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承その4
六車くんが向かった先は、大学内にあるジムだった。夏のジム特有のむわりとした熱気が漂っている。その中でトレーニングウェアを着た学生たちが、熱心に己の筋肉を鍛えていた。トレーニングマシンもかなりの数があり、その上最新鋭と言わんばかりのラインナップだ。
ここのどこが秘密基地なんだ? 秘密というには少しオープンすぎるんじゃないだろうか。首を傾げる俺に、彼はしたり顔でカードキーを取り出した。
「ついてこいよ」
そう言って六車くんは、トレーニングマシンなんて目もくれずに、ずんずん奥へと進んでいく。そしてジムの一番奥、「関係者以外立ち入り禁止」と札がかかった扉の前で立ち止まった。すぐ横にはカードリーダーがあり、そこに持っていたカードキーをかざす。ピ、と電子音の後にガチャリと開錠された音が聞こえた。
「俺たちの秘密基地へようこそ!」
やや芝居がかったセリフと仕草で、扉を開く。そこには、二十畳くらいの部屋にキッチン、大きなテーブルとソファ、そしてセミダブルのベッド、あとは奥に気になる扉が一つあった。壁にはテレビもかけられていて、人が暮らしていけそうな設備が揃っている。なんなら俺の部屋より広い。
六車くんは呆気に取られて立ち尽くす俺の腕を引っ張って中に連れ込む。そして入って扉を閉めると、勝手に鍵が施錠された。
「な? イカすだろ?」
「あぁ、すごいな……」
大学内にこんな私的スペースを作ってもらえるなんて、やっぱ期待のヒーローさんは投資のされ方も違うんだな。俺なんて7畳1Kのボロアパートで暮らしてるってのに。
「ここでゲームとか持ち寄っていつもやってるんだよ。泉が来るまでババ抜きでもやろうぜ」
テーブルに置いてあったトランプからジョーカーを一枚よけて、カードを切り始める六車くん。その手つきはかなり慣れているようだ。カードを分け、しならせてから手の中でバラバラと一山に。さらにまたカードを二つに分け、今度はお互いの間にグイグイとねじ込んでいく。最後にシャッシャッシャッと俺もよくやる見慣れたシャッフルをして、ドンとテーブルに山を2つ置いた。
「さ、選べよ」
六車くんは机に肘を置いて待っている。どっちを選んでも多分同じだろう。俺は少し悩んで、右側の山を手に取った。自分にしか見えないようにカードを広げて、ペアを捨てていく。彼のシャッフルが上手いのか、10枚くらい手元に残っていた。ちょうどいい量だ。
ザッと見た感じ、ジョーカーは手元にない。向かいの六車くんが渋い顔をしていたので、引いてしまったのだろう。と言っても、2人しかいないから、俺が持ってなければ確実に相手の手にあるのだが。
「先に引いていいぜ」
六車くんが手札を差し出してくる。特に異論もなかったので、差し出されたカードの中から1枚選んで引いた。2人でのババ抜きは、基本ジョーカーを引くか引かないかの2択だ。手札の時点でペアになってないものは、相手が持っている。だから、ジョーカーを引かなければ確実にペアが揃うし、ジョーカーを引けば手札が増えるのだ。
「六車くんは……」
「なんだよケンちゃん、リッくんって呼んでくれたっていいだろ?」
「……リッくんは」
カードを引きながら訂正した俺に、六車くんもといリッくんは満足そうにソファにもたれる。俺はペアになったトランプを場に捨てた。
「なんで八巻くんと親友になったんだ?」
俺の手札を引こうとした彼の手が止まる。リッくんは口を三日月のようにしてにんまりと笑った。
「聞きたい? 聞きたい?」
「……まぁ、気になるかな」
俺の知るあいつは、世間からは人気だが友達ウケがいいとは言えないタイプだ。いやまあこれはフレイムバスターの印象であって、八巻泉は違うのかもしれないけれど。
リッくんはもったいぶるように咳払いを一つして、語り始める。
「俺と泉は中学からの腐れ縁なんだ。って言っても、中学の頃は全く関わりなかったんだけどさ」
ここから、リッくんの思い出話が始まるのだが、途中からそのとき食べたパンが安くて美味かっただの、近所の犬に吠えられただの、かなり脱線につぐ脱線だったので、以下簡単にまとめておく。
①八巻泉は中学入学時からヒーローを目指すと公言していて、毎日特訓をしていた。
②3年次、彼は同じ中学からは誰も志願しないような遠い高校を受験し、難なく合格。
③だが、中学卒業時に、仲の良かった友人の連絡先を全部削除。完全に縁を切ってしまった。
④偶然同じ中学からそこに合格していたリッくんが、その話を人伝に聞き、面白がって接触をするようになる。
「で、なんやかんやあって俺たちは親友になったってわけよ」
「なんやかんや」
「大変だったんだぜ、ここまで仲良くなるの。聞くも涙語るもなみだ…………あ」
「え?」
さっきまでのドヤ顔はどこへ行ったのか、急に気まずそうに視線を逸らすリッくん。俺が体をズラして、目線を合わそうとしても頑なに合わない。
「……なんだよ」
「いや……その……すまん」
「なにが?」
「……お前ってケンカ強い?」
「なんだよ急に」
「いいから答えろって」
「……弱くはない、かな」
一応ヴィランだし。普通の人間よりは鍛えているはずだ。多分、リッくんには勝てると思う。勝てると信じたい。
それを聞いたリッくんは、ホッと胸を撫で下ろし、「よかったーーー!」とソファに足を投げ出して座った。
「ケンカが強いとなにかあるのか?」
「実は俺が泉と親友になれたのは、あいつに勝ったからなんだよね」
勝った? リッくんが? あのフレイムバスターに?
にわかには信じられない現実に、言われた言葉だけが意味を持たずにぐるぐると頭の中でまわっている。
「勝ったって言っても、あいつは手抜いてたし、俺も護身術程度だし、それもあいつに頼み込んで教えてもらってやっと身に着けたって感じだけどさ」
天井を見上げて自嘲的に話すリッくん。ここに、手も足も出せずボッコボコにやられてるヴィランがいるんですよね、とも言えず、俺は適当な相槌で誤魔化した。
「だから、あいつと友達になるためには、無理難題引っかけられそうだけど、でも、ケンちゃんなら大丈夫でしょ」
「いや、正直自信ない」
「大丈夫大丈夫、なんかそんな気がするし」
親指を爽やかに立てられても困るんだが。そもそも、俺はフレイムバスターなんかと友達になる気はなくて、リッくんから情報を聞き出せたらいいななんて思っているだけであって……。
と俺が心の中で御託を並べていると、背後から電子音が聞こえた。嫌な予感に背筋が凍り付く。
「おかえり~」
「相変わらず早いな、陸」
聞き覚えのある少し低めの爽やかな声、聞くだけで全身の毛がぶわりと逆立つような嫌な声、この声の持ち主は一人しかいない。ぎぎぎぎぎ、と油を差してない機械のように振り返る。
「……誰だ?」
訝し気に尋ねるそいつは、見間違うはずもない、フレイムバスターだ。服はいつもの炎のような赤いスーツではなく、白を基調としたシックな服を着こなしてはいる。だけど、にじみ出る圧倒的なオーラや、その存在感はヒーローそのものだった。
地面に縫い付けられたように体が動かない俺に、リッくんは親しさをアピールするかのように肩に手を回す。
「今日仲良くなったんだ、円健也くん」
「ここに連れてくるなんて珍しいじゃないか」
「泉が嫌がるからだろ」
「そうだ、なのにどうして連れてきた?」
急に眼光が鋭くなる。周りの温度が一気に冷えた気がした。リュックサックをテーブルに置き、いい調子で軽口をたたき合っていたと思ったのに。反射的に、サンドバッグになって大学の校舎裏に転がされた自分の姿が脳裏に浮かび、顔からサァッと血の気が引いていく。
「いや、その、これは……」
咄嗟に口走った言葉が声にならずにポロポロと落ちていった。ああ、死ぬな、俺……。
「いいじゃん、俺は誰かさんとの約束のせいで? 大学生活基本ぼっちなわけよ。秘密を共有した友達のひとりや2人くらい、いたっていいだろ」
負けじと言い返すリッくん。流石親友。この圧の中、平気なのがすごいよな……。図星をつかれたのか、フレイムバスターはその後長らく口を閉ざし、その後「ついてこい」と奥の扉へと消えていった。かける言葉が見つからず、戸惑う俺にリッくんは表情を崩す。
「びっくりしただろ? あれが本来の八巻泉なんだ」
「爽やかって印象とは程遠いよな」
「どっちかってーと陰険って感じ」
「……たしかに」
「……まあ悪いやつじゃないんだ、ちょっと不器用なだけでさ。だから……」
そう言って、リッくんがフレイムバスターが消えた扉の方へ俺の背中をドンと突き飛ばす。その衝撃でよろめいた俺に、心底楽しそうな笑みを浮かべて手を振った。
「泉と友達になってこいよ」
死刑宣告のようなエールをもらい、俺はドアノブに手をかけ、おそるおそる開く。隙間から光が漏れ出てきて、俺はつい手を目の上にかざした。その強い光に細めた目が慣れてくると、そこには壁一面真っ白な部屋。その真ん中にフレイムバスターが立っていて、はめたグローブのズレを直していた。顔が整っているからか、無駄に絵になるのが憎らしい。
「来たか」
フレイムバスターがこちらを見ることもなく呟いた。愛想がないというか、これが熱血系の爽やか青年だと言われてるあのフレイムバスターだなんて信じられない。
「これをつけろ」
目を白黒させる俺に、そう言って投げて寄越したのは、あいつがつけているのと同じグローブだった。ゴツゴツとしていて衝撃を吸収してくれそうないい素材で作ってあるようだ。片方ずつ手にはめて、手首のところをマジックテープで止める。緩まないようにきつく締めた。
「あの、今からなにをするんでしょうか」
「……敬語はいい。ここに出入りするなら、最低限自分の身は自分で守れるようになるべきだ」
そう言って、フレイムバスターはポケットからリモコンを取り出して、なにやら操作する。すると、あいつの隣に、ホログラムみたいな小さなキューブが集まってきた。それらはどんどん重なっていき、人の姿を形作る。キューブの集合体のそれは、表情もなく、ただそこに佇んでいた。
「こいつと戦ってみろ、話はそれからだ」
言うだけ言ってフレイムバスターは部屋の端へと移動した。そして、壁に背中を預け、ジッと見定めるような目つきでこちらを見ている。
とにかく、倒せばいいんだ、よな?動く気配のないキューブを軽くつついてみる。その箇所のカケラがポロポロと落ちて、地面に辿り着く前にすっと消えた。
これならなんとかなりそうだ、動かない相手と戦うのは正直気は引けるが、背に腹は代えられない。少し距離をとって利き足を後ろに引き、拳を構えた。
地面を勢いよく蹴って、相手の懐に飛び込む。そして腹に重いのを一発叩き込んだ。分解されたキューブがガラガラと崩れて、そしてフレイムバスターの拍手が……というのは幻想で、実際の俺の拳はキューブでできた手に阻まれていた。
バックステップで間合いをとる。だが、そいつはさっきのウドの大木のような風体が嘘のように、機敏な動きで追いかけてきた。そして俺の顔面を狙い、拳を大きく振りかぶる。俺はとっさに顔の前で両腕を組み、その威力を受け止めた。
いってぇ……! ずしりと重い衝撃がダイレクトに伝わってきて、手がビリビリとしびれていた。両腕で受け止めてなかったら、多分この部屋の端まで吹き飛ばされていただろう。
そんなことを考えている間も、キューブは攻撃の手を休めることはなかった。ストレート、クロス、ジャブなど手を変え品を変え、ガンガン撃ち込んでくる。払っても払っても、次の一撃が飛んでくるのだ。攻撃する暇もない。正直防ぐので精いっぱいだった。
どうにか隙を見つけて攻めに転じなければ、俺が防御をミスった瞬間にノックアウトさせられるだろう。試しに撃ち込んできたタイミングで、軸足を引っかけてみる。……かってぇ!? なんつー足だよ。
するとフ、と背後から失笑が聞こえた。くっそ、今絶対馬鹿にしただろあいつ……!
それで意識が逸れた俺は、横からくるキューブの拳に気付けなかった。それは俺の横腹にめり込む。
「ぐ……」
俺は脇腹を抑えて蹲った。その瞬間、キューブはボロボロと崩れ落ち、俺の上に降ってくる。反射的に頭を庇うが、痛みはいつまで経ってもこない。おそるおそる見上げるとキューブは消え去っていて、壁際にいたはずのフレイムバスターが俺を見下ろしていた。
あいつは何も話さない。ただ無言でそこに立っているだけだ。それが気まずくて、俺は口を開く。
「……負けた…けど」
「そうだな」
淡々と事実を認めるその表情からは、感情がなにも読めなくて、身体が震える。ああ、今度こそダメだ。なんだか今日は一生分肝を冷やしている気がするな。大学生って毎日こんな恐怖と戦っているのか……。
あいつが動く気配がした。反射的に頭を庇い、その場で丸くなる。だが、俺の予想に反して、フレイムバスターは手を差し出してくきた。
「攻撃はともかく、自分の身を守るセンスは悪くない」
「ど、どうも……」
ゆっくりとその手を掴み、立ち上がる。脇腹に走るピリッとした痛みに思わず顔を顰めるが、我慢できないほどではないだろう。俺はズボンについて埃を軽く払った。
「殴ってくる相手の足を狙うのもいい判断だ。ただ、上手く引っかけられないとこちらがダメージを負うリスクがある」
「……さっきのはお前が笑ったからだろ」
「さあ、なんのことだか」
フレイムバスターはそう言いながら、リモコンを操作する。するとまた、さっきのキューブ人間が目の前に現れた。キューブの集合体は、さっきのように地面を蹴ってこちらに間合いを詰めてくる。とっさに重心を低くし、防御の姿勢をとった俺と違い、フレイムバスターは一歩踏み出し、さらに間合いをつめた。
そこから先は一瞬だった。やつに一撃が飛んでくる。だが、あいつはそれを楽々と避けて背後に回り込み、背中に回し蹴りを一発。のけぞったキューブの顔面を容赦なく掴み、そのまま地面に叩きつけた。
キューブが顔からバラバラと崩れていき、そのまま消滅する。一連の流れを唖然として見ている俺に、フレイムバスターは涼しい顔して「これが護身術だ」と言った。
いや、過剰防衛にもほどがあるだろ、どっちがヴィランだよ……。ってかそもそもそのレベルはお前にしかできないだろ。
諸々のツッコミを飲み込んで、俺は控えめに言った。
「……その、もっと簡単なやつ教えてくれません? 俺でもできそうなやつ」
「……譲歩しよう」
なんでそこで残念そうなんだこいつは。
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