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優しい風がふいていた
そのとき、わたしの中で何かが爆発した。まだ白い進路調査表とか、小テストの点、クラスのヒエラルキーで声の大きさがちがうこと、球技大会の練習、家で昨日叱られたこと、窓から夏がはいってきたこと、そういうのが全部全部パァンと音を立てて脳に響いたのだ。気付けば立ち上がって、ふらふらと教室を出ていた。また保健室か、と数学教師は吐き捨てるように言っていたけど、曖昧にうなずいてそのまま歩いていった。行く場所は、特になかった。この学校のなかに閉じ込められて、いつまでわたしはこんな気持ちを抱いてなきゃいけないんだろう。気付けば、屋上のドアをあけていた。なんか不良みたいだな、「地味子」のくせに。よくまわらない頭でそう思いながら。
屋上はいつも通り暑かった。わたしは端の方に座った。フェンスの向こう側、隣のクラスが体育をやっている。レイちゃんが見えた。みんながバレーボールをやるなか、楽しそうな声のなか、彼女はぼんやりとコートの外に立っていた。ああ、つらいだろうな。わたしはレイちゃんと、特に接点はなかった。同じ小学校だったけど、その時もあまり話した記憶はない。あの子はずっと孤立している。
「わたしね、テレパシーが使えるの」
と、レイちゃんはよく皆に言っていた。そういうちょっと不思議なところが、わたしは割と好きなんだけど、周りは冷たく笑うばかりだった。ああ、一度だけ話したことがあったな。たまたま二人とも生理でドッジボールを見学したときだった。
「ねえ、お腹痛いでしょ」
「……そうだね。けっこう」
「わたしも。なんかさあ、わたしのなかに何かがいるみたいなんだ。それが暴れるから、お腹痛くなる」
「そう、なんだ。わたしは普通に生理だけど」
「いや。これは何かいるんだよ。わたし、ユーフォー見たことあるんだけど。その日に生理が来たのね。だからきっと遠くの星がいじわるしてるんだ」
「そ、そう」
「きっとアヤちゃんもそうだよ」
「いやいや、わたしユーフォー見てないし」
「だとしたら、世界がいじわるしてるんだ。この世界が」
そうして、きゅっと自分の膝を抱いていた。わたしは何と言えばいいか、よく分からなかった。レイちゃんのふくらはぎは白く透き通って、そこにいくつか痣があった。
「生きるの難しいね」
それきり彼女はだまってしまった。ボールが急に飛んできて、彼女の肩に当たった。それをクラスメイトに返していたけど、「テレパシーで避けれねえのかよ、幽霊女」と笑われていた。
そんな記憶でちょっと胸がくるしくなる。ふと外を見たら、レイちゃんはもう居なかった。あれ、早退しちゃったのかな。そう思った瞬間、屋上のドアが開いた。まずい、と立ち上がって言い訳を考えたけど、そこに居たのはレイちゃんだった。
「……やっぱり居た」
「ど、どうしたの? レイちゃんもサボり?」
「まあ。ほら、わたしテレパシー使えるから。なんか悲しい声が聞こえたの」
「そう……」
そして、わたしの隣に座った。何を話せばいいか、そもそも会話をするような仲だっけ、そんなことがグルグルして黙り込んでいた。
唐突に、レイちゃんは歌いはじめた。知らない曲だった。
オリオンは高くうたい、
つゆとしもとをおとす、
アンドロメダのくもは
さかなのくちのかたち。
「どう? どう?」
「上手だよ。良い歌だね」
「うん。わたしこの歌すき。だってオリオンもアンドロメダも、優しいから」
「優しいんだ。なんか、そう言えばさ。……ずっと前にさ、知らない星がいじわるしてくるって」
「ああ、そうだね。でも気付いたよ。いじわるなのは地球だけ」
そしてまた、きゅっと膝を抱いていた。これは癖なのかな、と思う。
「人にさ、ぎゅーってされるのってどんな気持ちになるのかな」
「え? うーん、親くらいにしかされた事ないけど。まあ、嬉しかったかな」
「そうなんだ。わたしされた事ないから、よくわかんない」
考えるより先に、身体が動いていた。レイちゃんを、きつくきつく、抱きしめた。微かに笑う声がきこえて、それから泣き声がきこえた。わたしは、ずっと抱きしめていた。青空だけが、わたしたちを見ていた。
「……ね。地球も優しいとこあるね」
ゆっくり離れながら、彼女はそう言った。授業終了のチャイムが鳴る。そろそろ、教室に戻らなきゃいけない。
「レイちゃん。また、話そう? また、屋上で」
「うん。また、屋上でね」
そして、何も無かったかのようにスタスタと去っていく。
「待って、ねえ、次いつ話そっか」
「大丈夫だよ。わたし、テレパシー使えるから。また、アヤちゃん見つけるから」
太陽を背に、笑っていた。綺麗だな、と思ってから、もしテレパシーで伝わったらまずいな、と顔が熱くなった。きっとまた、わたしたちはそっと会うんだろう。このちょっといじわるで、でも優しい、地球の屋上で。
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