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 正直なところ、お婆ちゃんを不動産屋に紹介されたとき、初めは取っつきにくそうな年寄りだなと思っていた。品定めをするようにじろりと見る目が抜け目なく、それが少し怖かったし、愛想が良いともけっして言えなかったので、人見知りの()があるわたしは伏し目がちで言葉も満足に出なかった。  でも、朝の挨拶やゴミ出しのときに短い言葉を交わすうち、少しずつだが、お婆ちゃんにも慣れるようになってきた。  あれは去年の夏の終わり頃だったと思う。妻を亡くした年配の男性がペットの犬を連れて越してきたとき、お婆ちゃんは動物の飼育は禁止だとも何とも言わなかった。それどころか彼が怪我でしばらく入院した時には残された犬の面倒まで見ていた。わたしが犬に散歩をさせているお婆ちゃんに「犬が好きなんですね」と、たまたまお愛想を言ったところ、「好きなことなんかあるかいな、こんな毛糸玉みたいなもん」とうそぶいて、そそくさと行ってしまった。  見た目は少し強面(こわもて)だけど、そんな照れ屋な面が嫌いにはなれなかった。  また半年前、コンビニバイト用に中古の原付を買ったわたしに「なんでバタバタ(オートバイ)なんか買うたんや。こけたら、いっぺんに死んでまうやないの」と文句を言いながらも、ひどく心配してくれたこともあった。  お婆ちゃんの座右の銘は「死んだら終わり。せやけど、生きてたらお金は()るから、儲けに頭を使わなあかん。世の中で本当(ほんま)に怖いんは貧乏だけや」に尽きるらしい。  もちろん使いきれないほどのお金はかえって邪魔なだけで無駄な争いを生むから、ちょっと美味しい物をたまに食べて、毎日気持ちよく寝ては、のんびり出来るだけ手元にあればいいという考え方だ。           *  亡くなった田舎の祖母とは性格も体型も、人生哲学すらも違うが、今ではお婆ちゃんに会わない日は、わたしはもの寂しく感じるまでなっていた。
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