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「一芭。おはよ」
「……こんな朝早くに居るの珍しいな」
「だってお前、今日引越しなんだって?おじさん寂しいから最後、会っとこうと思ってさ」
「…管理人って、情報そんな直ぐ回ってくるもん?」
「俺は住人に愛されてる管理人だからな」
「へえ、そう」
マンションのエントランスを出ると、年季の入ってきたレンガ作りのアーチにもたれかかるようにして立つ男に声をかけられる。相変わらず何年経っても威圧感の漂うスキンヘッドだが、今はもう、それもすっかり見慣れてしまった。
俺が此処を巣立つことを知って、態々待っていたらしい。
「駐車場を走り回るクソガキが、立派に大学生とは」
「……その節はどうも」
ク、と喉奥で笑った男は、管理人室の鍵をポケットで鳴らして、そのまま俺に近づいてきた。昔、怒鳴られた時は自分の首を相当上に向けないと顔を確認できないくらいだったが、今では難なく視線を交えることができる。
「一芭。お前、寂しい?」
「…は?」
唐突な質問に、間抜けな返事を返す。どういう意図で尋ねられたのか分からず、ただ男を見ていると口角を綺麗に上げながら、思い切り髪を乱される。
「…なんなんだよ」
「どうなの」
「……寂しいのは、置いていかれる方だろ」
進路を決めたのも、此処を出て行くことも俺の意志だ。だからこそ、生半可な覚悟で旅立つことは許されない。
――此処に、置いていく奴が居る。
あの女が最後まで俺を応援して気丈に笑ってくれたのに、こっちが、そういう弱い感情を吐き出して良い筈も無い。
自分に言い聞かせるように、だから俺は大丈夫だと伝えようとすると、目の前のスキンヘッドは、静かな朝に似つかわしくない笑い声で、空気を荒らす。
「さっきから、何」
「くだらない背比べしてんなあと思って」
「何が」
「寂しさの度合いなんか、どうでも良いわ。
一芭。お前、景衣のこと1番知ってんじゃ無いの」
「……、」
――あいつはお前が強がれば強がるほど、その隣にちゃんと並べるように、頑張る奴じゃ無いの。
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