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「…一芭、注目されている気がする」
抱き合う男女は、こんな大きな、人の往来が多い駅前では確実に目立ってしまっている。それでも男は解放する気はさらさら無いらしく、腕の力を少しだけ緩めて、私を見下ろす。
「……これ、サプライズ?」
「ち、ちがう。予告無しで会いに来ただけ」
「お前、サプライズの定義知らんの?」
「うっさいな」
サプライズだよ、と認めるのは恥ずかしい。視線を逸らして押し黙ると、堪えきれないと言わんばかりに喉の奥で噛み締めるように笑う男の気配に気付いて思い切り睨み上げた。でも、いつもの切れ長の瞳をやたらと甘く細める優しい表情を見ていたら、私の戦闘モードが簡単に崩れる。
「俺がしようとしたのに、なんなんだよ」
「…え?」
そのまま私の鼻を柔くつまむ一芭が、眉を下げて伝えて来た言葉を聞き返す。
「……今から帰るつもりだった」
「え!?」
「だからこの駅に居るんだろうが」
そうだ、確かに一芭のマンションへ行くには、この大きな駅からバスに乗らないといけないと今さっき考えたのに忘れていた。帰ってくるつもりだったというまさかの事実に驚く中で、以前電話で交わした会話を思い出す。
「……あんた、レポートは…?」
「昨日徹夜して、死ぬ気で終わらせた」
「ええ…?」
「お前、ずっとバイトって言ってたけど。でもやっぱり1日でも休みがあるなら、じっとしてるより景衣の間抜け顔、見に帰ろうと思って」
「…間抜け、要らない」
昨日は、合宿から帰って来た日だったくせに。そういえば少しだけ目の下の隈が目立つ気もして、私の返答にまた軽く笑った男の首に、今度は自分から腕を回した。意表を突かれたような息遣いの後、ちゃんと受け止めて抱き締め返してくれる温もりに、ずっと会いたかった。
「これ、莉々も関わってる?」
「…え、」
「本当に帰ってこないのかってやたら聞いてくるから渋々、莉々にだけは今日のこと言ってた。そしたらさっき、"花江家に一大事があったから新幹線のチケット買うのちょっと待っとけ"って連絡あって、なんか変だと思ってた」
「莉々ちゃん、駅まで送ってくれたり、色々協力してくれて」
「色々ってなに」
『ねえ景衣、ひー君のとこに泊まる気?』
口裏合わせの協力者でもあるけど、それは伝えられないと首を横に振ると若干不服そうな顔をされつつも、暫く抱き締めてくれたままだった。
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