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⑤潜入
人々で賑わう町で一番大きな通りに、宿屋マンテンは建っていた。
行き交う人は皆忙しそうに早足で歩いていて、レオンは人にぶつかって転びそうになった。
「レオンよく周りを見ろ。もたもたするな」
「ごっ……めんなさい」
ディオに軽く怒られながら、たどり着いたのは緑の屋根が特徴的な宿屋だった。
先にディオが入口に入った。その腰に剣が下がっているのが見えて、レオンの緊張はぐっと増した。
「まず、俺が先に入って主人の話を聞くから、レオンは外にいて怪しげな人間の出入りをチェックしろ」
「分かった。もし部屋に通されるなら俺も呼んでくれよ」
レオンの話にディオは片手を上げて分かったと言った。ディオの提案で外から見張っていたが一分一秒が待ちきれず、もう自分も入ろうかとレオンが足を踏み出しそうになったところで、中からディオが顔を出して手招きしてきた。
「どうだった!?マイルスは?」
汗をかきながら慌てて駆け寄ってきたレオンに、ディオはまず落ち着いてくれと言った。
「聞くところによると、どうも昨日の夜騒ぎがあったようだ。マイルスは上客だから二階の部屋を好きに使わせているらしいが、昨日の夜、ガラの悪い連中が押し寄せてきて一悶着あったらしい。主人と家族は恐ろしくて逃げていたそうだ。んで、マイルスだが部屋に閉じこもったまま出てこないと言うんだ」
「マイルスは町の悪い連中と仲がいいんだろう。仲間割れってやつかな……」
「とにかく、揉め事を起こさないなら部屋まで訪ねてもいいと主人には了解を得たから、直接マイルスに話を聞こう。中にアデルがいるかもしれない。衣を被った女性らしき姿の者を家族が見たと言っているらしい…」
はやる気持ちを抑えながら、宿屋マンテンの二階に上がったレオンとディオは、聞いていた部屋の扉をノックした。
返事がなかったのでレオンは声をかけることにした。
「すみません!話があるので開けてくれませんか?……人を探しているんです。アデルを……なにか知りませんか?俺の妹なんです」
アデルの名前が出たら、部屋の中でガタンと椅子が転がったような音がした。しばらく待つと、ギギっと音を立てながら扉が少しだけ開かれた。
中から顔を覗かせた男は、短髪の黒髪でグレーの瞳をしていたが、殴られたのか口の端は切れて頬は腫れていた。
「ア……デル?」
「俺はアデルの兄です。妹は中にいますか?」
レオンの顔を見た男の目は死人でも見たかのように驚きで見開かれたが、兄だと説明したら今度は恐怖なのかガタガタと震えだした。
「すっ……すみません、俺……。アデルのこと、諦めきれなくて……。一人でうろうろしていたアデルを見かけて、話し合いたくてここに連れてきたんです。すぐに……話がまとまったらすぐに帰ってもらうはずでした……」
「あ……アデルは……!?どこですか?」
目線を合わせず、唸りながら頭を抱えてしまったマイルスを押し退けて、レオンとディオは部屋の中へ入ったが、中はベッドや椅子が転がり物が床に散乱していて荒れていた。
他の部屋も見てみたが、アデルの姿はなかった。
「どういうことですか!?ここに連れて来たって……さっき言いましたよね?」
俺の問いにマイルスは項垂れたまま、絞ったような声を出した。
「そうです。ここに来てもらって話していたところに……、やつらが突然押しかけてきて……」
「やつら?」
「俺がいけないんです。賭場で借金を作って調子に乗って踏み倒していて……。仲間に裏切られて、ここにいることをやつらに……、すぐに払えないって言ったら、そしたら借金の代わりにって……。アデルが連れ去られてしまったんです。アーサーの手下の連中に……」
「アーサーだって?……やばいな……それは……」
黙って成り行きを見守ってくれていたディオが、その名前を聞いたら思わず反応したように声を出した。
「俺はいままで……町の悪い連中とつるんで、色々悪さをやってきたけど、あっちはグランド王国だけじゃないです……、周辺国の裏の社会に名を知られている連中ですよ。人身売買で多額の金を儲けているらしい。つまり、アデルは……このままだと、誰かに売られて……」
全身に寒気がはしって立っていられなくなったレオンは、近くにあった棚にもたれ掛かるようにして座りこんだ。
「どうやら、シドが来るのを待った方がいいな。相手がアーサーの組織なら簡単には手が出せない」
冷静なディオの判断も今のレオンには響かなかった。がっと飛び起きたレオンはマイルスの胸ぐらを掴んで壁に押し当てた。
「その組織はどこに……アデルはどこにいるんだ!!」
「っ……あっ……、みっ港の……倉庫街にやつらの拠点がある……。オークションもやっているはずだ……」
それだけ聞いたらレオンはマイルスを離して立ち上がった。その決意のこもった目を見たディオは、マズイと悟ってレオンの腕を掴もうとして手を伸ばしたが、レオンはするりと抜けて部屋から飛び出した。
「おい!このドアホ!のこのこ行って返してくれる連中じゃない!シドが来るのを待って……」
「こうしている間にも、アデルは暴力を振るわれているかもしれない。俺は……大人しく待つなんて無理だ!一人でも行く!」
「っっ!!あーーーーもーーー!!仕方ねーな!もーー俺は止めたからな!シド!」
どこかに向かって叫んだ後、ディオはレオンの後ろについて一緒に走ってきた。
「お前、いつもうじうじしてんのに、なんでこういう時、正義感ありまくりの無鉄砲なんだよ」
「兄として妹を助けるために動いているだけです。俺がやらなければ……。アーサーだかシーザーだか知らないですけど、正面突破が難しければ忍び込んででも助け出します!」
「まぁ、こうなったら仕方がない。港の倉庫街なら俺に考えがある。俺の指示に従うことが条件だが、上手くいけばアデルを助け出せるかもしれない。どうだ?」
「やります!」
レオンが即答したので、ディオはよしっと言って、先に行くレオンを追い抜いた。
「行くぞ!俺についてこい!」
レオンはとにかく藁にもすがる思いだった。頼もしく見えるディオの背中を信じて走る速度を上げたのだった。
□□
「アデル」
その声はやけに耳に響いた。幻を見ているのだろうと思ったけれど、ついに幻聴までしてきたのかともっと絶望的な気持ちになったら、その声はまたアデルと名前を呼んだ。
「……嘘……、嘘でしょう。なんでここに……いるんだよ」
まさかと思いながら、アデルはひどく枯れた声で聞いてみたら、その声は当たり前じゃないかと言った。
「助けに来たんだよ。ごめんね、遅くなっちゃって……」
格子越しに目の前にいるのは、どこからどう見ても自分の兄であった。
同じ顔をしているくせに、いつもドンくさくて、のろのろ、うじうじで全然男らしくない。汗っかきでみんなにいじめられて、その事が原因で人付き合いが苦手でまともに人の顔も見られない暗いやつ。
いつもバカにしていた兄が今、自分の前に立っている。しかも自分を助けに来てくれたらしいとアデルは信じられない思いだった。
「しっ信じられない……、一人できたの!?ここまで?喧嘩なんてしたこともないくせに……、いつも汗かいて困った顔してんのがアニキだろ?バカ……なんで……」
パニックになって格子を掴んでベラベラ喋るアデルの手を、レオンは上から強く握ってきた。
「…………アデル、怖かったでしょう。もう大丈夫だ」
「ううっ……!」
強がっていた。いつだってバカにみたいに強がっていた。ナメられたくなかったし、か弱いなんて言われたら、ぼこぼこにしてやった。
今考えれば、自分はなぜそんなに強く見せようとしていたのだろうとアデルは思った。
自分は貴重とされる女。しかし、それ以外に何もなかった。痛いくらいに分かっていた。だから、アデルは認めてもらいたかったのだ。
ぼろぼろと泣きながらアデルはレオンの手を掴んだ。ずっと昔、こんな風に手を握られながら一緒に布団に入って寝たことを思い出した。
あの頃に帰りたかった。
「大丈夫、やり直せるよ。一緒に帰ろう」
「うううっ……うん、ごめん……アニキ……」
どこからか持ってきたのか、レオンは鍵を取り出してアデルが入れられていた牢の錠を開けた。
「その、鍵……どうやって……?」
「建物内部へは通気用の配管を通ってきたんだ。友人に手伝ってもらったんだよ。友人が港で倉庫を建築したって男を知っていてさ、その人に内部へ入る方法を教えてもらったんだ。で、ちょうど監視室は交代かなんかで無人だったから、その隙に鍵を借りてきたんだ。予め地下牢の場所まで教えてもらっていたから、ここまで来られた」
「嘘でしょう、本当にアニキなの?別人みたい」
「俺も、自分にこんなに大それたことができるなんて信じられないよ」
レオンに手を引かれて、アデルはやっと牢屋から脱出することができた。しかし、この建物から脱出しなければ意味がないのだ。
「大丈夫?アデル!あいつらに変なことされていない?」
「ひどい牢屋に入れられたけど、体は傷つけられてないよ。あいつら、アーサーの組織の末端の手下の連中で、私をオークションに出して、金をアーサーに渡して認められようとしていたみたい。商品だからまだ手は出されなかった」
「良かった……。とにかくここから逃げないと」
地下牢を出てしばらく進んだところで、おい、誰もいないぞという声が聞こえてきた。
どうやら、牢屋から出たことがバレたらしい。たくさんの足音が聞こえてきて、レオンに手を引かれてアデルは急いで走った。
途中の部屋に入った。そこは荷物置き場になっているらしく、物が雑然と置かれていたが、その部屋の上部にむき出しになった配管があって、レオンはそれを指差した。
「ここから入ってきたんだよ。俺一人がぎゅうぎゅうだけど進めるくらいの狭さだよ。一緒に来た友人は結局入れなくて外で待っている」
ようやくレオンの顔がやけに汚れているわけが分かった。とにかく早く脱出しようということになり、まずはアデルが配管の入り口まで上って中に入った。
「入口だけぐっと狭いけど頭が抜ければ、体をねじ込んで後は楽に入れる。その後はとにかく這ってどんどん進んでいくんだ」
「わっ……分かった……、アニキも……早く!」
「……すぐ行く、大丈夫だよ」
配管の中は狭く後ろを確認することはできない。呼吸をするのも辛いくらいで、なんとか必死になって前に進むしかなかった。
微かにバタバタと人が走り回る音がして、やつらが近くまで来ている気がしたが、確認できる状態ではなかった。レオンに声をかけたかったが、大きな声を出して見つかる可能性を考えたら、後ろをついてきてくれているとアデルは信じるしかなかったのだ。
永遠とも思えるほど長い間、狭い配管の中を這っていた。ようやく光が見えて爪で引っ掻くようにして光の中に顔を出した。
眩しくてほとんど何も見えず目を瞑って耐えていたら、誰かの手で肩を掴まれて、すごい力でぐっと引っ張られて配管から抜け出した。
「大丈夫か!?お前が……アデルだな!?俺はレオンの友人でディオだ」
「うっうう……うん……」
目が眩む眩しさの中にぼんやりと人の影が浮かんできてやがて形になった。
金髪に浅黒い肌をした精悍な顔つきの逞しい男性だった。
「あいつ……!マジでやったじゃないか!!レオンは?まだ見えないが……」
「え?後ろから来ているはず………アニキ……すぐ行くからって……」
配管の出口は建物の間の狭い空間だった。
アデルはレオンがすぐ後ろにいるとばかり思っていたが、配管を覗きこんだが静かで真っ暗な闇が広がっていた。
「……まさか、あいつ」
ディオは悔しそうな声を出して、強く握りしめた拳を壁に打ち付けた。
アデルは息をするのも忘れるくらい願いながら、暗闇の中にレオンの姿を探し続けたのだった。
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