要望は、ゲンコツ一発

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"新渡戸 景衣" 初めて名前を耳にした時は、男かと思った。 でも母親に連れられて、何処か緊張したようにこちらを見つめる大きな瞳と対峙してからは、一度もそう思ったことは無い。 幼い頃から母親同士の交流は盛んで、必然的に一緒過ごすことが多かった俺と景衣にとって、マンションの全てが遊び場だった。エレベーターや階段は勿論、駐車場でかくれんぼをするのも、ブームになってる時期があった。 『おいクソガキ!!!!』 『すいません』 ……でもそのブームはすぐ、終わることになる。 いつも通り遊んでいると景衣に見つかりそうになって、走ろうとした拍子に身体のバランスを崩した。 そして、直ぐ側の車に激突した時、不運が重なって、背負っていたリュックに付けていたキーホルダーが、しっかりと左後部座席の扉に白く細長いキズをつけた。 更に不運は重なって、その車がマンションの管理人のものだと気付く。管理人室でたまに見かける男は、スキンヘッドだし見た目からめちゃくちゃ怖そうだと知っていたし、最悪だ。 景衣とは適当に理由をつけて解散をして、俺はそのまま1階の管理人室へ向かった。 「駐車場で遊んでる時に管理人さんの車にキズをつけてしまいました」と自首した俺に、男は物凄い剣幕で怒鳴った。想像よりめっちゃ怖い。 『あんなところで、子供がうろちょろすんな!!!』 『はい』 『……車がいつ、どのタイミングで動き出すか分からないんだからな。お前みたいなチビが居るの、見逃す人も居るかもしれない。そしたら危ない目に遭うかもしれないのは、お前だ』 鋭い目つきのまま、俺と目線を合わすようにしゃがむ男は、がしりと俺の頭を上から掴んで諭す。 車に傷を付けられたことでこんなに怒ってるんじゃないんだと、そこで気が付いた。頭の奥で、いつも一緒に遊んでいた景衣の顔が浮かぶ。 ――"あいつが"危ない目に遭っていたかもしれない。 『……もう2度と、絶対しません。誓います』 硬い声でしっかり伝えると、少しだけ押し黙った男が「じゃあもう良いよ」と溜息と共に立ち上がる。 『いえ。母と、改めて謝罪に来ます』 『お前小学生のくせに冷静でこえーよ。そもそも、1人で遊んでたのか?』 『はい、そうです』 『…ふうん、まあ良いや。分かった』 スキンヘッドはそれだけ確認を取り、その後は怒鳴ることもなく、何故か飴を俺に渡して管理人室から追い出した。
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