新しい風

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宏光にとって朝武合格は間違いなく、人生を変えるための切符だった。 だから、起床してから就寝するまで勉強に勤しんだし、それが辛いとか苦しいと思うことはなかった。 『目標を達成する先に夢のチャンスは掴める』 これは浅井長次郎がビジネスや人生において最も重視していると言われた教訓だった。 そして、彼はそれを自ら子供達に実践させることで、夢への切符を子供達に与えてきた。 宏光も彼にとってはその一人となれた。 だが、そう甘い条件ではないのは事実だった。 10歳から中学受験のチの字もしらない宏光がいくら勉強出来る環境を用意されても、達成出来る保証なんてどこにもなかったからだ。 それに一番敵に回したのは、浅井の一族だった。 浅井家には当時、長男長女次女次男三男の5人の子供がいて、三男以外は皆家庭を持っていた。 既に長男の息子、次女の息子が朝武へ合格していた。長女には娘が2人で朝武には縁がなかった。 しかし、問題はそこからだった。 朝武は文武両道の精神を教育の基軸にしていた。 だが、勉強だけが得意でも首席にはなれなかった。彼らはあまりスポーツには長けてはいなかった。 長次郎の長男と次男は朝武の出身ではあった。今は浅井グループの重役でそれぞれ活躍していたが、暁賞には及ばなかった。 また、長男の息子智はバスケをしていたが、選手としての戦績はまずまずだが、彼も暁賞には届かなかった。英語が得意で海外留学の経験があった。 次女の息子、明英(あきふさ)は高校2年生。残念ながら彼は運動神経はからっきしだった。勉強は得意のようで校内で首席を数回、全国模試もトップクラスだった。また容姿も良かったので眉目秀麗ではあったが、体躯は細く少し病弱なところがあった。当時にしては珍しく部活動には参加していないという。 性格は穏やかで人を敵に回すようなことはしないが、気が弱いのか人間より動物を相手にする方が好きだった。因みに、この次女の三男が佑介だった。唯一同じ歳で仲良くなったのが彼だった。 両方は修めないと取れない暁賞。 浅井長次郎がかつてその栄誉を収めてから、誰も浅井家は暁賞には縁がなかった。 それをとること、それが宏光を養子にとった長次郎の目的でもあった。
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