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「辞書、さんきゅー」
「……どしたの」
一芭と別れて、自習室に向かう前の新渡戸に約束通り英和を返しに行くと、不思議そうな顔と共に尋ねられる。
「なにが?」
「…なんか、嬉しそうだから」
「んー、まあ、ちょっと良い仕事したかなあという気持ちなわけよ」
「なにそれ」
変なの、とくすくす笑う新渡戸はやはり可愛いらしい。"クールビューティー"とか、分かってねーなーと思う。まあ、俺だってあの男よりは分かってないんだろうけど。
「新渡戸、今日も遅くまで自習すんの?」
「え?…まあ、うん。その予定だけど」
「今日は遅過ぎず、早過ぎずな時間で帰れ?出来れば18時くらい」
「え、なにそれ」
きょとんとした表情で当然の疑問をまたぶつけられても、それはちょっと正しくはお答え出来ない。体育館を使用できるのは、確かそのくらいの時間までだった筈。今はまだ部活中のあの男とちゃんと上手く何処かで鉢合わせろよ、と念を込める。
「…あと、似顔絵」
「え?」
「そんな、こっそりコレクションしてないでこれからもいっぱい、描いてもらえよ」
「……み、見たの」
手に抱える英和辞書の中身を知られたことに、かあっと一気に顔を赤くする女があまりに健気に思えて、思わず頬が緩んでしまった。
「あいつ今一人暮らしの準備も忙しいから。くだらないことお願いする前にまず受験頑張らないと」
「頑張れ」
「いや、尾山も頑張るんだよ」
「はーあ、くそ憂鬱」
率直に告げた俺に、「分かる」と同調して破顔してくれる新渡戸に眉を下げてこちらも笑う。
進路なんか、考えるだけで気が滅入る。出来ればずーっとこの場所で、馬鹿なことして笑って過ごしていたい。
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