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「ひかゆちゃん?」  汀の声にはっと我に返る。  居間に通されたままぼうっと立っているだけの光に、清正が言った。 「ちょっと、そこで待ってろよ。汀を送ってくるから」 「え……?」  よく見ると、家の中にいるのに二人はコートを着ていた。曖昧に頷いた光を、汀が名残惜しそうに見あげた。 「ひかゆちゃん、じゅっといゆ?」 「え……?」  光は清正に視線を向けた。 「光ならまた来るよ。今日はママとゆっくりしておいで」  コートでもこもこになった小さな身体を、清正が抱き上げる。 (ママ……。そうか……)  今日は第二土曜日だ。  汀と母親の月に一度の面会日。だから、昨日、「明日、汀は家にいない」と清正は言っていたのだ。 「ごめん、清正。また来る……」 「なんで。待ってろよ。せっかく来たんだろ。駅まで送ったら、すぐ戻ってくるから」 「すぐ……?」 「すぐ」 「わかった……」  汀が「まちゃね」ともみじのような小さな手を振った。光もぼんやり手を振り返した。  パタンと音を立ててドアが閉まる。  一人になってしまうと、また泣きたくなった。考えるのが辛い。  とりあえず部屋を片付け始めた。もう何年も勝手に片付けているので、留守中に光が家の中のものを動かしても清正は気にしない。  すっかり慣れて、半分当てにしているところさえあった。  清正の家は、モノ自体はそんなに多くないのだ。それぞれの定位置にきちんと戻すだけで、部屋はすぐに片付いた。  取り込んだまま積み上げてある洗濯物を畳みながら、なんとなくこれまでのことを思い返していた。  いつ頃からこんなふうに清正の持ちものや部屋を片付けるようになったのだろう。  何をやらせてもソツなくこなすくせに、清正は掃除だけは苦手だ。  逆に、ほとんどのことがうまくできない光の唯一の得意分野が掃除や片付けだった。  掃除が得意というよりも、あるべき位置にあるべきものがある状態が好きなのだ。  そのほうが美しいから。  姉に言わせれば、子どもの時から変わり者と言われている光の、数えきれないほどある「へんなところ」の一つらしいけれど。  生活の場がきちんと整っていること、いつも使うものが正しい場所に綺麗に収まっていること。  そういう状態が光は好きだった。  それぞれの雑貨や道具が、機能的で理にかなった形をしていることや、それぞれがあるべき場所にきちんとあることが暮らしを美しいものにする。  美しいものには生きることの喜びが宿っていると感じている。  建築家の父とインテリアコーディネーターの母の影響もあるかもしれないが、同じ親から生まれ、同じように育てられても、姉にはそんなところがほとんどなかった。  散らかっていても平気で、子どもの頃はそれが理由でよく喧嘩になった。  モノの置き場所に頓着しない姉の行動は、光には理解し難かった。  だが、姉の考えでは光のこだわりのほうが異常らしい。少し散らかっているくらいのほうが、普通は落ち着くものだと彼女は主張した。  身のまわりにあるものは使いやすく綺麗なほうがいい。それは比較的シンプルな価値観のはずなのだが、あまりにそれ以外のことへの関心が薄い光の場合、それが特徴のように目立って見えるらしかった。  もっとも、人からどう思われるかということを光はほとんど気にしたことがなかった。自分の好きなものを好きだと言い、やりたいと思うことをしてきた。  サッカーもゲームも、興味がないからやらなかった。みんながやるからやる、という発想が全くなかった。  そのせいか、ごく小さい頃から変わり者扱いを受けてきたように思う。  顔だけは人形のように綺麗だけれど、行動は謎だらけ。ずっと、そんなふうに言われ続けてきた。  顔のことはどうでもよかったし、どこがどう謎なのか、光にはわからなかった。  わからなくても気にならなかったし、わかろうとも思わなかった。わかったところで直そうともしなかっただろう。  直す気がないまま大人になったから、光の性格は今でもほぼ昔のままだ。  自分の好きなものを好きだと言い、やりたいと思うことをやる。モノづくりに関しては、使う人間の快適さや安全性を第一に考えるが、それさえも光自身がそうしたいと願っているからそうするだけだった。  プロダクト・デザイナーという仕事に出会えたことは、おそらく人生で一、二を争う幸運だった。  ほかのどんな仕事も、光には務まらなかったはずだから。
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