後編

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後編

今夜、謝ろう。 そう思っていた。 それなのに。 彼女が帰って来ない。 8時を過ぎようとしているのに、連絡すらない。 いつもなら、もう帰って来ているか、遅くなるなら連絡があってもおかしく無い時間だ。 でも、今日は連絡も無い。 どうしたんだろう。 心配なら、僕から連絡をしたらいいのだけれど、昨日の事もあり、なんとなく気まずい。 スマホを握りしめ、連絡するかどうか迷っているうちに、11時を過ぎてしまった。 日頃から、遅い時間に帰宅する事があるのなら、11時という時間は、そんなに心配する時間ではないかもしれない。 でも、真面目な彼女の場合、飲み会があっても、一次会だけで帰って来るタイプで、帰宅が11時を過ぎるなんていう事は滅多にない。 昨日の今日だから、色々な思いがよぎり、不安と心配が混ざり合ってどんどん大きくなる。 今朝のケチャップの「ごめんね」は、仲直りの「ごめんね」ではなく、もしかして、さよならの「ごめんね」だったのか。 そもそも、彼女はこんなズボラな僕のどこが良くて一緒にいるんだろう。 いや、まて。 もしかしたら、事故とか事件の可能性だってある。 ダメだ。 思考が支離滅裂だ。 それに、悪い方に悪い方に考えてしまう。 もう気まずくて電話できないとか言ってる場合じゃない。 思い切って、電話をかけることにした。 うん?繋がらない? 電源が入っていない? 電源が入っていないっ?! 電源が入っていないって、どういう事だ。 几帳面な彼女に、充電切れはあり得ない。 なんなんだ一体。どうしたんだ。 不安が更に大きくなる。 じっとしていられず、部屋の中をウロウロする。 こんな時、どうしたらいいのか。 彼女の友達の連絡先なんて1人も知らない。 ましてや、両親の連絡先なんて知っているはずもない。 警察? 昨日の今日だ。 自分の意志で帰って来ていないだけかもしれない。 僕は無力だった。 何もできず、ただ、心配する事しかできない。 ただただ、彼女が無事に帰って来てくれる事を祈り、彼女の連絡を待つしかなかった。 連絡が取れない不安の中で過ごす時間というものは、これほどまでに長く感じるものなのか。 彼女を待つ夜が永遠に続くとさえ思えた。 長い長い夜が明けようとしてた。 窓の外が明るくなりだした。 一睡も出来なかった…。 結局、彼女は帰って来なかった。 連絡もつかず、どこでどうしているのか。 彼女を探さなければ。 でも、どうしたらいい? 彼女の会社の前で待ち伏せでもしようか。 ダメだ。 今日は土曜日。仕事、休みだ。 僕が途方に暮れていると、 ガチャガチャ と玄関で音がした。 僕は、慌てて玄関に走る。 そこには、玄関のドアを開けて入って来た彼女の姿があった。 僕は、彼女に駆け寄り、抱きしめた。 あぁ、よかった。無事だった。 「無事でよかった…。どこに行ってたんだよ。」 抱きしめたままで、うわずった声で言った。 「ちょっとちょっと。どうしたの?出張だけど?」 彼女は、僕とはかなり温度差のある声で言いながら、僕の身体をそっと離した。 「えっ?出張?」 僕は目を見開き、彼女を見た。 「えっ?って、うそでしょ?忘れてたの?」 と言って、今度は彼女が目を見開いた。 「先週、言ったよね。出張に行くけど、最終の新幹線に間に合わないから、夜行バスで帰って来るって。」 記憶を辿ってみると、うっすらとそんな気がしてきた。 「電話は?電話が繋がらなかったけど。」 彼女は、今度は眉間に皺を寄せ、 「それも覚えてないの?一昨日、スマホの調子が悪いから修理に出すって言ったよね?その間、何かあれば、会社のスマホに連絡してって、念の為に、冷蔵庫にも番号貼っておいたんだけど。」 と、若干、忌々しそうに言った。 それも、記憶を辿ると、そんな気がして来た。 僕が、思い返しながら、あっという顔をしたのを見て、 「もうっ!ホンットにいつも人の話を聞いてないよね。」 と言って、プンプン怒った。 やっぱり彼女はよく怒る。 でも、今日はそれすらも嬉しい。 フンっと鼻息を漏らしたあと、彼女は、血走った僕の目を見て、 「もしかして、寝てない?」 そう言って、僕の両方の頬を両手で優しく包んだ。 そして、さっきまでとは違う優しい声で言った。 「心配してくれたんだね。昨日の朝、会わずに出て行っちゃったから、いつもなら、当日の朝、もう一度伝えてたのに、ごめんね。ケチャップでは字数限られちゃって。」 「帰って来ないから、“ごめんね″が、さようならのごめんねなのかと、不安になったよ。」 と、照れ臭そうに言う僕を見て、 「そんなわけないじゃない。こんなに大好きなのに」 と、僕の目を見つめて言った。あまりにサラッと言われ、思わずでた言葉が 「えっ?」 だった。 彼女は、“えっ″じゃないわよと笑いながら、 「私、たくさん怒るけど、今でもあなたのことが大好き。私、忘れてたの。めんどくさがりで少しルーズだけど、穏やかで大らかなあなたが大好きだったこと。生活をしていると、ついつい色々が目について、言い過ぎちゃう。でもね、本当にあなたの事が大好きなの。」 そう言って、僕にキスをした。 「あ、歯磨いてなかった!」 と彼女が慌てて自分の口を押さえた。 そして、歯磨かなきゃと言って、洗面台に向かった。 今日はどんな姿も愛おしく、しばらく、彼女のキスの余韻に浸り、僕も洗面台に向かった。 僕が歯を磨いていると、先に歯を磨き終えた彼女が、キッチンで何やら言っている。 「やっぱり。何にも食べてないじゃない。」 と言っているようだ。 歯を磨き終えた僕は、 「何が?」 と、キッチンを覗きながら聞いた。 「昨日の夕ご飯!折角、作って行ったのに食べてないじゃない!」 と、冷蔵庫から用意した夕ご飯を出しながら怒っている。 「ごめん。ごめん。昨日は何も食べてなくて」 だとしても!早起きして作ったのに、もうっ!と言い、何やらまだブツブツ言いながら怒っている。 そう。僕の彼女は、よく怒る。 でも、彼女は、いつも僕のために一生懸命だ。 テレビのリモコンの定位置だって、僕が座る場所から1番取りやすい場所が定位置になっている 。靴だって、靴箱の片付けやすい場所は、全部僕の場所になっている。 いつか、もっと自分が使いやすい場所を使ってえよと言ったら、 「私は大丈夫。私がそうして欲しいってお願いしてるんだから、せめて、あなたが使いやすい場所を使って。」 と言っていた。 忘れていた。 長くなった付き合いと毎日の当たり前の生活が、彼女の優しさや気遣いを忘れさせていた。 ごめん。僕は、君に甘えていたんだね。 キッチンの冷蔵庫の前で、 これどうするのよ。お腹すいたし、朝ごはんにたべる? とブツブツ言っている彼女を見て、僕は思う。 また毎日ガミガミ怒られる日々かもしれない。 うんざりする日もあるかもしれない。 でも、僕には彼女しかいない。 そして、僕はさっき考えていた事を口にした。 「僕たちそろそろ結婚しない?」 彼女が無事に帰って来てくれたら、言おうと思っていた。 もうこんな夜は嫌だった。 今回は、僕の勘違いによる空回りだったけど、 何かあった時に、どこに連絡したらいいかもわからず、右往左往することしかできない、そんなのは嫌だ。 それに、僕は彼女がいないと、こんなにも心配になり、こんなにも不安になる。 彼女が帰って来てくれた時の嬉しさは、きっとずっと忘れない。 彼女は、一瞬、硬直し、少し間を置いて、 「結婚しない?言い方間違ってない?」 そう言って、眉間にシワを寄せる。 言い方間違ってる? きょとんとしている僕に、険しい顔の彼女が言った。 「僕と結婚して下さいじゃない?」 そうか。これは、プロポーズだ。 あっという顔をした僕に、彼女はにっこり笑い、僕の言葉を待っている。 僕は咳払いをして、敢えて、仰々しく、ひざまずき、そして言った。 「僕と結婚して下さい。」 彼女は、そこまでしてって言ってないとケラケラ笑い、そして、ポロポロと涙を流した。 僕の彼女は、よく怒る。 でも、沢山の優しさも可愛いさも持っている。 僕はそんな彼女のことが大好きだ。
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