最終章 春と雪

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それなりに仕事は順調。 大学の授業もちゃんと受けているし(ほとんどオンラインだけど)、試験もギリギリ合格点を取りながら、どうにか4年に進級できそうだ。雪も無事、3年生になる。 そんなある日、俺はひとりで功に会いに来ていた。 「なんでサクと甲斐(かい)くんもいるの」 俺から会いたいと言ったんだけど、功の部屋には呼んだ覚えのないサクと甲斐くんもいる。 「功が怯えてたから。春が来るって言ってるんだけど、サクたちも来て!って。ね、甲斐くん?」 「そう!呼ばれたら来るしかないだろ!」 ジトっと睨めば功が慌てた様子で声を上げた。 「だって春が雪には内緒で会いたいとか言うから!雪となんかあったのかと思ってビビるじゃん!」 まぁ確かに。すとんと腰を下ろせば「それで、どうしたんだよ?」とサクが顔を覗き込んできた。 功。サク。甲斐くん。 3人の顔を順番に見つめた。みんな真剣な表情で、俺と雪に何かあったのかと本気で心配してくれているんだなということが伝わってくる。ふぅ、とひとつ息を吐いて、自分の中だけで考えていたことを初めて口にした。 「俺、雪にプロポーズする」 * * 「プロポーズって、あのプロポーズ?」 シン、と静まり返った部屋に最初に響いたのは、甲斐くんのなんとも言えない気の抜けた声だった。 「ふふ、うん、あのプロポーズ」 「でも、春、プロポーズって、」 次に聞こえたのは戸惑ったようなサクの声。 「大丈夫、分かってる。プロポーズしたって結婚は出来ないけど、でも方法はある」 「…パートナーシップ、だっけ?そういうこと?」 「うん。うちの区なら、その制度あるみたいだから」 ずっとずっと考えていた。男同士だからと諦めていた。雪がいれば“普通”なんていらないと思っていた。だけど雪と初めて体を繋げた日、もっともっとと欲が出てしまった。 俺は雪と家族になりたい。 「何その顔」 「だって、…、びっくりするじゃん…っ」 黙っている功に顔を向けると、小動物のような大きな目をまん丸に開いて固まっていた。 「それで、俺は何をしたらいいの…?」 「え?」 「何かあるんでしょ?雪に内緒で」 ゴシゴシと服で拭ってその目を真っ赤にした功。 「うん。功に、指輪のデザインを描いてほしい」 「…え!?」 功はまた、その目を大きく見開いた。 「それって婚約指輪ってやつ!?」 驚く功を余所にウキウキした様子で甲斐くんが聞いてくる。「うん、婚約指輪」と答えれば「すげぇな、かっけぇな、春!」とバシバシと肩を叩かれた。 「ちょっと待って!婚約指輪のデザイン!?」 「うん」 「うんって!いや、そういうのはさ、ちゃんとプロのジュエリーデザイナーみたいな人にお願いしたほうがいいんじゃない!?」 「まぁ最終的にはね、色々細いところはそういう人にお願いしなきゃいけないんだろうけど。とにかく功に描いて欲しいんだよ」 あんぐりと口を開けた功を見てサクがふは、と笑う。 「なんとなくのイメージっていうか、モチーフは決めてるの?」 「うん、決まってる。…だからさ、頼むよ」 「だってさ、功。描いてやんなよ。功の大好きな春と雪のために」 今にも泣きそうな顔をして、功はぐっと拳を握った。 「…、分かった。描く、描くよ」 「それで、雪にいつプロポーズするの?」 「今日」 「今日!?」 大声を出す功に「いちいちうるさいな」と笑えば、功は頬を膨らませてさらに大きな声を出す。 「だって指輪は!?」 「指輪はまだ先でいいんだ」 「えぇ…?」と声を漏らして何か言いたげな功を遮って、俺は続けた。 「指輪のデザイン描いてくれって言っといてあれなんだけどさ、たぶん、雪は断ると思うから」 「でも、それでいいんだ。雪の気持ちが動くまで、ずっと待つつもり。そのときのために指輪がほしい」 「…断られても、絶対に雪から離れない?」 驚いたり、怒ったり、泣きそうになったり。功はひとりで忙しなく表情を変えていく。それも全部俺と雪…いや、雪のためかな。 「うん、離れない。俺には雪しかいないから」 「…うん。そうだよな、頑張れ、春」 「うん、頑張れ、春」 俺の手にサクの手が重なって、またその手に甲斐くんの手が重なる。 「雪にだって、雪にだって春しかいないんだよ…?頑張れ、春」 そしてその手に功の手が重なった。 じんじんとみんなの手の温かさが伝わってくる。こんなこと恥ずかしくて口には出さないけど、俺たちは本当にいい友達に囲まれている。 * * 功の家からの帰り道。 花屋に寄って薔薇の花束を買った。 12本の薔薇の花束。100本くらいの大きな花束でもよかったけど、俺と雪、ふたりで暮らすあの部屋には12本がちょうどいい。 「ただいまー」 いつも通り玄関でゆっくり靴を脱いでいると、とん、とん、と杖の音が聞こえて「おかえり、春」と柔らかな雪の声がした。 迎えに来てくれた雪は「どうしたん?それ」と薔薇の花束に目を留めて、そして首を傾げて俺を見る。雪の仕草ひとつひとつが可愛くて仕方ない。 「雪にプレゼント」 「え?」と驚く雪の手を引いて部屋の中に入っていく。部屋からは美味しそうないい匂い。そうだ、今日はハンバーグの日だった。 「雪、座って?」 雪をソファーに座らせると、雪はほんの少し不安げに瞳を揺らして俺を見上げた。 「これ、薔薇の花が12本あるの」 「12本…?」 12本の薔薇の花束を“ダズンローズ”と言うらしい。きっと雪は知らないだろうな。俺だって雪に出会わなければ一生知ることはなかったはずだ。 感謝 誠実 幸福 信頼 希望 愛情 情熱 真実 尊敬 栄光 努力 永遠 ダズンローズには1本1本それぞれに意味が込められていて、ダズンローズを渡すということは、この12の言葉全てを愛する人に誓うということになるそうだ。 全部全部、雪にあげるつもりだ。本当はずっと前から雪のものだったけど、ちゃんと言葉にして、形にして、雪に誓いたい。 「雪」 まだ不安げな雪の髪をぽんぽんとなでて、雪の前に片膝をついた。 「春…?」 戸惑う雪の手をそっと握ると、雪と出会ってからの今までが頭の中に溢れてくる。 雪に出会ったときのこと。苦しそうに泣く雪を抱きしめながら、病院のベッドで眠った日々のこと。雪の体に触れたくて触れられなくて、わざと雪を遠ざけたこと。雪の恋人になれた日のこと。 そして雪の心と体が傷付けられたあの日のことも、雪が俺の前からいなくなったことも。 何度も何度も雪の涙を見てきた。雪の今までの人生は、嬉しいことよりも辛く苦しいことの方が多かっただろう。 でも、これから先は、ずっとずっと俺が笑わせてやる。 まっすぐに雪を見つめる。俺の心の真ん中にはいつだって雪がいた。 「雪。俺は雪のことが大好きです。雪のことを心から愛しています。これからの人生を、ずっと、ずっと、俺と一緒に生きてほしい」 「…っ、春、待って…?」 雪の声が震えている。ごめんね、雪。待ってあげたいけど、待てないんだ。 「雪。俺と、結婚してください」 ◇ ◆ ◇ ◆ 目の前にいる春がふわりと笑った。 「雪。俺ね、今すぐに返事がほしいわけじゃないんだ」 「…え?」 「こんなこと言ったら、きっと雪を困らせるって分かってた。俺たちふたりの気持ちがちゃんと結ばれていれば、それだけでいいって、そう思ってた。…でもね、やっぱり俺は、この世界に、認めさせたかったんだ。俺がどんなに、雪のことを愛しているか」 サラサラと流れる金色の髪。片膝をついて、手には真っ赤な薔薇の花束。まるでどこか遠い国の王子様みたい。 「返事はずっとずっと先でいいよ。おじいちゃんになってからでもいい。それまでずっと、俺は雪のそばにいるから。雪のことを愛しているから」
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