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プロローグ: 消えない残滓
「奏多さんっ、そこっ…ぁっ…もう、イくっ…、、、」
__いいよ、志真。イきなさい。
甘く吐息で喘いだ途端、脳裏にある人の顔が浮かび、色を帯びた低音が耳元で囁いた気がした。
刹那、引きずられるようにして身体の中心に集まった熱が生温い白濁となり、腹部へと散乱する。
そのまま脱力し、枕元のティッシュを何枚か雑に取って白濁を拭い取れば、あとは泣きそうな苦しさと虚しさのみに支配された。
ひたひたひた。
窓の外では、雫が水面を打つ音が絶えず響いている。
雨の日がきらいだ。この湿気を含んだ重苦しい空気が。雑音のようにいつまでも鳴り響く水音が。何より嫌でも彼のことを思い出してしまうことが。
ため息をつきながら弛緩し切った身体をベッドに投げ出すと、いつもと同じぼやけた天井が目に入る。
倦怠感に満ちた身体では呼吸をするのもだるい。自慰のあとのなんとも言えないこの感覚にはいつまで経ってもなれなくて、何か天罰を受けている気にすらなる。
そんな中、心の中でつい彼の名を呼んでしまうのは、俺の悪い癖だ。
__…奏多さん。
目を閉じればまだ、瞼の裏に、自分を映し揺れる漆黒の瞳が蘇る。
耳なんてもっと酷い。塞いでいてもそうでなくても、“志真”、と身体の中心まで響くような低い声が、熱っぽい吐息が、まだすぐそこにあるように感じられて止むことがない。
俺に甘い人だった。俺が世界の全てを敵に回したとしても彼だけは絶対に味方でいてくれると、俺がそう確信してしまうほどに深く愛されていたはずだった。
だから、2年前、いつも通りの幸せな蜜夜を過ごした後、唐突に別れを告げられたときには、耳を疑った。
一緒にいるって約束したじゃないか。君だけを愛するよって。ぼろぼろの俺に希望を与えて、俺が呆れるくらいに愛してるを叫んで、君のことしか愛せないんだ、とすら平気な顔で言ってみせたのに、どうしてさよならなんて告げたの。…嘘なんかつけない癖に。
泣きながら胸に顔を埋め縋りつく俺の頬に、彼は温もった手を添えて上を向かせ、泣きそうなくらい優しいglareと共に最後のcommandを放った。
“生きなさい。”
全てをかき消してしまいそうなほど強い雨音の中でも、その声は凛と響いて俺の鼓膜を揺らして。
いっそ死んでしまえば少しは楽になれるかと思うのに、そのcommandを未だに破ることができないから、きっと明日も、俺はこの世界で呼吸を続けるのだろう。
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