよ!よくもアデルに怖い思いをさせてくれましたね。だいたい誰の指図か分かりますが、ここでアデルを襲うように仕向けたのは誰ですか?」
「………イゴール様ですよ」
「………やけに素直ですね。まぁ聞き出す手間が省けましたけど」
その名前は何度か聞いたことがあるので、レオンでもなぜこんなことが起きたのか想像できた。
「確か、シドのことを好きだという同級生の方ですよね……。同じ代表生になった私のことが邪魔で……」
「ええ、それしか考えられないですね。二年生特別生の女子から、アデルが二年の貴族の女子達から片付けを押し付けられていたと聞きました。アデルのクラスの女子から教室に戻らないという話も聞いて慌ててディオと一緒に探していたんです。途中でジョアンが用具倉庫の方へ歩いていくのを見た者がいてここへ……、全員を動かせる者で真っ先に思い浮かんだのはイゴールのことでしたね」
「イゴール様には父の関係で命令されると動かないといけないんですよ。まぁ…アデルはパーティーのときに見てちょっと遊んでみたいと思っていたから、ちょうどいいと……」
ジョアンは目線を外へ向けたまま、金色の髪をかき上げた。
「ちょうどいいとは……、まったく……どういう頭をしているんですか、人のことですよ……。未遂とはいえジョアン、貴方には学園と協議してそれ相当の処分がでると思いますから」
「ええ、それで構いません」
ジョアンはやけに素直に罪を認めて、シドヴィスの言葉も受け入れた。
力を無くしたような顔をして、外に向かって行くと思ったら、思い出したようにレオンの方に顔を向けた。
「アデル、悪かったね。怖い思いをさせて…、君が言ったあの言葉、よく考えてみるよ」
「あ…は、はい」
なにやら考えるように微笑を浮かべてジョアンは倉庫から出ていった。
「……気になります。なんですか今のは!すごく気になります!じっくり聞かせていただきましょうか。さぁ、貴方の番ですよ、レオン。私も話すことはたくさんありますからね!」
「あー…えぇと。はい」
チラッと見たシドヴィスの目がギラリと光っていたのでレオンは身震いした。
ガッチリと腕を掴まれて身動きすら取れない。
シドヴィスが先ほど言っていた、愛しい人という言葉か頭の中を何度も回っていたのだった。
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