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俺達は窓を全開にして深夜の首都高を走った。トラックはそこそこ走っているので、うるさい。
「窓開けても臭えなあ」
俺はハンドルを握りながら、ぼやいた。日向にべったりくっついた灯油の臭いである。
「煙草吸いてえ」
「死ぬぞバカ。……にしてもさ」
俺はブチブチ言った。
「お前、俺に逃げろ逃げろって何なの。おもりの爺やじゃあるまいし」
窓の方を向いていた日向が振り向いた。
「おもりだよ」
「ああん? 誰のおかげで助かったと思ってんだよこの野郎」
俺が凄むと、日向は鼻を鳴らした。
「確かに今回は助かった」
仕方がなさそうに言う。
「……でも、今後お前と俺が組むことはもうないかもしれねえけど、次があれば、次は逃げろ」
「それは俺が決めるよ」
「俺とお前は価値が違うんだよ」
「は?」
日向はまた窓の奥に目をやった。その横顔を、暗闇を行き交う車のテールランプが染めて行く。
「お前は研究者だ。ここまで育てるのにかなり金がかかってるし、お前が死んだら損失がでかい。俺はゼロだ。こんな仕事をしてる以上、常に優先順位をつけるのは当たり前だろ」
「…………」
俺は黙った。
日向の言っていることは正しい。俺達はそういうところで働いているし、俺の能力の方が、多分日向の能力より稀少性が高い。
しかし俺は、目の前のこの男のことを何だか猛烈に哀しく感じ、堪らない気持ちになった。
「……組織もボスも、どんなに頑張ってもそんなに報いちゃあくれねえぞ」
「報われたくてやってんじゃない」
俺は、日向に笑われた台詞をもう一度言った。
「自分のことも大事にしなさいよ」
やはり日向はまた笑った。
「ボスには借りがある。あの人に会わなきゃ、俺はとっくにどっかで野垂れ死んでた。拾った人生だ。もうこの先、そんな多くは望まない」
たった二十五歳でか。ばかたれ。
こういう男が、きっといつか仕事で命を落とす。
しばらく沈黙が続いた。首都高の強い風が、車内を吹き抜けていく。
「にしてもやっぱ、ヤクザの女と普通のOLじゃ同じようにいかねえなあ」
日向が呟く。
「そうだよお前! だから言っただろ。ああいうことすると、こうなんの!」
俺は勢いを取り戻したが、日向はあっさり頷いた。
「そうね。いまいちな仕事だったな。ボスにはそのまんま報告していいよ」
「…………」
俺はハンドルを握り直した。
こいつは駄目だ、企業に潜るのには向かない。俺がボスにそう言ったら、どうなるんだろう。
この端正な顔を変えて、またいつ殺されるともしれない危険な潜入に専念するのか。
「……日向、お前明日俺のマンションに来い」
俺は言った。
「は? やだよ」
日向が眉をひそめる。
「俺んちには島耕作がある。それでサラリーマンってのを勉強するんだ」
俺は真面目に言った。あと、サラリーマン金太郎もある。
「え、それで勉強になんの?」
「なるよ。大体あんなんだよ」
「へー」
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