最終章 春と雪

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「雪と出会ったのは、ちょうどその頃。なんて可愛い子なんだろうって思った。一目惚れってやつかな」 「春と一緒ね」と涙に濡れた瞳で美咲さんは笑う。 「雪に会って、もしもこの子にお母さんがいないなら、私がお母さんになりたいって思った。ごめんね?勝手にこんなこと思って。でも、おおげさだって思われるかもしれないけど、誠司が言ったの。『あの子は神様からの贈り物だ』って。私もそう思った。私も誠司も、雪のためならどんなことでもしたい、雪が困っていたら助けてあげたいって、本気でそう思っていたし、今でも思ってる」 「雪は今、何に悩んでいるの?」 美咲さんの手がすっと頬に伸びてくる。春と同じ、とても温かい手。「泣かないで、雪」と言われてやっと、自分も泣いていることに気が付いた。 「その頃の春ってね、なんて言うのかな。小学生にしては妙に大人びてるって言うか…私や誠司に甘えてくることもなくて。こんなこと言ったら親バカだけど、あの子イケメンでしょ?」 「ふふ、うん…」 「だからね、女の子も男の子も、あの子の周りに集まってくる子は多かったんだけど、春は全然興味がなさそうで。仲が良かった子といえば、ほんとにサクくんくらいかな。…だから、雪と出会って、毎日毎日雪のところに行く春を見て、すごく驚いた。でもそれ以上に、すごく嬉しかった」 「…嬉しい?」 「そう。春にも大切にしたいと思える友達ができたって。春にとっては、ただの友達じゃなかったみたいだけど」 美咲さんの温かい手がふわふわと髪をなでてくれる。子どもの頃から髪をなでられるのが好きだった。気持ちよくて、安心する。 「雪は今、何に悩んでいるの?」 心にまっすぐ届く優しい声で、美咲さんはもう一度そう聞いた。 * * 「雪に出会って、春は変わった。あの頃の春にとって、雪は心の拠り所だったの。そしてそれは今もずっと続いてる…。雪。春に、私たちに出会ってくれてありがとう。春の心を救ってくれてありがとう。雪が春を救ってくれたから、私も雪を救いたい」 髪をなでていた手がもう一度頬に落ちてきて、優しく涙を拭ってくれる。春の優しさは、きっと美咲さんから教わったもので、春の強さは、きっと誠司さんの背中を見て学んだもの。 でももしも、たとえ春がちょっぴり意地悪でも、春が弱くても。どんな春でも、ずっとずっと一緒にいたいと思う。 「このまま…、春と、ずっと一緒にいたいの…」 「うん、一緒にいてあげて?春には雪がいないとダメなの」 「でも…、」 「うん」 でも、ずっと一緒にいたら、春の家族は?いつか美咲さんも誠司さんもいなくなってしまったとき、春の家族がいなくなってしまう。美咲さんと誠司さんは、いつか、おばあちゃんとおじいちゃんになりたいと思っていなかった…? 「雪?」 「でも、ずっと、一緒にいたら…、春の、家族は…?春、子ども、できなくなっちゃう」 「雪…」 美咲さんの両腕がゆっくりと背中に回った。ぎゅっと力が込められて、じわじわと美咲さんの体温が伝わってくる。 「春の子どもかぁ…。ふふ、いたら可愛いのかもしれないけど。…でも、その子と引き換えに雪がいなくなっちゃうなら、私は、いなくていいかなぁ」 鼓膜を揺らす、美咲さんの優しい声。大きな愛に、大きな優しさに包まれているみたい。 「春だってもういい大人だもの。ちゃんと分かってる。春は、たとえ子どもがもてなかったとしても、他の誰でもなく、雪とずっと一緒にいたいの。…雪と家族になりたいんだと思う」 「春と…、家族に、なってもいいの…?」 声も唇も、体すべてが震えてしまう。 「家族に、なってくれるの…?」 そして美咲さんも震えている。 「ありがとう、雪…。本当に、ありがとう…っ」 温かい、美咲さんの腕の中。春の腕の中とは少し違う。柔らかくて、洗濯物の匂いがする。おいしいご飯の匂いがする。 きっとこれはお母さんの匂い。 あのときもこんな風にお母さんがぎゅっと強く抱きしめてくれた。美咲さんよりも少し小柄で、骨張っていて、薔薇の香水の香りがした。 そして言ってくれたんだ。『雪。ここから、一緒に逃げよう』って。 いつかまたお母さんに会えるのかな。もし会える日がきたら、そのときは、隣には春がいてほしい。 * * 「雪」 美咲さんに包まれたまま、ふいに名前を呼ばれて振り返ると、リビングのドアのところに誠司さんが立っていた。 「誠司。帰ってたの?」 「うん、今な。雪、迎えが来てるぞ」 「…迎え?」 「そう、迎え」とニコニコと笑いながら一歩下がった誠司さん。そのうしろから顔を出したのは… 「あら、」 「…っ、なんで…」 今日も帰りは遅くなると言っていたのに。ここに来ることは伝えていなかったのに。なんで…。 いつもは大きくて逞しい春が、誠司さんの隣にいるとなんだか小さな子どもに見える。 「…雪。迎えに来たよ。一緒に帰ろう」 ーーーーーーー 次の更新で最後となります。
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