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時代遅れの「朔太郎」という古風な名前は、県民愛が強い朔太郎の祖父である焼きまんじゅう屋の二代目が、県内出身の詩人「萩原朔太郎」から名付けたという。
今でこそ四代目を継ぐために日々修行の身であるが、幼い頃は「まんじゅう屋の息子」とクラスメイトたちに揶揄されるのが死ぬほど恥ずかしくてひた隠しにしていた時期があった。
結果、反抗期を迎えた中学を卒業する頃、童顔には似合わない金髪とピアス多めのロックなバンドマンとなり、元々は県庁所在地である前橋市にあり今は高崎市へ移転したライブハウスclubFLEEZで四人組のギターボーカルとして活動していた黒歴史がある。
当時の自作曲は、とにかくまんじゅうをディスるだけの何ともカオスな曲だった。
今思えば、祖父や父がまんじゅうで稼いだお金で好き勝手させてもらえていたというのに。
反骨精神旺盛だった十代の朔太郎は親の心、子知らずのまま何もない北関東の田舎から都内へ進学したいと我がままを貫き通し、高校卒業と共に上京した。
当時はロックな自分が本気で恰好良いのだと思っていたのだから、若さとは本当に怖いものだ。
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