導入3

1/1
17人が本棚に入れています
本棚に追加
/8ページ

導入3

 ヴィランにだって休みの日はある。だが、余計な騒ぎになってしまうから、決して正体がバレてはいけないのが条件だった。  俺はキャップを深く被り、とある大学の前で人を待っていた。いつもより気合を入れて、黒のTシャツにスラックス、そして半袖のジャケットを羽織るといったおめかしもしていた。  今日は待ちに待った弟と会う約束の日なのだ。  待ち合わせの10分前には着き、持ってきたお土産の確認。一人暮らしに使えるようなレトルト商品ばかり持ってきてしまった。喜んでくれるといいが……。 「炎也兄さん」 「樹!」  名前を呼ばれて振り返ると、弟の樹が抱きついてきた。それをしっかりと受け止め、久々の兄弟でのハグを堪能する。樹のやつ、また身長が伸びたみたいだ。 「元気だったか?」 「うん、兄さんは?」 「俺はまあまあかな」  互いの息災を確認したあと、どちらからともなく離れる。これが俺たち兄弟のコミュニケーションだった。 「これお土産」 「わ! 自炊が面倒になってきたところだったんだ、使わせてもらうよ」 「だろ? 兄さんはなんでもお見通しだからな」 「さすが兄さん! この辺で美味しいカフェがあるんだ、お礼にご馳走させてくれないかな?」 「ご馳走? バイト始めたのか?」 「うん、びっくりさせようと思って今日まで秘密にしてたの」  照れたように笑う弟に、俺は胸がいっぱいになる。ちょっと前は、やりたいバイトが見つからないと泣きついてきたのに。色々調べながら一晩中話し合ったのはいい思い出だった。 「せっかくだから、お言葉に甘えようかな」 「ぼくの初給料、兄さんのためにとっておいたんだ! いっぱい食べていいからね!」  行こう!と言いながら俺の腕を引っ張る樹。その後ろ姿がとても楽しそうで、俺もつい足取りが軽くなった。  しばらくしてオープンテラスの小さなカフェにたどり着いた。壁を取っ払っているので、風通しがよく、夏独特の蒸し暑さを忘れられるようだ。  清潔感のあるエプロンをつけたオシャレな店員さんが笑顔で迎えてくれる。なんだか場違いな気がして、キャップをさらに深く被った。  落ち着いて話したいから、と樹はテラス席へと向かう。ど真ん中にテラス席を覆うように大きな木が聳え立っており、それが日除けの役割を果たしていた。風がふくたびに枝葉が揺れ、聴覚的にも視覚的にも涼しくしてくれる。  先進的なカフェに、俺は目を白黒させるばかりだった。勝手知ったる風に奥の席に座り、手招きする樹。おっかなびっくり座る俺を見てクスクスと笑った。 「仲良くなった先輩に教えてもらったんだ、ぼくも初めてのときは兄さんと同じ反応して笑われたんだけどね」 「そうなのか? そうは見えないけど」 「ふふ、うまく誤魔化せてるみたいでよかった。あ、オリジナルパンケーキとアイスのキャラメルマキアート1つで。兄さんは?」 「じゃあ、俺も同じので。飲み物はブラックを」 「産地はどうなさいますか?」  ……産地? えっ、産地ってあの産地だよな、どこで生産されたかっていうやつだよな? スーパーで適当に買ったやつしか飲んだことないから、どこで作られたかとか考えたこともない。  冷や汗が滝のように出てくる。助けを求めるようにちらりと弟の顔を横目で確認すると、ニコニコしながら外の景色を眺めていた。こちらのSOSには気付いていないようだ。 「おすすめは、グァテマラ産ですね」 「……じゃ、それで」  店員さんが一礼して去っていく。その背中がキッチンに消えるまで見届けた後、俺は少し身を乗り出して、樹に話しかけた。 「きゃ、きゃらめるまきあーと? ってのも飲むようになったんだな」  案外大きな声が出てしまった。あたりを見回して誰かいないか確認する。幸いにも客は俺と弟だけのようだ。よかった、誰にも聞かれてないみたいだ。  目を丸くした弟が、耐えきれないという風に吹き出してお腹を抱えて笑い出した。 「これも先輩に教えてもらったんだ、美味しいから兄さんにもあげるよ」  弟が目元の涙を拭いながら言った。そんなに笑わなくてもいいのに。  気まずくなって話題を変えるためにメニュー表を開く。そういえば、医者にお土産を買う約束があったんだ。これを自分で選んで注文できれば、兄としてのメンツを保てるだろう。  と思い、選び始めて早数分。キラキラした食べ物や飲み物がいっぱいあって、俺は目を瞬かせていた。こんぱな、とか、れもねーど、とか見たこともないカタカナの羅列がいっぱいある。なにがなんだか全然わからない。どうやらこの作戦は失敗のようだ。俺は大人しく、メニュー表を弟に差し出した。 「その、持ち帰りできるようなのってあるか?」 「誰かへのお土産?」 「ああ、ちょっとな」  弟は慣れた手つきでページをめくっている。その綺麗に手入れされた手が、後ろの方で止まった。 「これとかいいんじゃないかな?」  そこには、焼き菓子まんぷくセットの文字。クッキーやマドレーヌなど数種類の焼き菓子が少しずつ入った詰め合わせのようだ。いくつか俺が知らないものも入っているけど、焼き菓子だから大抵は美味しいはずだろう。  ちょうどいいタイミングでパンケーキを持ってきた店員さんに、追加で注文する。ついでにこれは別会計にしてほしいと伝えた。 「それもぼくが出すのに」  ムッと口をとがらせる弟の頭をつい撫でてしまう。特に意味はないのだが、手が伸びてしまった。さらにフグのように頬を膨らます弟にニヤケが止まらなくなる。ああ、幸せだ。むくれる弟が最高にかわいいと思ってしまうのは、兄馬鹿なのだろう。  なんとか宥めすかして、パンケーキに関心を向けさせた。多分、冷めるぞとか適当に言ったんだと思う。それより弟があまりにも可愛くて、もうそこに釘付けだった。心ここに在らずとはこのことだ。  パンケーキは3層になっていて、上から液状の生クリームと粉砂糖がふんだんにかけられている。バナナやイチゴ、ベリーなどのフルーツも、パンケーキの上だけでなくお皿にも盛り付けられており、見た目も色鮮やかだ。横に添えられたバニラアイスは自家製らしく、ちょっと形が崩れているのがポイントなんだそう。  ここまで樹が写真を撮りながらペラペラと話してくれた。何枚かせがまれて、一緒に写真にうつる。自撮り、というやつらしい。これだと誰かの力を借りずに、パンケーキも樹も俺も全部まとめて撮れるんだそうだ。正直よくわからなかったけれど、目の前ではしゃぐ弟を見て、細かいことはいいか、という気分になった。  一口サイズに切ってフォークで刺し、口に運ぶ。馬鹿舌と言われている俺でも、フルーツとか生クリームとかパンケーキとかそれぞれ色んなベクトルの甘さを感じることができた。 「……うまい」  つい口に出た言葉。なんだか視線を感じて、その方向を見ると、ジッと樹がこちらを見ていた。弟は目が合うと、得意げに笑う。 「でしょ?」  そして俺の2倍くらいあるパンケーキを一口で頬張った。昔からリスのようになんでも詰め込むのが弟の変わらないクセだ。  昔は、それでよく喉を詰まらせていた。だからすぐなんとかできるように、水を持って待機してたんだっけ。危ないからやめろって何回言っても治らなくて、もう俺が合わせるしかないって思ったんだ。  だけどもう危なっかしさは感じない。頬張ったものをゆっくりと何回も咀嚼することで、自分のクセとうまく付き合っているようだ。そんな樹に成長を感じて、嬉しいようなちょっと寂しいような複雑な気分だった。 「ねぇ、兄さん」  懐かしい思い出に水をさすように、急に樹が話しかけてくる。その眼差しは、いつものぽやっとした表情からは考えられないほど、いやに真剣で。俺は背筋を伸ばして続きを促した。 「ぼく、バイト始めたって言ったよね?」 「ああ」 「割とお給料がいいところなんだ」  なんだ? 危ない仕事に関わっているのか? それで変なことに巻き込まれて、恐喝されているのか?   最悪の想像が頭をよぎって、財布の手持ちを確認する。樹は慌てて俺の手を掴み、折れそうなくらいに首を振った。 「ちゃんとした仕事だよ」 「なら、いいんだけど」 「それでさ、その、卒業後も本格的に働かないかって声をかけてもらってるんだ」 「いいじゃないか、おめでとう」  一年生の段階でそうやって声をかけてもらえるのは、きっと樹が優秀だからだろう。立派な弟を持って俺は鼻が高い。  それなのに、何故か弟は浮かない顔をしていた。キャラメルマキアートのグラスに挿したストローをクルクルと回している。 「……兄さん、提案があるんだけど」 「ああ」 「……今の仕事を辞めて、一緒に暮らさない?」  頭を後ろから思い切り殴られたような衝撃だった。まさか、バレたか? 弟には俺がヴィランをしていることは知らないはずだ、ちょっと体を張る危険な仕事とだけ言ってある。それに中学からは寮に入ってもらった上に、たまにしか会っていないから、バレていないはずなんだけど。どこで情報が漏れたんだ……? 「……バイト先から、なにか言われたのか?」 「違うんだ! 兄さん、ずっと僕のために働いてきたでしょ、危険な仕事だけど稼げるからって。おかげでぼくは高校にも大学にも行けたし、感謝してるんだ。だけど、ぼくのためにもう危険な目に合ってほしくないんだよ。だから…その…これは…単なるぼくの、ワガママで……」  だんだん言葉が尻すぼみになり、俯いて黙りこんでしまう。弟からの意図しない申し出に、俺も言葉を失っていた。2人の間に沈黙が流れる。だけど俺の意識は、ドロドロに溶けていくアイスの方に注がれており、溶けたら自家製もクソもないな、なんて呑気に考えていた。 「兄さん、聞いてる?」 「あ、あぁ。でも、辞めるなんてそう簡単には……」 「それと、兄さんが毎月くれるお小遣い、ちょっとずつ貯めてるんだ、結構な額になっててさ。ぼくは、バイトで稼げるから、もういらない。このお金、兄さんに使ってほしいんだ」  俺の断りの言葉を遮るように、カバンから茶封筒を出してそっとテーブルに置く弟。受け取ってみるとずっしりとした重みがあり、かなり中身が入っているようだ。だけど、俺は中身を少しだけ見て、そのまま、弟に封筒を返す。 「これはお前にあげたやつだ。お前が好きに使えばいい、俺は俺で自由に使えるお金があるから」 「兄さんならそう言うと思ったよ」  弟はため息と一緒に、封筒をテーブルの真ん中に置いた。そして、なにかを決意したように俺を見据えて、ニヤリと不敵に笑う。 「だから、ぼくは一緒に暮らそうって提案したんだ。兄さんが受け取らないなら、これはぼくが兄さんと暮らすときの資金にする。それなら、兄さんが仕事を辞めて新しい仕事を探すまでのお金にもなるし、ぼくはバイト代を貯金できる。このお金も使えて一石二鳥だと思うけど。断るようなら、なにがなんでもこのお金受け取ってもらうよ」  なんてやつだ。ここに結論を落とし込むための布石だったのか。弟と暮らすか、お金を受け取るか、2つに1つってわけだ。どちらに転んでも最低ひとつは弟の要求を飲むことになる。弟の成長に舌を巻いた。 「……ちょっと考えさせてくれないか」  俺は、なんとかこの答えを絞り出し、蚊の鳴くような声で樹に言った。  急なことで頭がこんがらがっていた。弟と暮らしたい気持ちはもちろんあった。普通の職業に就ければ、あんな傷だらけになることもない。それに大好きな弟と2人で楽しく暮らすことができる。俺にとってはメリットしかなかった。  だけど退職をしようにも、手続きや引き継ぎなんかが面倒だ。それにヴィランだった俺が、今更普通の生活なんてできるんだろうか。それが原因で弟に迷惑かけることになるかもしれない。  色んなことが、俺に重くのしかかってくる。迷いに迷った今の俺には、逃げることしかできなかった。 「……い!……ぅ…か!?……おい!!!」  森みたいな深い緑が2つ、チカチカと輝いている。あー、すっごく綺麗だな……。星じゃないのに、なんだか星みたい。 「……ゃ!!………ろ!! 炎也!!!」  ぐわんぐわんと揺さぶられる感覚にハッと我に返る。医者が俺の肩を掴んで、揺さぶっていたようだ。その顔が珍しく切羽詰まってて、なんだか笑えてくる。お前ってそんな表情もできたのか。  呆気に取られた俺に、自分が取り乱していたことに気づいたのか、医者は咳払いをしてズレた眼鏡を戻した。そして、俺の顔をペタペタと触り、簡単に診察する。 「……問題はないようですね、あとでカウンセリングに来てください」  俺の返事も聞かずに、長い白衣をはためかせて去っていく。その後ろ姿はしっかりと背筋が伸びていて、いつものできる医者といった風だ。さっきのことはまるでなかったみたいに落ち着いている。  お土産渡しそびれたな。まあ、カウンセリングのときに渡せばいいか。 「アラート! アラート! ヴィランNo.38 キケン! キケン!」 「ごめん、オウちゃん。もう大丈夫だから」  オウちゃんが未だにバタバタと騒がしくはためいている。フロア全体に聞こえるくらいのけたたましい大音量なのに、今の今まで気付かなかった。俺は相当参っているらしい。  とにかくカウンセリングを受けるために、医務室へ足を向けた。  あれからどうやって帰ってきたのかはわからない。ただ、キャラメルマキアートをもらっても、全然味がしなかったのは覚えている。弟が、空気を読んで明るく振る舞ってくれたのに、俺が上の空で返していたことも。ダメな兄だ、一緒に暮らすことに対して手放しで喜べないなんて。  医務室の扉の前で大きなため息をつく。すると、ガラリと目の前の扉が開いた。いつもより眉間のシワが深い医者が不機嫌そうに立っている。 「そんな辛気臭い顔するくらいなら、入ってきたらどうですか?」 「……すいません」  促されるままに、丸椅子に腰掛ける。医者はコーヒードリッパーに入っていたコーヒーをマグカップに注ぎ、それを俺の前に置いた。そしてバインダーを片手に、ドクターチェアに深く腰掛けた。  湯気を立てるマグカップをみていると、なんだか安心するような気がした。それを一口飲み、慣れ親しんだ味にホッと一息つく。俺の肩の力が抜けたのを確認したタイミングで、医者は事務的に話を切り出した。 「それで、なにがあったんですか?」 「実は……」  弟に会いに行ったこと、その弟から一緒に暮らそうと言われたこと、だけど、すぐに返事ができなかったことを、自分の気持ちも交えて当たり障りなく説明する。医者は相槌をうちながら、カルテにメモをとっていた。  全部話し終え、鉛筆を置いた医者は、ふむ。と一言声を漏らす。 「一応、そういった人のために、カムフラージュ用の会社はあります。まずそこを足掛かりにして経験を積んでから、個人で好きなところに転職といった形で社会に戻るケースが多いみたいですよ。ただ……」 「ただ?」  珍しく言い淀む医者に、俺は首を捻る。医者は自分のコーヒーを飲み切る。そしてゆっくりと深呼吸した後、椅子を回転させて俺へと向き直った。 「転職後は戦ったヒーローのおかげで改心したという体で働かなくてはいけません。あなたの場合は、フレイムバスターですね」  その名前を聞いて、憎い赤が頭をよぎる。自然と肩に力が入り、拳を握りしめていた。 「それで表情が変わっているようでは、転職は難しいでしょう。インタビューやコラムを何度も書かされると聞いたことがあります。もちろん、なん10年経ってもです。一生自分を、それにみんなを騙して生きていくことに、あなたは耐えられますか?」 「……それは……」  まだ他のヒーローだったら、耐えられたのかもしれない。いつも自分をぼろ雑巾のように扱い、限界まで痛めつけてくるあいつに、お礼なんて口が裂けても言いたくはなかった。 「でも、俺は……出来ることなら弟と一緒に暮らしたい……自分のために体を張ることなんてないって言ってくれた、弟の気持ちを尊重したいんです」 「では、我慢するのですか?」  思い悩む俺を、医者の切長の目が鋭く射抜く。弟のためになんでもすると誓ったくせに、弟の願いすら叶えられない俺を、責めているようにも見えた。俺は、俯いて頭を抱える。どちらを選ぶかなんて、無理な話だった。 「……俺ってワガママなんですかね」 「どうしたんですか、唐突に」 「弟と暮らしたいのに、あいつのお陰だって考えると、背筋が凍る思いがするんです」  震える体を抱きしめる俺に、優しく医者が手を添える。 「……フレイムバスターがあなたに対して当たりが強いのは知っています。あなたの弟に対する感情も、同期として理解はしているつもりです」  そっと俺の腕を撫でて、眼鏡をはずした。森林のような深い緑色の目が、俺を優しく見つめる。 「……ここから、医者としてではなく、俺個人の提案になるのだが」 「……?」 「今から、フレイムバスターに対する好感度を上げてみてはどうだろうか? ヒーローとしての彼は嫌っていても構わない、大学生の彼ならばまだ話は通じるだろう」  そうすれば、あいつのおかげだと言いやすくなるのでは。それが医者、もとい風斗の主張だった。  大学生のフレイムバスター、この前介抱したあいつの姿がフラッシュバックする。期待を一身に背負って頑張る姿に、愛着が湧いたのも確かだ。たしかにこの方法なら、自分を騙して生きていけるくらいには好きになれるかもしれない。 「そうか、それだ!」  藁をもすがる思いだった。居ても立っても居られない俺はお土産を風斗に押しつけて、医務室を飛び出す。  入り口でうるさく飛び回るオウちゃんをも跳ね除け、俺は転移スイッチを押した。行き先はあいつの大学だ。  こうして俺の、フレイムバスター好感度アップ作戦が始まったのだ。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!