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勿論、エレベーターを使います。
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なんの変哲も無い、15階建のマンション。
エントランスを入ってすぐに鎮座する、これまたなんの変哲も無いエレベーターの前。
上向きの矢印のボタンを押した私はふう、と溜息を吐いてズレ落ちていたスクールバッグを右肩にかけ直した。左手には「気持ち程度」そんな表現がぴったりの強さで英単語帳を持っている。
高校から帰宅するまでに集中して確認できた単語は、せいぜい10個くらいだろうか。それでも隙間の時間が生まれる度に「何かしないと不安」になるのは、もう受験生の定めだと思う。
「げ、最上階から降りてくんの…」
扉上にある階数を告げるランプで今のエレベーターの位置を確認して、思わずそんな声が漏れる。これは1階まで来るの時間がかかるなと、なんとなく見上げた状態のまま、それが点滅を繰り返して降りてくる様を見つめていた。
「――景衣」
「、」
油断していたところに、意表を突かれるような形で背後から突然、名前を呼ばれて肩が揺れた。
視界に映ったのは、グレーのマフラーのせいで口元が覆われて、表情の全てを確認はできないけど、ちょっと不機嫌そうに瞳を細めてこちらを凝視する男。私と同じ、見慣れた深緑色のブレザーに身を包んだそいつは、ズボンのポケットに手を突っ込んで、寒さを誤魔化すように肩を竦めながら、私の隣に立ってきた。
「なに」
「お前、3階くらいでエレベーター待つなよ、階段使え」
先ほどまでの私と同じように点滅するエレベーターのランプを見上げている男は、そのまま呆れた声で文句を述べる。
「使うわけ無いでしょうが」
「昔は元気に使ってたくせに」
「…あれから何年経ってると思ってんの?足腰に響くんだよ」
「その年でババアみたいなこと言うな」
「あんたはトレーニングがてら階段使えばいいでしょ」
「……」
比較的早いテンポで進んでいた会話を止めたのは、男の方だった。突如訪れてしまった不自然な沈黙に違和感を抱いて隣を見やると、私より高い位置から、綺麗な二重の瞳がこちらを真っ直ぐ見下ろしていた。
「……何よ」
「お前さ、俺になんか言うこと無い?」
「…は?」
先ほどまでの会話からは全く想像のつかない問いかけに、ほぼ無意識のままに聞き返す。私を捉えた切れ長の瞳に、冷たさが覆う空気に晒されて少しだけ赤い頬の男はやはり口元をマフラーに埋めたまま。
いつもよりくぐもっていて、声が若干聞き取りにくいけれど、ちゃんと男の発言は耳に届いた。
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