緊急事態のボーイ&ガール

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「…なに」 「えっと、」 今日は、あの時みたいに階段を駆け上がるという助走も無いから、奥にしまった勇気を引き出すのがより難しい。熱のせいでは無い、更なる顔の赤みに気づいて、これはまずいと一度視線を戻そうとした時だった。 「――景衣」 それを止めるように名前を呼ばれ、従順に大人しく視線を留めていると、唇に柔らかい感触があった。音もなくそっと重なったそれに目を見開いていると、綺麗な二重の瞳に当たり前のようにぶつかった。 「言っとくけど"約束"とか、こっちも死ぬほど恥ずかしいんだからな」 「……」 目の前で睨むように細まる瞳は照れ隠しを含んでいると、昔から充分過ぎるくらいに知っている。 「だから、本当だったらお前にもちゃんと返事して恥ずかしい思いして欲しいけど。まあハプニング女の緊急事態だし、これで許す」 「……許す、って、」 この男とキスしたのだと、熱に侵食されかけた頭で実感しようとすれば、もうそのまま倒れてしまう気がする。私の顔が真っ赤な理由は、熱とこの男、割合はどのくらいのバランスだろう。比重はとっくに逆転しているかもしれない。 「……いま絶対、単語、飛んだ」 ぐるぐると恥ずかしさが身体を一気に駆け回る中で、今まで頭に詰め込んだ英単語は無事だろうか。私の反応に喉奥で笑いを噛み締めた一芭は「だからそんな簡単に忘れるかよ」と、再び腰を折って私の顔を覗き込んでくる。 「…”緊急事態”」 「え?」 「英語で?」 「……emergency」 「完璧。ほら、行くぞ」 悪戯に笑った男が、くしゃりと私の髪を乱した後、手を握る。そのタイミングで、エレベーターが再び私たちを軽快な音と共に迎えにきて、一芭と一緒にその箱に足を踏み出す。 熱は出てるし、コンディションは最低最悪。 だけど、1人で踏み出そうとした時の何倍も、心強い未来を知った今の私の足取りは、随分と軽いような気がした。
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