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カラフル
髪から香るカラー剤の匂い。
今まで何度も何度も染め直しているから嗅ぎ慣れた匂いだけど。でももうしばらくはこの匂いともお別れかな。
*
*
「ただいまー」
玄関で靴を脱いでいるとカチャ、と廊下の向こうでドアが開く。
「あれっ、春、あ、おかえり」
「ふふ、ただいま」
驚きながらもちゃんと「おかえり」を言ってくれる律儀な雪。
「髪染めたん?」
雪の手がサラサラと髪をなでてくれる。ついさっき黒くなったばかりの髪。
「仕事?」と小首を傾げる雪の手を引いて、部屋の中へ入った。
ソファーに座りぽんぽんと膝を叩くと、雪は恥ずかしそうに俯きながらも、俺の上にゆっくりとまたがって、そしてぺたんと膝に座った。
「髪黒くするん、久しぶりやね」
ずっと金髪にしていたとは言え、仕事の都合で黒くしたり茶色くしたりは何度かあって。でもそれは一時期的なもので、その仕事が終わればすぐに金髪に戻していた。
「うん。どう?」
「すごく似合ってる。かっこええよ?」
膝の上ではにかみながらそんなことを言う雪はとっても可愛い。
「ありがと。でも仕事は関係ないんだけどね」
「…そうなん?」
雪の髪はずっと黒い色のまま。サラサラというよりもふわふわという表現が近い髪質。髪型も子どもの頃から全然変わってないんだよな。丸っこくて耳が半分くらい隠れてる。前髪は綺麗な瞳が隠れないくらいの長さ。
雪はこんなに可愛いのに自分の見た目には無頓着なところがあって。高校生までは蒼佑くんが雪の髪を切っていた。まぁこれはちょっと人見知りが出ちゃって美容室に行くのが苦手っていうのもあるんだけど。今でも前髪くらいなら俺が切ってあげてる。「春ー。切ってぇ」と可愛くねだられたら断れないからだ。
「これからはもう黒髪でいいかなぁって」
「どうして?」と言いたげに大きな目で見上げてくる雪。重ための前髪を掻き分けて現れたおでこにキスを落として、すべすべとした頬をなでる。
「雪は金髪のほうが好き?」
ここで金髪のほうが好きと言われたら、今すぐ美容室に戻ってしまいそうな自分に呆れつつ「うーん…」とどう答えようか考えている様子の雪の返事を待った。
「金髪も好きやけど、黒髪も好き」
「どんな色でも、春が春なら何色でも好き」
雪の答えにぽかぽかと心が温かくなる。
小学生のとき、初めて髪を金色に染めた。「髪切ってくる」と嘘をついてお金をもらって、親には内緒で染めたんだっけ。金髪にした理由はなんとなくかっこいいと思ったから、みんなと一緒が嫌だったから。
でも、本当に理由はそれだけだった?
その答えはたぶん「ノー」だ。だけど今はもう、そんなことはどうだってよかった。
今目の前に雪がいる。それだけでこんなにも心も体も温かい。
「おじいちゃんになって、白髪で真っ白になっても好き?」
そう聞くと雪はくしゃっと破顔して、細い腕でぎゅうっと体を包んでくれた。
「うん。おじいちゃんになって、白髪で真っ白になっても春のことが大好き」
まさか自分がこんなことを聞くなんて。
なんて女々しい奴なんだろう。こんな姿、功たちには見せられないな…と、そんなことを頭の片隅で考えながら雪の華奢な体を腕の中に閉じ込めた。ぎゅうぎゅうと雪に負けないくらいの強い力で。
ぽんぽんと俺の背中を叩きながら、耳元で雪が楽しそうに笑っている。
「んー、春、苦しい」
おまけの話。その後のふたり。
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