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「雪」
「春。昨日ごめんな?寝ちゃってた」
「んーん、いいよ」と画面の向こうで優しく春が笑っている。
「そーだ雪。甲斐くんの料理どうだった?」
「あ、なんかな、すごい綺麗なコロッケで、」
「綺麗なコロッケ?なに、それ?」
「ピンクと黄色と紫色やったの。それですごくおいしくて」
「ふふ、そうなんだ。俺も今度食べさせてもらお」
「今日は何してたの?」
「今日は隼人くんのとこ行ってた」
「フリースクール?」
「うん。本棚の整理手伝いに」
「隼人くん、いっつもお金ない!って嘆いてるけどなんとかやってんだねぇ」と、春は嬉しそう。
春と話していると、とてもゆったりとした時間が流れているように感じるのに、時計の針はカチカチと急ぎ足で進んでいて、ちらりと時計に目をやればいつのまにか23時30分。
きっと春は明日も朝早いんだろうな。でももう少し、もう少しだけ…。
「雪、明日学校1限からだっけ?」
「え、あ…うん」
「だよね。でも、もう少しだけ、話しててもいい?」
「…ええの?」
「俺が聞いてるんだよ?」
春の笑顔にとくんとくんと胸が甘く音を立てる。もう少しで春の22歳の誕生日。誰よりも早く、一番最初に「おめでとう」を言いたかった。
*
*
「あ、」
時計の針が12時のところでカチ、と止まった。
「誕生日おめでとう、春」
「うん、ありがとう、雪。もう22歳になっちゃった」
そう言って、ほんの少し恥ずかしそうに春が笑った。
出会ったとき、春はまだ11歳の男の子だった。
走って転んだんだと腕にギプスをはめていて、ちょっぴりやんちゃな男の子。ダンスが得意で、病室で踊ってくれたこともあった。
かっこよくて、優しくて、みんなの人気者。
そんな春があの病室で言った。
『これから先もずーーーっと、一生、俺、雪と一緒にいる。誰にも負けないくらいもっともっと強くなって、雪のこと守ってあげる。もしも怖い人が雪のところに来ても、俺がやっつけるから。だから、もう何も怖がらなくていいよ。安心して眠っていいよ』
この約束を春はずっとずっと守ってくれた。今も、そしてこれから先も、お互いに歳をとって、おじいちゃんになって、ふたりの最期のときがくるまで、春はきっとこの約束を守ろうとしてくれるはずだ。
「春、今日はやっぱり帰り遅くなる…?」
「うーん…できれば早く帰りたいんだけど。やっぱり遅くなるかなぁ」
「待ってて、雪」
「…ん?」
「雪のところに帰るから。待ってて」
*
*
会いにくるのはお正月ぶり。
仕事が忙しい春はなかなか来れないんだけど、ひとりで来てもいつも変わらない笑顔で迎えてくれる。
「雪、いらっしゃい!」
今日も美咲さんの笑顔は優しい。
リビングに通されるとすぐに、美咲さんはキッチンへ向かった。
「今日、春の誕生日やね」
ソファーに座ってキッチンにいる美咲さんに声をかけると「そうなのよー!だからね、」とキッチンから戻った美咲さんの手には長方形の白い箱。
「雪来てくれるって言うから、さっき買ってきちゃった。本人いないけど、ケーキ食べちゃお」
箱の中にはイチゴのショートケーキがふたつ。
「おいしい」
「ね、おいしい」
ふわふわのラグの上に並んで座り、ふたりでケーキを食べる。付けっぱなしのテレビからは夕方のニュースが流れていて、ちょうど天気予報の時間だった。春のいる街は、今日は強い風が吹いていたみたい。
「美咲さん?」
「ん?」
「今日はね、聞きたいことがあって来たの」
視線はテレビに向けたまま、美咲さんに今日来た目的を伝えた。
「美咲さん、前に雪のおかげで私たちは幸せになれた、私たちは雪に救われている…って、言ってくれたことがあったでしょ?」
「…うん、言った。覚えてたの?」
「うん。すごく、嬉しかったから」
「雪の11歳の誕生日ね」
「ずっとね、気になっていたの。あれは、どういう意味やったんやろうって…」
*
*
ケーキを食べたお皿とフォークを片付けて、もう一度並んでラグの上に座る。美咲さんはテーブルに頬杖をついて、ゆっくりと話し始めた。
「あの空手教室ね、私のおじいちゃんが開いたの。それをお父さんが継いで、そのあとを誠司が継いでくれて。別に継がなくてもいいって言ったんだけど『美咲と結婚するってことは、お父さんとも家族になるってことなんだ。だから継ぐんだ』って。今どきそんな考え方古いんじゃない?って思ったんだけど、誠司は人一倍、家族に強い想いがある人だったから」
「…家族に?」
「誠司ね、若い頃にご両親をなくしてるの」
「…え?」
「兄弟もいないし、頼れる親戚もいなくて。ひとりぼっちだったのね」
「だからかなぁ。すごく"家族"に強い憧れがあって。だって付き合って1か月後にプロポーズしてきたのよ?まぁそれに頷いちゃう私もあれなんだけど」
美咲さんの横顔はとても楽しそう。
懐かしい、綺麗な思い出を思い出しているみたい。美咲さんと誠司さんは、どんな風に出会って、どんな風に恋に落ちたんだろう。
いつか聞いてみたいな…。
「結婚する前から子どもは何人ほしいー?なんて話をよくしてた。でも、出会ってから結婚までは早かったのに、なかなか子どもができなくて。やっとできた子が春なの。すっごく嬉しかった。生きててこんなに嬉しいことあるんだって思うくらい。…でもね、」
そこまで言うと、ふっと美咲さんの瞳から光が消えた。
「でもね、私はもっと子どもがほしくて。たくさんの子どもたちに囲まれた、幸せな家庭を、誠司と築きたかったから。だから、春がいるのに、すぐに次の子をって、そう思ってしまってたの…。まだ春は小さかったのに、私は、早く子どもを作らなきゃ、なんで妊娠しないのっ…、そんなことばかり考えてた」
ぽたり、ぽたりと、美咲さんの目から涙がこぼれている。あの日とは違う、冷たくて、悲しい涙。
「そんなとき、誠司に言われたの。俺は今、すごく幸せだ。春がいてくれるだけで十分すぎるくらい幸せだ。…だから、今目の前にいてくれる春を、ちゃんと見よう、ちゃんと愛そう…って」
「そのときまで気付けなかった。春にすごく寂しい思いをさせてたんだって。いつのまにか金髪になってたり、無茶してしょっちゅう怪我したり。今さら何を思っても遅いけど、あの子なりにこっちを見てって、そう言ってたのかなぁって、そう思うの」
「だめな母親なの」と、力無く笑う美咲さんに、何も言うことができない。
知らなかった。何も知らなかった。
あの日。病院の中庭で出会った日、春はどんな気持ちだった?寂しい想いを抱えていたの?
サラサラとなびく金色の髪。それがずっと大好きだった。夏の太陽よりも、夜空に瞬く星よりも輝いてみえて。でも、本当は…?
春は、今でも寂しいままなの?
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