②嵐の予感

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②嵐の予感

 シドヴィスの部屋に入ったレオンは感嘆のため息をついた。さすが貴族、しかも旧三国ひとつであるジェラルダン家のご令息の部屋だ。  部屋は何十人入れるのだろうというくらい広かった。何人も寝られそうな大きな天盖つきのベッドに、金や銀が散りばめられた調度品は目にも眩しいくらいだ。毛足の長いふかふかの絨毯に乗せられてどこに立っているのが正解か分からず、レオンはうろうろと動いては、ぼけっと周りを見渡していた。 「すでにレオンの服も用意してありますが、一度体を洗いましょう。用意させてあるので……」  シドヴィスに勧められて、レオンはお湯をもらうことにした。簡単に体を清めて、もらった服を身に付けると、久々にアデルの格好ではなく、レオンとしての姿に戻った。  質のいいシャツとズボンに、濃い赤色のベストは金糸が編み込んであり、これ一つでレオンの店が丸ごと買えるような気がして気が遠くなった。 「可愛い!!女装も素敵でしたけど、やっぱりレオンの姿はこちらですね。惚れ直しました!もう、夢中すぎて……あぁ、誰にも見せたくない!」  着替えた姿を早速シドヴィスに見せると、えらく喜んでくれてレオンは嬉しかった。しかし、男の姿は好みすぎると、シドヴィスは言い出して、やっかい度がアップしてしまった。レオンが隙を見せるとシャツに手を突っ込んで来たり、ズボンを下ろそうとしてくるので、なかなか油断ができない。 「し…シド!だめだっ…てば!これから……ご両親に会うのに……!あっちょっ…ボタンが……ボタンが!!」 「そうですね、早く済ませてしまいましょう」  またもや、レオンは抱き上げられそうになって、ご両親の前でそんな姿は見せられないとそれだけは頑なに断った。  不満そうなシドヴィスだったが、手を繋ぐことでやっと笑顔に戻り、二人で部屋を出たのだった。  □□ 「初めまして、レオン・アーチホールドです。シドヴィス様とはまだ知り合って短いですが、とても良くしていただいています。私のような平民が恐れ多いのは分かっておりますが、お付き合いさせていただくことを、どうかご両親にお認めいただきたいと思い、ご挨拶に伺いました」  シドヴィスのご両親が待っていてくれた部屋に入ると、喋りだそうとするシドヴィスを止めて、レオンが口を開いた。  シドヴィスを大切に育ててくれた人に、まずは自分から進み出る必要があると考えたのだ。  お父様もお母様も優しそうな人だった。  涙ぐんだお母様の背中を、お父様がそっと撫でながら口を開いた。 「シドから聞いている。貴族ではない平民でしかも男というのは、私個人的には思うところはある。それは二人のこれからが楽な道ではないということが心配である、ということだ。ただ、シドは確かな目を持っているし、決めたことは曲げない。もう子供ではないのだから、責任を持って、強く未来へ進んで欲しい。そして、レオンくん、シドは困難な立場に置かれるかもしれない。側で寄り添って助けてあげて欲しい」 「はい、もちろんです」  その答えを聞いて、表情の固かったお父様が目を細めて笑ってくれた。その顔はシドヴィスによく似ていて、レオンの胸は小さく揺れた。  その後はお母様から色々と質問を受けて、それに答えながら部屋の中は和やかな雰囲気に包まれたのだが、突然バンと音を立てて扉が開いて、二人の男が飛び込んできたことで空気は一変した。 「アイゼン!マーシャル!なんですか、ノックもなしに飛び込んできて……」  お母様が立ち上がって二人に声をかけると、母親のことは無視してつかつかとレオンの前まで歩いてきた。 「へぇ、お前がシドヴィスの恋人かよ、間抜けなツラしてんな。しかも女じゃなくて、男を選ぶなんて、俺には信じられないよ」 「平民らしく貧乏くさい顔だ。うちの家系にこんな卑しい人間が入るなんて、俺達は反対だよ。なぜ貴族から選ばないんだよシド、優秀すぎてついにおかしくなったのか?」  二人とも背の高さはシドヴィスと同じくらいだった。黒髪にグレーの瞳で、顔の作りがほぼ一緒に見えた。どうやら、シドヴィスの兄は双子らしい。 「お二人に言っておくことがあります。貴族としてのプライドを持つことは勝手ですが、レオンのことをバカにするようなことを言ったり、傷つけるようなことは絶対に許しません。兄であっても、私は容赦しませんよ」  シドヴィスのよく通る声は一字一句も迷いがなく、気持ちいいくらい真っ直ぐに二人に向けられて、目を開いて驚いた顔をしたアイゼンとマーシャルはわずかに後ろに下がった。 「……なんだよ。ムキになって………、バカだろう。たかが平民相手に……」 「うちは高貴な血の家系なんだ。それを自覚しろよ、シド」 「二人とも、レオンくんの前だ。これ以上、恥を上塗りしないでくれ。二人とも花街でまた問題を起こしたらしいな…、高貴な血が聞いて呆れる。これ以上は助けられない、自制できないなら外へ出ていきなさい」  苛立たしげにそう言い放って、椅子を荒々しく動かしてお父様は席を立った。  レオンの側を通るときだけ、ゆっくりして行ってくれと優しく言い残して、後は怒りを隠すことなく大きな音を立ててドアを閉めて出て行ってしまった。  お母様も私もこれでと言って、後を付いていくように部屋から出て行った。 「チッ、親父のやつ、キレてやんの」  レオンには、アイゼンだかマーシャルだか分からないが、どちらかがバカにしたように溢した。 「レオン、私達も行きましょう」 「あっ、はい」  シドヴィスは、お兄様達の冷たい視線から庇うようにレオンを引き寄せた。  そのまま背中に手を回して、守るようにしてくれて部屋から出た。  歓迎されないことは分かっていたつもりだったが、なかなか道は厳しそうだとレオンは一瞬だけ振り返った。音を立てて閉まった重厚そうなドアはその先にいる二人との壁を表しているようで、胸が痛むのを感じた。 「本当に申し訳ございません、レオンを傷つけたくはなかった……」 「そんな……シドは庇ってくれたじゃないか。大丈夫だよ、いつか認めてくれる日が来るって……時間はかかるかもしれないけど」  レオンが儚げに微笑むと、それを見たシドヴィスに抱き寄せられて、唇を奪われた。  シドヴィスの口づけは甘くて柔らかく、その温かさにレオンの冷たくなった気持ちは、温められてじんわりと溶けていった。  □□  トントンと部屋のドアを叩く音がした。  ちょっと強めの音に驚いてレオンはベッドから飛び起きた。  シドヴィスは不在中の報告などでお父様の執務室へ行き、レオンは先に部屋に戻って休んでいたのだ。少し遅くなると言っていたのに、ずいぶんと早い戻りに何かあったのかとレオンの心臓は揺れた。  レオン様と名前を呼ばれたので、急いでドアを開けると、実家へ連絡に行ってくれていた、ジェラルダン家の使用人が立っていた。お話ししたいことがと言われて、レオンの緊張は高まった。  嫌な予感が背筋を上り、手に汗が出てきたのが分かった。 「アーチボルト氏からのご伝言です。至急戻って欲しいとの事です。詳しいことは帰ってからとの事でした」 「……分かりました。ありがとうございます」  また父の病気が出たなとレオンは頭痛がして頭を押さえた。レオンの父は定期的に大騒ぎしないと気がすまない人であり、そのほとんどが大したことではないのに、散々周りを振り回して疲弊させるのだ。  しばらく立ち尽くしていたら、報告を聞いたのか、シドヴィスが走ってきた。 「大丈夫ですか?急用があるそうですね。これから、戻られますか?」 「すみません。大したことではないと思いますが、一応心配なので……。ごめんなさい。軽くご挨拶した程度で……」 「私の方は問題ありません。明日は王宮へ向かう予定でしたが、それは私一人でも問題ないので、どうかすぐ向かってください。私も王宮での報告が終わり次第向かいます」  せっかく色々と歓迎の用意をしてくれていたのに、申し訳なかった。荷物もまだ馬車に積んであったので、そのまま支度もすることなく、また馬車の中に戻ってきた。  今日はシドヴィスと一緒にいられると思ったのに、離れなければならないことに寂しさが込み上げてきて、レオンはシドヴィスの瞳を見つめた。 「そんな目で見つめないでください。あなたを離したくなくなります。今日はお父様に譲りますが、次に会うときは必ずレオンを私のものにします。もう離さないですから」 「シド……」 「大丈夫です。すぐに会えます」  ドアを閉める前にレオンはシドヴィスとキスをした。軽く合わせただけで、先ほどの熱いキスに比べたら物足りないくらいのものだったが、少しだけでも触れることができてレオンは嬉しかった。  窓から顔を出すと、馬車が小さくなっても手を振ってくれているシドヴィスの姿が見えた。  大丈夫、早ければ明後日にはまた会えるからと、レオンは自分に言い聞かせた。  しかし、シドヴィスとこの別れが早く終わるものではないことを、レオンはまだ知らなかった。  夕日に赤く染まる道をやがて来る夜の闇に向かって、馬車は静かに進んでいったのだった。  □□□
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