この場所は独りより、ふたり

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一段飛ばしで、とにかく上へ上へ、上ることだけを考えていた。 いつもいつも、マンションの外階段を1階分。 駆け下りた先の踊り場が俺とあの女の集合場所だった。 大体、あいつの方が来るのは遅くて。 俺は踊り場に座り込んで、景衣の近づいてくる足音をいつも聞いていた。 『一芭、お待たせ』 照れたようなあの笑顔に、会いたかった。 「―――景衣っ!!」 「、」 漸く辿り着いた先には、あの男の言う通り、パジャマのままで、なんなら寝癖も付いたままで、座り込む女が、俺の呼び声に弾かれたように顔を上げる。 「……なんで」 真っ赤な瞳が、大きく開かれて驚きを孕んでいた。 「お前、何嘘ついてんの」 「…ご、めん。だって、今日は笑える自信が…っ、」 動揺したままに垂れ流す涙を拭う景衣の隣にしゃがんで、横から両手でその華奢な身体を強く掻き抱く。 「……あんたなんで、来るの」 「……」 「昨日、上手に、見送ったのに…、」 「景衣ごめん、もう一個約束追加したい」 息がまだ、上手く整っていない。 それでも早くこいつに伝えるべきことがあるからと全身は急かし続けてきていて、その一心だけで言葉を紡ぐ。 心拍数の乱れを、腕の中にいる景衣の心地よい鼓動が宥めてくれているようだった。 「……なに?」 「"此処"を、お前が1人で泣く場所にすんのはやめて」 「…、」 この踊り場は、幼い頃から何をして遊ぶか作戦会議をする場所で。 遠回りの果てに漸く気持ちを伝え合ったのも、景衣の合格発表を確認したのも、この場所だった。 「…此処は、2人の場所だろ」 「……でも、」 「景衣、あと言っとく」 「…な、なに。さっきから畳み掛けてくるの」 やめてよと、焦る腕の中の景衣の頬を掴んで固定し、少しだけ性急に唇に触れる。 「……景衣が好きだ。だから、俺は此処を出て行くのは、どうしたって、寂しい」 情けなく声が震えて、誤魔化すようにまた抱き締めると、景衣の身体も微かに震えていた。 格好良く立ち去ることが、正しいと思っていた。 だって俺は、自分で決めて、置いていく側だから。 『…お前、大変だな。今の段階で景衣みたいな女に出会って、他見れる?』 マンションへ戻ろうとした俺に、揶揄うように告げたスキンヘッドの言葉が木霊した。 ――見れるかよ。 俺のために1人でゲンコツを貰いに行くような、黙って守られてくれない女には、二度と出会えない予感がしている。
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