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 わたしがこの町に流れ着いたのは、別に犯罪に手を染めて逃げてきたからでも、人生に疲れ切ったからでもない。専門学校に通っているときからアルバイトをしていたアパレル店が倒産して貯金が底をついたからにすぎない。  ちなみに流れ着いたというのも正確ではない。不景気が加速している中でも実家の田舎に戻るのを嫌ったというのもあったからだ。でも独り暮らしをするには、やはりお金がいる。キャバ嬢をやっていた学生時代の友だちに一緒に働かないかと誘われたこともあったが、取り立てて社交的でもないし、スケベ心丸出しのオヤジの相手をしなければならないなんて、そもそも無理な話だ。しかも大金を持つようになった友だちは浪費癖が(たた)って今では莫大な借金を背負いこんで行方不明になっている。お金のために無理をしてでも働こうかなと思わないでもなかったが、そんな話を聞くと意志が強くないわたしには水商売は向いてないと思わざるをえなかった。           *  さて、そうこうするうちに実家からの仕送りがなくなって進退(きわ)まったわたしは、ついに月9万7千円のワンルームマンションを引き払って、大阪市内南東部に位置するこの町に落ち着くことになった。  新たな住まいは文化住宅。俗にいうアパートだ。  間取りはお風呂とトイレ付きの2DKで家賃3万7千円。その上、関西特有の敷金・礼金システムがこの部屋はなし。  とはいうものの無職になったわたしにはこの値段でも手痛い出費だが、2階建てのモルタル貼りの家屋がコの字型に配置され、中庭に当たる場所は優に10台以上の車が停められる共有スペースになっているので、東京に下宿をしている知り合いからすると、けっこう破格のようだ。あくせく探し回ることもなく、ここに落ち着けたのはラッキーだったのかもしれない。           *  ただ、地上からの高さが日本一を誇る巨大商業ビルがあるターミナル駅まで地下鉄と私鉄、それにJR、どれを使っても3駅しか離れておらず、住まいからそれぞれの駅まで徒歩でも15分という好立地なのだが、町そのものは世帯の空洞化が激しくて、空き家が多く点在し、買い物といえばコンビニ程度の小さなスーパーが徒歩500メートル圏内に2軒。昔からの商店街はアーケードだけは残っているものの、すべての店はシャッターが閉じられており、誰も通ることがないトンネルのような有様だ。そんな町だから、若い子育て世代がほとんど寄り付かず、うち捨てられた老人たちの植民地(コロニー)と化している。家賃の異常な安さはそのためだ。           * 「(しい)ちゃん」  朝のコンビニバイトから帰ってきたわたしに、ちょうど玄関から出てきたお婆ちゃんが声をかけてきた。 「あんたに言われた通りにな。あそこも壁を抜いて1つにしたんや。6戸が3戸になってもうたけど、元の広さの倍の間取りやで。これで新しい部屋の出来上がりや」 「へぇ、スゴいやん。もう完成したんや」 「凄いことなんかあるかいな、壁を1枚抜いただけやがな。あんなもん大工に頼んだら2日で終わりや。どや、今から一緒に出来(でけ)た部屋の中を見に行くか?」 「うん。行く行く」  今ではすっかり板についた大阪弁で、わたしはお婆ちゃんに笑顔を向けた。もちろん彼女は本当の祖母ではない。わたしが住んでいる文化住宅の大家さんだ。
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