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翌日の始業前、課長が私の席に来て言った。
「岩城さん、お子さんが熱で休みだってさ。A社の注文処理、今日締切のやつあるんだって。芳川さん、フォロー頼んでいい?」
「あ……分かりました」
もう直接ご指名が来るようになったか。パソコンを起ち上げていると、斜向いの席の戸田さんが、白けたような顔で話しかけてくる。
「岩城さん、病児保育とか使えないのかなー。最近特に休み多くない?」
「んー……そうですね。でも私なら大丈夫ですから」
私は答えたが、戸田さんは口を尖らせた。
「芳川さんを心配してるんじゃないよ」
シャネルのコスメが大好きだそうで、今日もリップラインが完璧だ。
「度々いないんじゃ、お客も困るしね。これだから子供いる人は使えないとか思われたら、後に続く女性社員にも迷惑でしょ」
「あ……そうですね」
戸田さんがそういう目線を持ってたの、失礼かもしれないけどちょっと意外だ。一理あるかもしれない。けれど、病児保育を使ってまで仕事しに来い、ってこっちから言うのも違うような。
私はパソコンのメモにtodoリストを入れている。自分の仕事の優先順位を確認してから、岩城さんのA社の注文処理に取り掛かるけれど、すぐ行き詰まった。注文書を見つめながら思わず声が漏れる。
「重要な数字抜けてるじゃーん!」
私は自分の担当の注文書は必要事項を記入した上で客に交付し、確認と捺印だけして返してもらうことにしている。ミスや抜けがあって都度確認するより効率的だからだ。そうしたらどうですかって、岩城さんにも言おうか。先輩だし言い辛いな。
抜けのあった数字も、担当の岩城さんならすぐ分かるのかもしれないけど、たまのフォローをするだけの私には分からない。A社の購買担当に電話して確認して、何やかんや時間がかかった。
「うちのA社のフロントは……日向さんか」
私は担当表を確認して、少しホッとする。そうしたら、これ以上無闇なトラブルも起こらないだろう。
しかし、昼休みを返上して働いた私が、コンビニでおにぎりでも買って来ようと思ってやっと腰を上げたとき、興奮した課長の声が聞こえてきた。
「え、A社の新商品の部品受注取れたの!?」
「ほぼ決まりです」
日向さんが涼しい顔で課長席に報告している。
「すっごいなー、あそこ絶対シェア動かしてくれないのにさ。よく取れたね」
課長は無邪気に喜んでいる。A社は液晶などに組み込むタッチパネルの製作をする大手企業だが、もともとイツワ化学のシェアが低くて、代々担当はさして力を入れていなかった取引先である。
「日向さんって本当にすごーい」
戸田さんも手を止めてそれを聞いており、うっとりと呟いた。凄いですね、と私も素直に頷く。
「私コンビニ行ってきます」
「はーい」
私が課長席の横を通ろうとした時、椅子に座った課長が、
「芳川さん」
と声をかけた。課長の前に立っていた日向さんも振り向く。
「ちょっといい」
「はい……」
お腹減った。と思いながら私は足を止めた。
「A社の受注が大幅に増える見込みなんだ。特注品で特殊だし、開発と打ち合わせして進めていかないといけない。フロントは日向君だからいいんだけど、事務処理も軌道に乗るまで大変そうだ。事務担当は岩城さんだけど大変だから、芳川さんフォロー入ってくれる?」
やはり。薄々予想していた私は、ぎゅむっと唇を結んだ。
また岩城さんのフォローか。やります、と即答したいところだけど、若干疲れ始めていた。もう既に人より担当量が多いし、現状でもパンパンだ。
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