新しい風

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「コーヒーでいい?」 「はい」 詩子はキッチンに行くと、電気ケトルに水を入れ湯を沸かした。 部屋は夕陽が差し込み、少し薄暗く感じられたが、案内されたダイニングのテーブルは綺麗に吹き上げられて、真ん中には花が飾られていた。 宏光が百瀬の、家の中に入ったのは、半年ぶりだった。 仕事の都合もあって自宅に碧音を連れて帰ったり、外で遊んだりする方が、宏光にとってはいくらか気が紛れた。 リビングの目につく場所に置かれていたり、貼られていたりする碧音や初音の写真に、居た堪れない気持ちになってしまうから。 それに、いくら赦されたとはいえ詩子の気持ちを考えると、あまりここに自分が相応しい人間だとも思えなかった。 「忙しいのに、ごめんね」 「いいえ、今日は一日空けてあるのでご心配なさらないで下さい」 「そう?実はね、私達あの子が中学生になったら、夫の実家近くに引っ越そうかと考えているの」 「そうですか…さっき碧音から一緒に住みたいとは聞きました」 宏光がそう告げると、詩子はちょっと驚いたようだった。 「あの、俺は一緒に住むのは我が子ですし、その問題はないんですが…」 「何か迷っていることでもあるの?」 宏光は言いにくそうに、言葉を詰まらせながらも理由を告げた。 「少し気になる女性がいます…まだ、そう親しいわけじゃないんですが。すみません」 小さくなって頭を下げる宏光に、詩子は頭をあげるよう促すと、ふぅとため息を小さくついた。 「まぁ、もう10年も前になるのよね。あの子が亡くなって…」 「はい…」 「実はね、私達こないだ話合ったんだけど、そろそろあなたも前を向いて生きた方がいいんじゃないかな?その、ここにいつまでも通い続けるのは、お互いに良くないかもって」 詩子はそう言うと、キッチンの方へ向かった。 電気ケトルの湯が沸いたようで、キッチンのタイマーの電子音が鳴り響いてきた。 それからすぐに香ばしいコーヒーの香りがふわっと宏光の鼻をくすぐった。
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