第2章 初恋

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それからまた少しして、蒼佑くんと高野くんのお母さんが部屋に入ってきた。 まだ雪も高野くんも泣いているというのに蒼佑くんはなぜかニヤニヤとしながら「お前何したん?」なんて聞いてくるし、高野くんのお母さんは誰に向けてか分からないけど「すみません、すみません」とただひたすらに謝っていた。 カオスだなぁなんてのんきにその光景を眺めていたところで数人の先生が「お待たせしました」とバタバタとやってきた。この状況に一瞬先生たちもぎょっとした顔をしたけど、すぐに気を取り直して俺の担任が話を切り出した。 「お忙しいところお呼び立てして申し訳ありません」 先生の話によるとあの3人は念のため病院に連れて行かれたようだ。自分の足で歩けていたし、そんなに酷い怪我をしているわけではないと思うと。 ただ、と先生が気まずそうに続けた言葉に穏やかさを取り戻していたはずのお母さんがまた目くじらを立ててこちらを睨みつけてきた。 「歯が、ひとり前歯が欠けてしまっていて」 「春、あんた、顔殴ったの?」 あまりの剣幕にせっかく涙の止まりかけていた雪の目がまたじわじわと潤んでいく。 「あー、泣かないで雪、雪に怒ってるんじゃないんだから」 「やだなぁ雪?怖いなぁ?」 泣きそうな雪に気付いて慌て出すお母さんとケラケラと楽しそうに嫌味を言うお父さん。そんなふたりに緊張が少し解けたのか、先生がふぅ、とひとつ息を吐いた。 「情けない話ですが、私たちも全く状況を把握できていなくて…何があったのか話してくれるか?」 先生と視線がぶつかって雪にきゅっと制服の袖を掴まれる。 大丈夫だよって伝えたくてそっとその手をなでた。 でも話せることなんてたかが知れている。言ってしまえば雪に手を出されたからキレてしまっただけで、それ以外のことは何も知らないんだから。だからあったことをそのまま話した。 教室に迎えに行ったらそこに雪がいなかったこと。いなくて探しに行くとあの3人と揉めていたこと。雪が暴力を振るわれていると思ってカッとなってしまったこと。 いじめのことについては黙っていた。 俺から言うことでもない気がしたし、何より親の前でいじめにあっていただなんて、自分だったら絶対に言いたくなかったから。 そうか、と一言だけ呟いた先生は何かを察したように高野くんへと視線を移した。 * * 「腹減ったなぁ。なんか食って帰るか!高野さんも一緒にどうです?」 あのあと先生は雪と高野くんに話を聞くことはなかった。 『今日は疲れているだろうから、明日また話を聞かせてくれるか?』 そう言って今日は帰らせてもらえることになった。きっと先生なりの気遣いだったんだろう。 そして校門を抜けるとすぐに、呑気なお父さんが呑気なことを言い出した。 「何言ってんのよ、こんなときに」 「いいじゃねぇか。なぁ雪?雪は何食べたい?」 こういうときお父さんはすぐに雪を味方につけようとする。お母さんは(もちろんお父さんもだけど)雪のお願いは断れないからだ。 「ハンバーグか?」と聞かれた雪はチラリと高野くんに視線を向けた。それに気付いたお父さんが言う。 「高野くんはハンバーグ好きか?」 「えっ、あ、はい…」 慌てた様子で返事をした高野くんを見て、お父さんが満足げに頷いた。 「じゃあうちで食べましょ!材料ならあるの。ホームパーティーみたいで楽しそうじゃない!ね、雪!」 * * 「はい、じゃあこれコネコネしてねー」 お母さんの急な思いつきで、みんなでうちに帰ってきた。キッチンでハンバーグ作りを手伝っている雪。お父さんは「付け合わせの野菜がない!」と買い物に出かけた。 「この家族は雪のことをまだ赤ちゃんだと思ってる」 所在なさげにリビングのソファーに座っている高野くんと高野くんのお母さんにお茶を出しに行くと「おかしいやろ?」と蒼佑くんが高野くんに笑いかけていた。 高野くんはお母さんとお父さん、そして高校生のお姉さんの4人家族だと言っていた。お父さんとお姉さんは仕事と部活で今日は帰りが遅くなるらしい。 いつもはダイニングテーブルでご飯を食べるけど、今日は人数が多いからリビングの大きめのテーブルをみんなで囲んだ。雪とお母さんが作った焼き立てのハンバーグ。お父さんが作ったサラダとコンソメスープがテーブルに並ぶ。 「いただきます」と手を合わせてなんとも不思議な食事会が始まった。 「雪が作ってくれたハンバーグは美味しいなぁ」とお父さんが雪の頭をなでれば「甘やかしすぎっすよ」と蒼佑くんが苦笑して、するとお母さんが「いいじゃないの、雪可愛いんだもん」と口を挟む。 初対面の人を前にして気まずいとかないのか?と思うほど、うちの両親はいつも通りだ。 「高野くん、ハンバーグどう?口に合えばいいんだけど」 「…っ、おいしいです、」 消え入りそうに小さな声だった。聞こえていないと思ったのか「すごく美味しいです。ほんとに、すみません…」と慌てた様子で高野くんのお母さんが答えた。 「そうですか?よかった」 ふふ、と嬉しそうなお母さんに蒼佑くんが聞く。 「美咲(みさき)さん、なんか嬉しそうっすね」 「嬉しいじゃない!雪のお友達がうちに来てくれるなんて」 “お友達” その言葉に雪がパッと高野くんに顔を向け、ハムッと下唇を噛んではにかんだ笑みを見せた。 高野くんも一瞬は雪と目を合わせたけど、すぐに顔を赤らめて俯いてしまった。 そんなふたりを見ていた高野くんのお母さんの目がじわりと潤んでいたことに、きっと高野くんは気付いていない。 * * みんなが帰った後で「そこに座れ」とお父さんに促される。お父さんが正座をした目の前に、同じように正座で向かい合った。 さっきまであんなに和やかな雰囲気だったのに。まぁ説教されるとは思っていたけど。 「春。どうして殴った?」 「それは…、学校で言った通りです。雪に暴力を振るっているんだと思って、許せなかったから」 「でも雪は怪我なんてしていなかった」 「…だから、それは、俺の誤解でした。雪には手を出していなかったんだと思います」 小さい頃からそうだった。 空手の稽古のときはもちろんだけど、目が据わり、心の奥底を覗き込まれるような顔をされるとつい敬語になってしまう。 「お前が空手を続ける理由はなんだ」 「…それは、雪を守るためです」 理由はそれだけだ。 誰よりも強くなって、雪を守るため。 これから降りかかるかもしれないどんな困難からも、雪を苦しめた過去からも。そのすべてから雪を守るためだ。 膝の上で握った拳にぐっと力を込める。 誰になんと言われようと、どんなに非難されようと、雪のためならこの拳で誰のことでも殴ってやる。 「お前の気持ちは分かる。俺だってもしも雪が、って思ったら、決してそいつらを許せない。…でもな、」 負けたくないのに。お父さんの鋭い眼差しに怯みそうになる。 「暴力は次の暴力を生む。それは幸せなことではないな」 「…はい」 「暴力は間違っていて、悪いことだ。でも、それでも戦わなけりゃいけないときもある」 「使い方を間違えるな。お前が間違えたら、雪が傷つくぞ」
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