承その5

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承その5

 それから俺は大学生とヴィランの二重生活を送ることになる。それが案外きつかった。朝起きて、出勤。朝礼に参加してヴィランのトレーニング。昼休みのころに大学へ向かう。リッくんとお昼を食べ、時間があればそのままフレイムバスターから指南をうける。そして本部に戻って、武器のメンテナンスや先生との面談など諸々の雑務を済まし、放課後にはヴィランとしてやつの前に立ちふさがらないといけない。あと、カツラの前髪が邪魔、死ぬほど邪魔!! 全部切り落としてやろうかと何回思ったことか。  その上、やつのトレーニングはかなり過酷だった。だけど驚いたことに、あいつは褒めながら教えてくれるのだ。もちろん、できないからといって蹴られたりとかそういったことは全くない。俺もだんだんビクビクする回数が減り、自然とあの秘密基地に足を運ぶようになった。なんだか拍子抜けだ。  でも、元から素質がいい人間は、教えるのが死ぬほど下手だというのは本当らしい。「シュッと避けろ」とか「気合いだ」とかとにかく抽象的なのだ。そのくせ実践主義で、組手形式でどんどん試合をさせてくる。しかもキューブじゃなく、フレイムバスターと直接っていうんだから驚きだ。これ、普段の対フレイムバスター戦と変わらないんじゃないか? 組手でボコボコにやられた後、床に大の字に寝転がりながらそう思ったのは、記憶に新しい。  学食の机に頬をくっつけて、ぼんやりとフレイムバスターの方を見る。今日もたくさんの人に囲まれているせいで、相変わらずその姿は見えなかった。あいつも、ヒーローと学生を両立させてるんだもんな。授業を受けていない俺とは違って、もっと忙しいはずだ。楽しそうな笑い声があいつの方から聞こえてくる。……疲れねぇのかな、あいつ。 「よ、ケンちゃん」 「……リッくん」 「泉にみっちりしごかれてるらしいじゃん」  お盆を持ったリッくんが椅子を引いて俺の横に座る。今日も親子丼とラーメンがそこに載っていた。 「リッくんもあんなだったのか……?」 「いんや、俺のときはもっと楽だったね」  一縷の望みをバッサリと切り捨てられ、俺は再び机に沈み込む。リッくんは麺、チャーシュー、メンマを一気に口の中に放り込み、ポンポンと俺の頭を叩いた。 「ま、なんかよくわからないけど、友達になれたみたいでよかったよかった」 「友達…なのか?」  俺の疑問に答えることなく、リッくんはズルズルと物凄い勢いでラーメンを平らげている。なんだよ、薄情なやつだな。俺は大きく息を吸い込んで、長い長い溜息をついた。スープも全部飲み干し、どんぶりをお盆の上に戻したリッくんが、ふと呟く。 「でも、楽しそうだぜ、泉」 「……そうか? あいつ人前ではあんなもんだろ」 「でも、いつもより口角が2ミリ上がってる」  リッくんは自分の両方の人差し指を口端に添え、キュッと上に上げた。 「2ミリなんてわかるか!!」  俺の渾身のツッコミを聞いてリッくんがにっこりと笑う。そして今度は親子丼をかきこみ始めた。  その笑顔はなんだ……? こいつと知り合いになって何日か経ったが、未だになにを考えているのかよくわからない。だけど、なんだか憎めないいい奴、なんだよな。 「健也くん! おはよ!」 「うぉ!? お前いつの間に!?」  ひょっこりと現れて俺の顔を覗き込んだ弟の樹が、俺の前の席に座った。お盆にはサンドイッチが載っている。そして静かに手を合わせて食べ始めた。  あー、育ちがいいな、さすが俺の弟。でもそれだけで足りるのか? 昨日も同じの食べてただろ。栄養バランスをちゃんと考えて食べないと……  横からリッくん肘をつつかれて我に返った。つい癖でまた弟の食事風景を見守っていたようだ。都合上離れて暮らすことが多かったから、“円健也”としてだがこうして弟と一緒になにかを食べるというのはなんだか感慨深い。  リッくんは訝しむように口を開いた。 「腹減ってんの、ケンちゃん。樹くんのサンドイッチをジッと見て」 「……いや、そんなことはないけど」 「健也くん食べる?」 「ただでさえ少ないんだからお前が食べろよ、力出ないぞ」 「なんか心配の仕方が兄さんみたい」  弟はクスクス笑って、サンドイッチをリスのように頬張った。はい、どーも、お前の兄貴です。というのをグッと堪えて曖昧な笑顔で誤魔化す。  実は弟とも仲良くなってしまっていた。俺があいつに甘いのか、あいつが人の懐にスルッと入ってくるのかはわからないけど、あの人懐こい笑顔で“健也”の名前を呼ばれてしまうと、ひどくつっぱねることができずに、ズルズルと関係を続けていた。 「そういえば、お兄さんから連絡あったのか?」  突然の自分の話題に心臓がドキリと跳ねた。樹はスマホを取り出し、首を横に振る。そういえば、あいつから「この前は無理言っちゃってごめんね。でも本気で考えてほしいな。いい連絡待ってるから」みたいの来てたっけ。全身から血の気が引いていくのを感じた。ヤバい、ここのところ忙しくて全然返信できてなかったんだよな……。目に見えて肩を落としている弟に、俺の良心がズキズキと痛む。その丸くて大きな真珠のような瞳からは、今にも涙があふれてきそうだ。  リッくんも、悪いことを聞いてしまったとでも言いたげな雰囲気でこちらを見てくる。俺にこの空気をどうにかしろって言いたいのか? ただまあ、今、弟が落ち込んでいるのは100%俺のせいだ。俺は努めて明るい笑顔で、樹の肩に手を置いた。 「……まあ、お前の兄貴も、今はその、お前と暮らせるように頑張ってるんじゃないのか?」 「……そうかなぁ」 「俺が兄貴だったら、そうしてる」 「だそうだ。兄貴に似てるケンちゃんがそう言ってるんだから、美味しいもん食いながら待ってりゃいいだろ」 「……そうだね。兄さん、美味しい料理とか全然知らないし。ボクが連れて行ってあげなきゃ。一緒に暮らすんだし」  ぐうの音も出なかった。確かにこの前行ったカフェも初めてだったし。世間の混乱を避けるためにあまり出歩かないようにしているから、世俗に疎くなるのは仕方がないことなのだ。 「それにしても、職業は言えない上に世間に詳しくないって、お前の兄さんどんな仕事してるんだろうな」 「さあね、兄さん、それだけは頑なに教えてくれないから」 「案外、正体を明かせないマスクヒーローだったりしてな」 「あはは、ありえるかも」  す、鋭い……! あなどれない観察眼に、内心では冷や汗が止まらない。一応、疑われないように笑っておいた。“炎也”と“健也”は他人なんだし。……今度ちゃんと弟に返信して、簡単に誤魔化しておこう。
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