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翌日。
俺が怪我をさせた3人は、意外にも素直に高野くんへのいじめを認めて謝罪した。それぞれの両親も仕事を休んで学校を訪れ、高野くんに頭を下げた。
俺はどうせ、いじめをする奴の親なんてどうしようもない奴だろうと思っていた。
"うちの子は悪くない"
"いじめられるほうに原因がある"
そんなくだらないことを、当然のように言ってのける奴らだろうと。だけど彼らの親は違った。
「辛い思いをさせて申し訳なかった」
「もう二度とあなたを傷つけさせない」
「私たちにも責任がある。家族できちんと話をします」
自分たちの子どもがしたことと、しっかり向き合おうとしていた。
彼らの親がきちんとしている人で良かったと思う反面、こういう人に育てられた普通の子どもが平気で人を傷つけるんだと、暗澹とした気持ちになった。
何はともあれ、とりあえずはこれで一件落着、となるはずだったのに。それでうちのお母さんが納得するわけがなかった。
「歯の治療はお金がかかります。せめてその子だけでも治療費を払わせてください」
そう先生伝いに申し入れたけど、後日設けられた席で直接断られていた。
「今回のことがなかったら、私たちは自分の息子が学校で誰かを傷つけいるなんて、知ることはなかったかもしれません。息子のしたことは決して許されません。でも…、取り返しのつかないことになる前に、止めてもらえて良かった…っ、そう思っています」
彼の母親は涙ながらにそう話した。
高野くんへのいじめは中学1年のときから続いていた。同じクラスだった彼らが教室の隅で絵を描いていた高野くんに「キモい」と言った。それが始まりだったそうだ。
「何を言っても言い返してこなかったから」
「気が弱そうだったから」
そんな理由で高野くんはいじめの標的となった。
*
*
あの日以来、高野くんへのいじめはパタリとなくなった。
謝罪したからといって関係が改善されるわけではない。急に仲良しこよしなんて無理な話で、お互いに関わらないようにしていて、そしてそれが一番いいことのように思えた。
雪と高野くんの関係に変化があったのは、夏の始まりを感じさせる、ある暑い日だった。
「雪、具合悪くなったらすぐ連絡してね」
気温が高くなると、雪にこう伝えるのが毎日の決まり事になっていた。
衣替えが済んだ後も、雪は長袖のワイシャツを着ている。ただでさえ雪は体が丈夫な方ではないし、暑い日に長袖を着ていたら気分が悪くなってしまうのではないかと心配だった。
雪が長袖を着る理由。
それは腕に残る傷痕を隠すためだ。そのことを学校の奴らはもちろん知らないし、俺だけが知っていればいいことだった。
いつものようにうん、と頷いた雪と別れ、自分の教室へ向かう。すると教室の前の廊下に高野くんの姿があった。
「あ…、あの、おはようございます」
こちらに気づいた高野くんが、ぺこりと小さく頭を下げた。「どうしたの?」と近づくと、高野くんは顔を俯かせ「あの、お礼が言いたくて」と言った。
「あの、本当に、ありがとうございました」
「別に俺は何もしてないけど。…逆に大事にして悪かった」
「いえ、そんなことっ、」
勢いよく顔を上げた高野くん。
やはり小動物のように愛らしく、愛嬌のある顔をしている。
「ほんとに俺は何もしてないから。君を助けたいって言ったのも、君を助けたのも、俺じゃなくて雪だよ。お礼なら、雪に」
*
*
その放課後、雪を迎えに行くと「あの、」と今朝と同じ小さな声が聞こえた。
振り向くとそこには高野くんがいて「あの、笹原くん…」と雪の名前を呼んだ。
どうしたの?と言いたげに首を傾げる雪。
あ、その顔可愛いな、なんて思っていると、意を決したように高野くんが口を開いた。
「あの、笹原くん…。俺のこと、助けてくれてありがとう。ずっと、大丈夫?って、気にかけてくれてありがとう…」
「それなのに、迷惑だからなんて…、酷いこと言ってごめんなさい。本当は、すごくすごく嬉しかった…っ」
そこまで言うと、高野くんははぁ、と大きく息を吐いた。雪に言いたかったことを言い切れたんだろうか。だけどまだ、高野くんはその場を去ろうとしない。不思議に思っていると、高野くんがぎゅっと拳を握り、雪の目を見つめた。
それまでのキョロキョロと落ち着かない視線とは違う。まっすぐに雪の目を見つめている。
「あの、俺と、…友達になってくれる?」
隣にいる雪がハッと息を呑んだ。
大きく目を見開き、こくこくと頷いた雪。
そんな雪を見て「良かったぁ」と高野くんが気の抜けた声でつぶやいた。
雪は背負っていた黒いリュックからノートを取り出すと、そこにペンを走らせた。
“下の名前なんていうの?”
「こうせい、だよ」
ノートに書かれた文字を見て、高野くんが答える。
「棟方志功って知ってる?」
“版画の?”
「うん。その人からとったんだって」
言いながら高野くんは雪からペンを受け取ると、ノートに"功生"と自分の名を書いた。
それを見た雪が嬉しそうに顔を綻ばせる。
“高野くんにぴったりの名前やね”
「あ、あの、もし良ければ、功って、呼んでほしいな…」
紅茶色の瞳がキラキラと輝く。
こうして、雪と高野くんは友達になった。
*
*
すっかり打ち解けた功は、それまでの様子が嘘のように明るくなった。よく喋り、よく笑う。
きっとこれが本当の功の姿で、いじめに遭うまではこんな風に友達と接していたのかもしれない。
そして俺の雪への気持ちにもあっさりと気付かれた。というよりも、俺たちと友達になる前からきっとそうなんじゃないか?と思っていたらしい。
「すっごくお似合いだと思う!俺応援するから」
そう言う功からは気持ち悪いと思っていたり、馬鹿にしている様子は感じられなくて、素直に嬉しいと思えた。
ずっとずっと、雪のことが好きだった。
でも雪の恋人になりたいと強く思い始めたのは、ちょうどこの頃からだったかもしれない。
功は『友達になってくれる?』と雪に言ったけど、俺は友達じゃ嫌だった。功と同じじゃ嫌だった。俺は雪にとってたったひとりの恋人になりたかったんだ。
だけどそう思えば思うほど、雪を見る自分の目がどんどん性的なものになっていくのを感じていた。もちろん今まで雪のことをそういう目で見ていなかった訳じゃない。
俺だって男だし、好きな人と呼吸が止まるほどの深いキスをして、頭のてっぺんから足の先まで好きな人の体に触れたいと思う。
でも雪には決してそんなことできなくて、俺がそんなふうに考えていることさえ知られてはいけなかった。自分の気持ちを隠して、抑えて、雪に気付かれてはいけない。
雪が誰のものにもならず、ただ俺の隣にいてくれればそれでいい。
そう思い続けなければいけなかった。
本当は"そんなことできるわけがない"と、心の奥底で分かっていたのに。
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