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あたたたたたっ……といっても、どちらかというと恥ずかしさの方が増していて、痛みは不思議とあまりなかった。大したケガも奇跡的にないようで、少しずつ冷静さも取り戻しつつある。誰だトイレの中に階段作ったやつ。
くそう。
カビ臭くて、じめじめしていて、コンクリートの壁に囲まれた薄暗い部屋に、僕一人だけ。はめ込み式のガラス窓から光がさして、かろうじて部屋の様子はわかる。なにも無い。伽藍堂だ。便器も洗面台も無い。
いったい彼女はどこへ行ったのだろう?
この部屋に入ったと思うんだけど……
ここは、たぶん公衆トイレの下のほう。船着場の何か、万世橋の下の部屋に落ちたんだ。
振り向くとドアは閉まっている。
ヤバイ閉じ込められた?と思って急いでドアノブを回す。開かない。焦る。押しても引いても開かない。ドアを叩いて助けを求めるけれど、わんわんと自分の声が反響するだけだった。
おいおいおいおい。不味くない?閉じ込められちゃったよ。
ドアに背を向けて寄りかかり、ため息をつくと、ちょうど正面の壁、何か床に、凹んだところがあるのがぼんやりとわかった。
なんだろうなと近づいてみると、人一人降りるのがやっとなぐらいの階段があった。下へと続いているその階段は、闇の中へ溶け込んでいてよくわからない。目を凝らして覗き込んでいると、嫌な汗が首筋を伝い、ぶるりと身震いひとつして、足がすくんだ。
選択肢は二つある。スマホで救助を呼ぶか、この階段を降りるかだ。どちらも気が進まないけれど。
救助隊に助けられるような大事にはなりたくないし、とりあえず降りてみて出口が無ければまた、その時はその時で考えよう。
彼女もこの道を通ったかもしれないし。
意を決して、階段をスマホで照らしながら、長い階段を下りていった。
長い長い階段は、弧を描いてずっとずっと奥まで続いている。どこまで降りるのかとすごく心配になりながら、途中、赤レンガ造りに壁が変わっているのに気がついて、自ずとレトロなゲームの16bit音源が、頭の中でループする。まるでファンタジー世界の雰囲気だ。RPGのダンジョンに迷い込んでしまったみたい。
振り返ると登ってきた入口はもうとっくに、見えなくなっていた。
やっとのことで突き当たった終着点には、古いドアがあった。値打ちものだ。骨董品に疎い僕でも分かるほど。
そのドアには重厚感と異質な存在感がにじみ出ていた。
手の込んだ細工のドアハンドル。真鍮でできたそれを恐る恐る掴んで回してみる。
意外と軽く、開いた。
眩しい光が辺りを包んで、目がくらんでしまう。
ぼやけた視界が少しずつ慣れてくると、目を疑ってしまった。
西洋風の豪奢なインテリア。上品で繊細な絵柄の絨毯。赤レンガでできたドーム状の高い天井。四方八方からたくさんの光の筋が天井を這い、中心にはシャンデリアのように吊るされた、まあるいオブジェが遠くの方に見える。遠いせいで大きさは曖昧だけれど、おそらく近くに寄ったらもっと巨大な何かだろう。
正面の通路両側には書架が並び、ずっと先まで続いていて端が見えない。とんでもない数の本だ。
いきなり、手前の本棚の陰からひょっこり顔を出す獣と目があって、僕は固まった。
アルパカがこっちを見ている。
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