最終章 春と雪

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「はぁ、疲れた」 「緊張したもんね」 病院をあとにして、まっすぐ家に帰ってきた。ずっと気を張っていたせいか雪は少しのお疲れの様子だ。くたっとソファーに座る雪の隣に腰掛け、その柔らかい髪を撫でる。 「でも本当によかった。雪の体に何もなくて」 「うん…」 小さく微笑んで、俺の手に擦り寄ってくる雪。カチカチに固まっていた雪の心も体も、少しは解れただろうか。 「雪。お腹すいたでしょ?今日朝から全然食べてないもんね。今なら何か食べれそう?」 食べやすいものがいいかな。うどんか雑炊でも作ろうか。立ち上がりキッチンに向かおうとすると「春…」と、雪の小さな声が俺を引き止めた。 「ん?どうしたの?」 ソファーに座り直し、雪と向き合う。雪は「あの、えっと…」と視線をきょろきょろと彷徨わせて、落ち着かない様子だ。 「雪?大丈夫だから。ゆっくりでいいよ」 優しく、優しく。雪の手を握る。とても不思議だ。雪のことならいくらでも待てる。雪の言葉ならいくらでも待てる。何分でも何時間でも。 「春」 「ん?」 「春と、セックスしたい…」 その言葉とともに、雪の目からぽたっと涙がこぼれた。 「泣かないで、雪」 震える雪の体を抱きしめる。優しく、優しく。雪が壊れてしまわないように。 「ありがとう、雪。でも、無理しなくていいんだよ?」 顔を覗き込みそう聞けば、雪はきゅっと口を結んで首を横に振った。 「無理してない。春と、したい」 * * まさか、今日。 カッコつけて「シャワー浴びておいで」なんて言ったけど、心臓はバクバクと鳴って今にも粉々に壊れてしまいそうだ。 雪が戻る前に寝室に向かいクローゼットを開ける。コンドームとローション。いつか雪と、いつか雪と。ずっとそう思い続けて用意だけしていたけど、まさか、今日。 リビングに戻ると、雪もシャワーを浴び終えて戻ってきたところだった。 濡れた髪。ほてった頬。甘く香るシャンプーの匂い。 「俺も、シャワー浴びてくるね」 「あ、うん」 頭からザーッとシャワーをかぶり、気持ちを落ち着かせる。そして何度も彰人先生の言葉を頭の中でくりかえした。 『知識を得ることは大事だよ。大事な人と自分自身を守るために正しい知識を身につける。それからたくさん会話をして、ひとつひとつ確認をする。相手の望むこと、望まないこと。不安に思うこと、怖いと思うこと。決して無理をさせちゃいけないし、我慢してはいけない』 雪に恋をしてから、いつか雪と、いつか雪と、そう思い続けてきた。男同士のセックスのやり方、それにリスクが伴うこと。ちゃんと分かってる。雪とのセックスばかり考えて、頭がおかしくなりそうになった時期もある。それくらいには知識は頭の中にある。 でも、初めてだ。この歳になって経験がないなんて恥ずかしいのかもしれないけど、初めてセックスをする。 焦らない。暴走しない。ゆっくり、ゆっくり。俺たちふたりのペースで。 * * 「俺の部屋でいい?」 こくんと頷いた雪の手を引いて、俺の部屋へ連れて行く。 ふたりきりの静かな部屋。ベッドの上にぺたんと座る雪は、小さく震えて、大きな目にいっぱい涙を溜めて、可哀想なくらいに緊張している。 「緊張、してるよね?」 「あ、ごめん、なさい」 「俺もね、すっごく緊張してる」 雪の手を取り、自分の左胸に当てる。カッコつけていたかったけど、そんなの無理だ。うるさいくらいの鼓動が雪に伝わっていく。 「春も…ドキドキしてる」 「ドキドキどころじゃないよ。もう口から心臓飛び出そう」 「ふふ、そうなん?」と嬉しそうに雪が笑う。 「雪。好きだよ」 雪の頭に手を添えて、ゆっくりと唇を重ねた。 「好きだよ、雪。ずっとずっと、雪のことが好き」 好き。大好き。愛している。 何度言葉にしても足りない。 全部全部伝えたいのに、どうしたって全ては伝わらない。 伝わらないなら、唇を重ね合わせたまま、ふたりでひとつに蕩けてしまいたい。 「雪。口開けて?」 「ん、ぅ…」 恐る恐る薄く開いた口に舌を侵入させる。その瞬間、肩をビクッとさせる雪。次第に深くなるキスに、雪の息があがっていく。頭に添えた手でふわふわと髪をなでると、だんだんと雪の体から力が抜けていくのが分かった。 甘い痺れに頭がぼーっとしてくる。 口を離すと、雪の唇の端からふたりの唾液がこぼれた。 「雪、服、脱がしてもいい?」 「あ…、春も、脱いで…?」 俯いてそう呟く雪に理性が飛びそうになる。 ゆっくり、ゆっくり。 そう自分に言い聞かせながら、上の服を脱ぎ捨てて、そして顔を赤くして固まっている雪の服に手をかけた。 「…あっ、」 「雪、好きだよ、大好き。愛してる」 女性のように細く滑らかな腰を抱き寄せて、何度も何度も愛してると伝えた。 恥ずかしそうに、長いまつ毛が震えている。 「雪。うしろ向いて?」 「…なんで…?」 雪の瞳に宿る不安の影。 「手当てしてあげる」 「あ、春…っ」 「んっ…、」 小さく華奢な雪の背中。決して消えることのない傷跡にひとつずつ口付けていく。その度に雪の体はピクピクと震えて、雪の口からは甘い吐息がこぼれた。 「雪、雪…」 「んっ、あ、春…っ」 少しの隙間も許さないように、うしろからぎゅうっと雪の体を抱きしめた。 「雪。もっと、もっと、雪に触れたい」 抱きしめたままベッドに雪の体を押し倒す。 優しく、優しく。 何度も心の中でそう唱えて。 * * 優しく、優しく。雪の肌に触れていく。 「あ、…、ん…」 俺の手が、唇が、触れるところ全てに反応する雪が可愛くて。甘く漏れる声に身体中が刺激される。 でも雪は両手で口を押さえていて、なんとか声を出さないようにしているみたい。もっともっと、その声を聞いていたいのに。 「雪、大丈夫だから。声出して?」 雪は口を押さえたまま、いやいやと首を振る。 「あ…っ、」 その両手を取って、優しくベッドに縫いつけた。 「雪。ここには俺と雪しかいないよ?だから大丈夫。俺は全部聞きたいの。痛いも、怖いも。雪の声は全部聞きたい」 「全部、聞かせて?」 「春…」 ゆっくりと雪が頷いて、顔の横に置かれていた両手が俺の首にまわった。 * * 頬を赤く染めて、体を熱らせて、俺を見上げる雪の蕩けた瞳。 「雪」 「春…?」 体を繋げて、肌をぴったりくっつけて。好きな人と体も心もひとつになることが、こんなにも幸せだなんて。泣きたくなるほどに幸せだ。少しも離れたくない。この時間が永遠に続けばいい。 雪の小さな顔を両手でそっと包み込む。 この世界にある幸せを全部かき集めて、その全てを雪にあげてしまいたい。 「…雪、これから先も、きっと色んなことがあると思う。つらいことも、悲しいことも、苦しいことも。でも、どんなことがあっても、俺が雪を守るから。助けるから。そのために、俺はもっともっと強くなるから」 ありあまるほどの雪への想いを、全て伝えたい。 「不安で、怖くて、眠れない夜がきても、俺がいつだってそばにいる」 だからお願い。もう2度と、俺から離れていかないで。どうか誰も、俺たちふたりを引き裂こうとしないで。 「雪」 「春」 何度も何度も互いの名前を呼んだ。 たったひとりの恋人の名前を。 とん、と額が重なって、鼻先が触れ合えば、もう雪しか見えない。 俺と雪。ふたりだけの世界で真っ白なシーツがクシャ、と波を立てる。純白に包まれた雪は眩暈がするほどに綺麗で、この世の何よりも美しくて、心をぎゅっと掴んで離さない。まるでウェディングドレスを身に纏っているみたいだ。 子どもの頃、真っ白なふわふわのセーターを着ている雪を見て「ウェディングドレスみたい」と言ったことがある。蒼佑くんはなんだか怪訝な顔をしていたっけ。 雪はウェディングドレスは着ない。俺の花嫁さんにもならない。そんなことは分かっているけど。 雪の手はだらんと力無くシーツに投げ出されている。左手を取り、その細くしなやかな薬指にそっと口付けた。 「愛してる、雪…」 ーーーーーーー いつも読んでくれている皆さま。 本当にありがとうございます。 今さらながらスター特典というものがあると知り、書きたいけどどうやって書いたらいいのか分からない…とこのページで断念した春と雪の夜のお話をそちらに書いてみました。 (このページと繋がるように書いています) 少し過激な表現や読みにくい部分もあるかと思いますが、もし良ければ読んでいただけると嬉しいです。
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