⑥先輩

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⑥先輩

『とにかくナメられたら負けだから。ムカつくやつがいたらボコボコにしてやって。大人しく言うこと聞くなんて私じゃないからね!ナメられないでよ!』  学園に行く支度をしているレオンに、アデルは繰り返しナメられるなと伝えてきた。アデルにとって重要なことらしい。  暴力なんてだめだからと言ったが、自分が受ける側になる可能性もあったのだ。  三年生の女子達の厳しい視線を受けながら、レオンは小さくなっていた。 「今日はアデル、あなたに忠告しに来たのです。シドヴィス様のこと、平民のあなたはあまりご存知ないと思いますけど、なにか夢を見ているようなら身分違いもいいところですわ」 「はあ……」 「あの方は三年間代表生をつとめて、文武に優れて非常に優秀なお方。次期国王に最も近いと言われておりますのよ。市井の汚れた毛虫が触っていいようなお相手ではないということです」 「どうせ貴族の男性との結婚を夢見て入学してきたのでしょうけど、平民臭くてたまらないわ。早くお帰りになったら?」  小さくなったレオンを取り囲んで、先輩女子達は自分達の場を荒らされたからか、鼻息荒く捲し立てるように言い放ってきた。 「それに……、可哀想だから教えてあげますわ。あの方は女性には興味がないのです。お分かりかしら?」 「え?」  ポカンとするレオンに先輩達は苛立たしげに声の大きさを上げた。 「なんて鈍い子なの……、シドヴィス様の恋愛対象は男性なのよ。すでに恋人もいらっしゃるわ。同級生のイゴール様よ!」 「そっ…そうなんですね。それは……すごいですね」  レオンがアホみたいな顔をしているからか、あなたと喋っているとイライラすると言われて先輩達はキィーキィー言いながらレオンを残して行ってしまった。  どうやら、殴られるようなことはなく助かったらしい。レオンは安堵から足の力が抜けて崩れるように地面に座り込んだ。 「……つまらないなー。どんなキャットファイトが見られるかと思って楽しみにしていたのに…、お前、全然やる気ないんだもん」  天から声が降ってきたのかとレオンが驚いて顔を上げると、大きな木の上で器用に寝そべりながらこちらを見下ろしている男がいた。 「アデルだっけ……、入学早々めんどうなのに目をつけられちゃって大変だね」  そう言って男は、木の上からジャンプして軽々と着地した。  学園の制服を着崩してだらしなく胸元を開けている男は、大きなあくびをした後、レオンのことを上から下まで眺めてきた。 「変わった毛色をしているね。目立つってのは色々と面倒だよね」  レオンのことをそんな風に言ったこの男も十分目立つ部類だ。背は高く肌は浅黒い。金髪に深い森のような緑の目をしている。  精悍な顔つきや、歯を見せて笑う仕草も豪快で男らしい。はだけた胸元からも逞しく、鍛えられた体が見えて、レオンは羨ましいと感じてしまった。 「あっ、俺のこと好きにならないでよ。シドはどうだか知らないけど、俺も恋愛対象は男だから」  そんなことを堂々と言ってしまうのも違和感がない。レオンには絶対できない真似であった。 「はい…分かりました」 「分かりましたってね……、そこはツっこむところじゃないの?まぁ…いいけど、調子狂うなぁ」  男は大袈裟に手を上げて頭をかいた。 「アデルも特別生なら結婚目当てなわけだろう」  特別生がそういう目で見られてしまうのは実際のところそうなので何も反論はできない。  レオンは大人しく頷いた。 「面白そうだから、男を紹介してやろうか?もちろん遊び目当てのやつではなく、ちゃんと相手を探しているやつだ」  渡りに船とはこの事なのかもしれない。レオンは驚きと喜びで目を輝かせた。この男が何者か分からないし、まだ怪しい感じは否めないが、全く何もないところから自分で声をかけていくよりも、ある程度その気のある相手であれば話が早いと思ったのだ。 「どこのだれか分かりませんが……、それは大変助かります。すごく困っていたんです。事情があって急いでいるんです。あまり詳しくはお話できないですけど」  今までぼけっとしていたのに、急に前のめりになって近づいてきたレオンに、男は驚いたようだったが、それは面白いと言って乗り気になってくれたらしい。 「俺はディオ、二年生だけど顔は広いし、男はたくさんいるからな任せておけ。一応好みがあるなら要望は聞くけど」  ディオがどこまで本気なのか分からないが、頼むことにしたレオンはアデルの理想のリストを思い出した。  よく考えたら目の前にいるディオもまた、リストに次々と当てはまる人物である。しかし、シドヴィスと同じく対象という大事な面でアデルは外れている。なかなかやっかいなものだとレオンは思った。 「……とりあえず、貴族の方で結婚を急いでいる方ならどなたでもいいです。欲を言えば、多少口うるさくて気が強くて手が早い女でもいいという人がいればそれで……」  レオンが淡々と説明すると、ディオは目をぱちくりとして不思議そうな顔をした。 「……それ誰?」 「ですからアデ……、いや、わっ私のことです」 「うー…ん、アデルは初対面だし、よく知らないのは確かだけど、…自分のことちゃんと分かってる?全然見た感じと違うけど……」  レオンはやっとディオが違和感のある顔をしている意味が分かった。ついアデルと重ねてしまったが、見た目は一緒でも性格は違うのである。なにかいい言い訳はないかと急いで頭を働かせた。 「今はボケっとして見えるかもしれませんが、仲が深まるとそうなるのです。ぜひ、それでもいいという方でお願いします」  よく考えたら途中で性格が変わったら向こうも違和感を持つだろう。今は本当の自分ではないくらいに思ってくれた方が後々都合がいいと考えた。 「……難しい注文だなぁ……、まぁとりあえず探してみるけど、豹変して手が早い女ね…うーん了解」  ディオに間違って伝わっているような気がしないでもないが、どうにか動き出した事態にまずは心を落ち着かせた。  もちろん自分でも探していかなくてはいけない。ディオとは見つかり次第手紙で連絡をくれると約束してその場で別れた。  とぼとぼと教室までの道を一人で歩いていると、後ろから声をかけられた。  振り返ると、ついさっき先輩令嬢達の話に出てきたやっかいな人が優雅に手を振ってこちらに向かって歩いてきてしまった。 「シドヴィス…様……」 「昨日はダンスを踊ってくれてありがとうございました。急に誘ってしまったから、気を悪くしたんじゃないかと思っていたんですよ」  風が吹いて目にかかる前髪がふわりと持ち上がった。涼しげな目元に海の色をした瞳はよく似合っている。今日もいい男は健在だった。 「いえ…そんな…私のような者と…」  正直、公爵様のお遊びに付き合っている暇はないし、また先輩令嬢にこんな現場を見られたら今度こそ殴られるのではないかと恐ろしくなった。  しかし、なぜだか、レオンはシドヴィスを無視して通りすぎることができない。  その目に捕らわれたように見つめてしまう、これはなんだろうという不思議な感覚だった。 「今日はハンカチは必要ないみたいですね。残念です」  確かに汗はかいていないが、そんな風に言われると意識して出てきてしまいそうだったので、レオンは慌てて目線をそらした。 「……あの、私、急ぐので……」 「アデル、これからはもっと会う機会も多くなると思います。どうぞよろしくお願いします」 「は?」  さっさと逃げようとしたアデルの手を自然に掴んで、シドヴィスはにこやかに握手をしてきた。  しかも、意味ありげな言葉を言われて目をぱちくりとするレオンを見ながら、またふわりと嬉しそうにシドヴィスは微笑んだ。 「ではまた、次はじっくりお話ししましょう」  レオンの方から立ち去るはずが、すっかり空気を変えられてシドヴィスがにこやかに校舎に消えていってしまった。  一人残されたレオンは、唖然としながら立ち尽くしていた。  もともと人との接し方はひどいものだが、どうもシドヴィス相手だと輪をかけて上手く対応できない。  モヤモヤとする胸はきっと不安な気持ちなのだろうとレオンは思うことにした。  なにやら良からぬことが起きそうな思いに駆られて胸に手を当てたのであった。  □□□
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