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梅の木々に囲まれた道を抜けた後は、見渡す限り永遠に広がっていそうな壮大な竹林にたどり着く。
背の高い竹に埋め尽くされた空間は、寂しさと温かさを同時に纏った夜明け前の薄闇を思わせる青緑色とオレンジのあかりに照らされいて、どこまでも静謐だった。
「綺麗ですね。」
「そうね。でも、なんだか静かで、はしゃぐような空気じゃないわね。」
「ですね。あの、私ちょっと先の方で写真を撮りたいスポットがあるので、ちょっと行っててもいいですか?」
「奇遇ね。私もそうなの。」
前の方から栗村さんと松下さんの会話が聞こえてくる。
日常であれば車の音にかき消されそうなほど小さな声だったけれど、風で葉が揺れる音や自分たちの足音すらも捉えることのできるこの空間では、しっかりと聞き取れた。
「ちょっと、私たちは先に行っていますね。出口で待ち合わせを。」
「…ぼ、ボクも、お化け出そうでちょっとこわいから、先に… 」
「あ、おれも!!ちょっと静かすぎて。」
栗村さんに続いて、雅希と陽斗も足早に去っていく。
「志真は?どうする?」
4人の足音が遠ざかってから、吐息だけで発したような声に鼓膜を揺らされた。
声が響かないように気を遣ってくれたのだろうが、吐息のかかるくすぐったさのせいでつい声を漏らしそうになり、必死で抑える。
落ち着いてから、少しだけ背伸びして今度は俺が彼の耳元に口を寄せた。
「もう少しだけ、ここに。先に行ってて大丈夫です。」
「…じゃあ、僕も。」
「ひぁっ!!」
会話が終わったと判断して気を抜いていたから、もう一度耳元で囁かれるとは思わなくて。
変な声が漏れてしまった口を、慌てて両手で塞ぐ。
「ねえ志真、ここ、僕たち以外に誰もいないんだよ。」
そんな俺の反応を優しい瞳で見つめながら、奏多さんが楽しそうに紡いだ。
「へっ…?」
言われてあたりを見回すと、本当に誰もいない。
じゃあ、小声で話す意味って…
答えを求めて彼を仰ぐ。
彼は悪戯っぽく笑んで、何事もなかったように観賞を始めた。
「…もしかして、からかいましたか?」
返答なし。これは明らかに揶揄われている。
「…先、行ってます。」
顔が赤くなっているのを悟られないように先に行こうとしたら、慌てていたせいか土に足元を取られてしまった。
転びそうになった俺の手をとっさに奏多さんがつかみ、引っ張ってくれる。
そのまま、お決まりのように彼の身体に抱きしめられる構図となった。
「気をつけて。」
すぐ目の前に、吸い込まれそうな黒い瞳が映し出されている。
あまりの顔の近さに、正直な俺の心臓は鼓動を強く刻み始めた。
「あ、の…。」
確実に赤くなっているとバレたはずだ。今すぐ足元の土に穴を掘って入りたい。
「心配だから、ここを抜けるまで手を繋いでいよう。」
「えっ…?」
彼はそう言って俺の身体を放すと、ただ優しく手を繋いでくれた。
冷たい彼の手が、火照った身体に心地良い。
でも、俺は抱きしめられただけでこんなにも動揺しているのに、彼はいたって冷静に見えて、なんだかこんなに慌てている自分が恥ずかしくなってくる。
それから竹林を出るまでの間は、手を繋いだまま言葉を交わさずに静謐を歩いて。
ほんの数分だったけれど、なぜかその間ずっと心臓が激しく動いていて、俺は奏多さんにこの音が聞こえやしないかと、心の中で一人びくびくしていた。
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