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③初日
高くそびえ立つ門はどこまでも空へ続いているようだった。
先端を細く尖らせて他の侵入を阻むとともに、中の人間を閉じ込めておくための槍のようにも見えた。
その門がやっと見えてきたが、まだまだそこまでは遠かった。レオンは汗だくになりながら、ため息をついて、動かない自分の足を見つめていた。
隣をガタガタと音を立てて馬車が通りすぎていく。
貴族のお子様達は当然のように馬車に乗っているが、平民のレオンはもちろん歩きだ。
辻馬車にでも乗っていけと父に言われたが、店の売上金の袋から出されたものを見たら気が引けてしまった。
店は父に任せろと言われているが、ここ二年はほとんどレオンが取り仕切ってやっていた。
少しでも残しておかないと、父が何をするか分からないので結局手をつけることができなかった。
しかし、それを後悔していた。
エロイーズ王立学園は高い山の上に建てられていた。
周囲は断崖絶壁になっていて、学園に行くためにはひたすら山を上るしかなかった。
馬車が通れるように道は整えられていたが、何しろ山の上なのだ。
ここまで来るのに、体力を使い果たしてしまった。
入学式に遅刻など洒落にならない。
辛うじて荷物は先に送っているが、身一つであってもこれ以上先に進むことを体が拒否していた。
朦朧としてくる頭に出掛けにアデルからかけられた言葉がぐるぐると回っていた。
「背は高くて、筋肉質だけど、ムキムキ過ぎないくらいで、髪は黒か金。目鼻立ちは整っていて口は薄くて大きい方がいい。瞳は何でもいいけど、緑か青かな。肌は白い方が好きだけど、褐色でもカッコ良ければいい。バカは好きじゃないから、頭はキレる方で運動神経も良い。性格はデロデロに優しいやつの方が我が儘が言えるからいいね。あっちょっと意地悪なのも捨てがたいなぁ、爵位は知らねーけど高い方が金持ちのそうだからいいな。後、キスが上手いやつはあれも上手いから大事!アソコがデカイかも重要だから、わざとお茶をこぼすかなんかして見ておいて。以上よろしく!」
玄関で捲し立てられるように言い渡された。
それは確かに結婚するのはアデルなのだから、あれこれ好みを伝えたいのは分かるが、全部当てはまるような人間がいるはずがない。万が一いたとしても、眩しすぎてとてもお近づきになれるようなタイプではなかった。
しかも、下の方の希望はどう考えても調べることは不可能なのでなんと言い訳をしたらいいのか、それしか思いつかなかった。
ついに景色までまわり始めたレオンの隣に、ひときわ大きくて豪華な飾りがついた馬車が止まった。
先程から何台も通りすぎていったが、一台も止まってくれなかった。立ち尽くしていたのが目立ったのか初めて止まってくれたのだ。
もし、よかったら御者台にでも乗せてもらいたかったが、その馬車はカーテンが閉じられたままでいっこうに声をかけられなかった。
真横にピタリとつけられているのに、なんの反応もないのでさすがに冷やかしかと気がついて嫌な気分になった。
いつまでも近くにいられるのが嫌なので、震える足に鞭を打って、なんとか一歩ずつ進みだした。
ところがレオンが進むのと同じペースで馬車も並走してくるのだ。
必死に逃げるように進んでも、ピタリとつけてきて離れていかないのだ。頭がおかしいやつが乗っているとレオンは確信した。どうにかして逃げたいのだが、無理をして動いたからか、息はどんどん荒くなり、汗も止まらない。ついには、世界が上下逆に回転してレオンは膝をついて倒れこんでしまった。
そこでやっと馬車が止まり、ドアが開けられて誰か出てくる気配がした。
高みの見物をしていた頭のおかしいやつが登場するらしい。
「失礼、お嬢さん。ずっと見ていましたが、私の助けが必要ですか?」
レオンの逆転した視界ではよく分からないが、男の声が聞こえて、学園の制服らしきものが見えた。
「……できればこの状態になる前に助けが欲しかったですけど…、あの……学園まで、御者台でいいので……乗せてくれませんか?」
「……御者台?……まぁそう言わず。中へ入ってください。あまり広くはありませんけど」
男は近くに来て抱き上げようとしてきたので、それは困ると抵抗した。なんとか肩を貸してもらうのにとどめて、馬車の中に入れてもらい柔らかい座席に座ったら涙が出てくるほど嬉しく感じた。
程なくして馬車は走り出した。ずっとレオンを苦しめていた山道をたんたんと上っていくのは複雑な気分だった。
「ずっと考えていたのです。なぜこんなところを、令嬢が一人で上っているのか……。昔は男の足でも一日かかると言われた山道をわざわざ上るというのは、もしかしたら自分で希望されているのかと思いまして…。見ていたらまた歩き出されたので、ますますそっちかなと思って声をかけられなかったのです」
ずいぶんと変に律儀な男だった。貴族らしく、金を惜しんだという考えには至らなかったようだ。
「……私は特別生なんです。馬車を持っていなくて、辻馬車を頼むにもお金がなかったのです」
ここまで言えば、いくら貴族のお坊ちゃんでも理解できるだろうと思った。住む世界が違うと思われて下ろされてしまったら困るなというのだけ頭にチラついた。
「……変ですね。特別生は学園までの交通費が出るはずですよ。事前に届けられていると思いますけど」
「……………」
届けられたお金を父がそっと懐にしまう絵が想像できてしまった。わざわざ売上金を見せたのも、レオンならそれを見たら断ると知っていたからだ。完全に父にしてやられたのだ。
「……何か事情があるようですね。深く聞くのはやめておきましょう」
どうやら気を使ってくれたらしく、追求はされなかった。そこでやっとぼやけていた男の姿が見えるようになった。
黒髪に白い肌、顔立ちは整っていて、深い海のような青い瞳の男だった。
高い鼻梁に口は大きくきゅと閉じられていて薄い唇は端の方がほんの少し上がっている。
キリリとした眉が男らしく、涼しげな目元には独特の雰囲気があった。
そういえば背も高かったような気がして、今のところアデルの要望に当てはまっていることに驚いた。
「……それにしても………ですね」
「え?」
ボケッと見入ってしまったので、男が何を言ったのか聞こえなかった。
大事なことだったら困るので慌てて意識を戻して集中した。
「すごい汗ですね、と言ったんです」
何を言われているのか、一瞬理解できなかったが、それが頭に入ってきたら余計に意識してしまい、また汗がふき出てきた。
それはレオンの指摘されたくない問題だった。
ずっと恥ずかしくて情けないと思っていたことだ。このおかげで人付き合いが苦手で、ろくに友人すらいなかったのだ。
レオンは人よりも多く汗をかく体質だった。
ひどく匂うわけではないが、運動したり緊張したりすると手だけでなく、体中からぶぁっと出てきてしまう。
問題は汗だけでないのだが、それだけは死んでも知られたくなかった。
「……すみません、こ……こういう体質で……、座席を汚さないように気を付けます」
慌てて鞄の中から厚めのハンカチを取り出して顔に当てた。こんな密室で人に見られるなど、悲しくて消えてしまいたかった。
「……制服のブラウスまでびっしょりですよ。スカートも……、新入生でしょう。この後大丈夫ですか?」
男の言葉にビクリとした。学園に着いたら式に出ないといけないのだ。
このままの状態で出られるはずがない。替えの制服が部屋に届くのは式が終わってからのはずだった。
また、汗をかきながら、悲壮な顔をしているレオンを見て、男はクスリと笑った。
「大丈夫。用意させますから、心配しないでください。未使用の物が保管されているはずですから、これも何かの縁ですので私が手配しましょう」
「あっ…ありがとうございます。なんとお礼をしたらいいか……」
「そうですね。では、お礼にあなたの名前を教えてくれますか?」
「名前…ですか。いいですけど…、アデル・アーチホールドです」
素敵な名前ですねと言って男はレオンの手を取って甲にキスをした。流れるように自然な動きだったので、またボケッと見てしまった。こんな風にされたら、令嬢なら恋に落ちてしまうかもしれない。
「私は、シドヴィス・ジェラルダン。三年生ですので、分からないことはなんでも聞いてください」
そう言ってシドヴィスは甘く目を細めて微笑んだ。男の自分でもクラっとしてしまうくらい、色っぽい微笑みだった。
レオンからすれば年下の男なのだが、どこをどうしたらあんな風な男の色気が出せるのか理解不能であった。
「あの、手を……、離してくれませんか……。汗で……汚れてしまうので……」
シドヴィスは先ほど挨拶のキスをしてきてから、ずっと手を握ったままなので、人に触れられているというとこを意識したらまた汗が出始めてしまった。
「ああ……。私は気にしません」
レオンの心臓はドキリと揺れて、ドクドクと忙しく騒ぎだした。今まで気持ち悪いと言われたことはあるが、気にしないと言ってくれた人はいなかった。
痛いくらいに心臓が鳴っているのを感じて、とにかく冷静になろうと思ったとき、やっと学園に到着しましたと声がかかった。
「残念、もう少し一緒にいたかったです」
そう言ったシドヴィスの顔をレオンはあまり見ることができなかった。背中からゾクゾクとする感覚がわき上がってきて、それを自分の中の危険信号だと捉えたからだ。
シドヴィスはすぐに新しい制服を手配して馬車まで送り届けてくれた。
寮の部屋で着替えてくるので式に間に合うか微妙なところだが、とにかくそうするしかなかった。
「ありがとうございました」
レオンはシドヴィスに頭を下げてからお礼を言った。気にしないでと微笑んで手を軽く振ってシドヴィスは颯爽と歩いていってしまった。
その後ろ姿を見ながら、背の高さと均整のとれた体つきをよく見てしまった。
シドヴィスがアデルの理想のリストを次々とクリアしていくのが不思議だった。
しかし、どんなに良い人そうに見えても、この学園で気を抜くことは禁物だ。
一歩足を踏み入れたらなにが待ち受けているのか分からない。
家のためアデルのため、そして自分のために。レオンは少しでもここから早く去りたいとそればかり考えていた。
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