番外編 エピソードゼロ・森崎亨の同僚

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 それから実際に俺達がバディを組んで、ある老舗の製薬会社に潜ったのは、一ヶ月後のことだった。スパイを炙り出すというミッションだった。    日向の包帯は取れ、手足を引きずらずに歩けるようになっていた。髪は黒くなり、ダークスーツを着込むと、それなりにサラリーマンのように見えるから不思議なものだ。 「なんかお前、顔つきも変わってねえ?」  潜入先の昼休み、屋上でコンビニのおむすびを食いながら俺は言日向の顔をジロジロ見た。  日向が頬を撫でた。印象的だった濃いクマがなくなり、肌には多少艶が戻っている。荒みきったものが剥がれ落ちたように、険が取れていた。  ボスが日向の顔を使えると言ったことに、俺はやっと納得した。確かにこう見ると、目鼻立ちがくっきりして、なかなか整った顔をしている。 「そりゃあ変わるだろ、この一ヶ月、滅茶苦茶ダラダラして過ごしたし。こんなに休んだの初めてだ」   前はチンピラ丸出しだったというのに、口調まで柔らかくなっている。日向は煙草をくわえ、火をつけた。 「それでクマなくなったのか」 「ああ、それは合う睡眠薬が見つかって」  不眠持ちか。  一般企業に潜って正体がバレても、殺されることはまずない。組織からどういう制裁を受けるのかは分からないが。  しかし、日向の潜っていたような所ではそれがある。反社会的な組織において、スパイ行為は問答無用の万死に値する。二年もその中で暮らしていればおかしくもなるってもんだ。 「お前も自衛官上がりなの?」  俺はフェンスに肘を置いて、特に面白みのないオフィス街を見渡す。  他にも一人「武闘派」の男に会ったことがあるが、そいつも堂々とした体躯で、自衛隊で何年か修行していた。  しかし日向は、ちげーよ、とあっさり答えた。 「俺はもともと本職の半グレだ。高校も出てないよ」 「え、マジで?」  俺は目を丸くした。  この組織で多いのは、俺のような能力はあるが貧しい子供や学生を青田買いして教育し、捜査官に仕立て上げるパターンだ。  ちなみに俺は中学生の頃に、学費や家族の分も含めた生活費を組織に出して貰うのと引き換えに、一生歯車人生が決定し、そこから勉強一辺倒だ。本当は高校野球がしたかったのだが、どっちにせよ、道具も買えないくらいの貧乏さだったので、諦めた。  時間と金はかかるが、この仕事で一番の禁忌「寝返り」を防ぐのには、出来るだけ若い頃から手を掛けたほうが良い。つまり、身元が何より大切なのだ。 「そんな奴いるの」 「ここにいる」  日向は煙草の煙を細く吐き出した。  驚いたが、俺は納得もしていた。  日向は営業に配属されて、俺が思ったよりずっと器用に仕事をやっていた。かなり地頭が良く、飲み込みが早い。  それでも、やはりそこかしこにズレがあるのだ。  例えば、オフィスは禁酒禁煙という一般常識、都内の有名大学の名前、受験とはどういうものか、そういうものを知らない。  その一つ一つは些細なことだ。年齢的に辛うじて「新卒なんで非常識です」も通用するだろう。潜入を通して身についてくるものも多いはずだ。  しかし、俺らの仕事はそんなにぬるくない。そのうち身につく、ではその前に命取りになる。  どうしたもんか。俺は首をひねった。 「今回の仕事はさ、そんなに手が掛からないと思うし、大して危険でもないだろうし。正直二人も潜らせる必要ないんだけど、日向のテストみたいなもんなんだよ。あいつが一般企業潜入の仕事も出来そうか、お前が見てやってくんないか」  潜る前、俺はボスにそう言われていたのだ。  俺が、あいつは無理っすよ、と言ったらどうなるのだろう。やだなあ、こういう仕事。    日向が吸っている煙草の匂いを何となしに嗅ぎながら、俺は溜息をついた。
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