意地っ張り女の、安眠に欠かせないもの

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 意地っ張り女の、安眠に欠かせないもの

◻︎ 「お邪魔します」 一緒にバスに乗って、初めて辿り着いた一芭のマンションは想像以上に綺麗だった。学生マンションだから、家賃もそこそこ安いらしい。先に部屋へと入った一芭に続くように足を踏み入れ、一応礼儀として伝えた言葉に返事は無かった。振り返った男に、性急に腕を引かれて唇を奪われたからだ。 「……景衣、今日泊まれんの」 「…、泊まって、良いの」 「むしろ日帰りで直ぐ見送らないといけないの、なんの拷問なのかと思ってしまうんですが」 真剣な顔のまま伝えられて、思わずふと笑うとまた唇に噛みつかれる。まだ玄関で、靴も履いたままなのに、ドアと自分の間に私を閉じ込めて止めようとしない一芭のシャツをぎゅっと握る。 キスにも色んな種類があるのだと、この男と付き合うまで分かってたようで分かってなかった。軽く重ね合わせるだけのものから、呼吸がうまく出来なくなる深いものまで、私は一芭としか、知らない。 今日は最初から"深い方"で、激しさの合間に歯が微かにぶつかった。そっと瞼を上げると、鼻先が触れた状態のまま視線が交わった男の目には、鋭い光が孕んでいる。 「…おい。部屋連れ込んだ瞬間から、めっちゃがっつくじゃん」 「だ、誰に言ってんの」 「自分。己を律してんだよ」 「なにそれ」 私の返事を聞いてるのかいないのか、やけに艶やかな溜息を長く吐いた一芭に、軽く頬やこめかみにもキスを受ける。 「…一芭、しんどくない?」 やはり近い距離で見つめ合うと、男の疲労に滲んだ表情がよくわかる。そっと頬に触れて尋ねた言葉が揺れた。 「お前、俺が無理してると思って気にしてるみたいだけど」 「……してるよ」 か細い返事に馬鹿、と呟いた男が私の頬を両手で包みこむ。 「無理はするだろ。俺は、遠距離みたいなしんどいこと、余裕では出来ない」 ――相手がお前じゃなきゃ、しない。 「……、」 「遠距離も慣れだ、とか俺は絶対言わないからな。こんなもん、慣れてたまるか」 掠れた声で呟いて、私の存在を確かめるように掻き抱く一芭の温もりにまた涙が溢れていく。 どうしようもなく寂しい時、たった1ヶ月で音をあげているような私じゃこれからやっていけないと自分を鼓舞する時もあった。でも、果てしない"これから"の時間の長さに、気が遠くなって不安に覆われてしまう時もあった。 「景衣、お前も平気にならなくて良いから。まとまってなくても、嫌味が入っててもなんでも、ちゃんと俺に全部言って」 ――もう、そういうことぜんぶ隠さなくて良い? 胸の内を曝け出すことを許すように、また目尻に唇で触れてくる男と目が合うと、堰き止めてきた言葉がするするとこぼれ落ちる。 「…まだ1ヶ月なのに、合宿で会えないって分かったらやっぱり寂しかった…、でも多分一芭がキツい練習だからって簡単にサボるような奴だったら、殴ってたし、ちょっと嫌いになるかも、しれない」 「悲惨すぎるだろ」 鼻声で伝えると、抱き締めたまま子どもをあやすような仕草でぽんぽんと頭を撫でる男の静かな笑い声にホッとする。
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