1.出会いは葉桜の季節

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 準備しているうちに二課の面々が集まり、課長が乾杯の音頭を取って、花見兼歓迎会が始まった。そこら辺に小さな円座がいくつかできている。  私は瓶ビールを持ってそこら辺を駆け回っていた。  乙ちゃんは向こうの方でちゃっかり腰を落ち着けているが、元が酒豪で、彼女が飲むと楽しくて周りも喜ぶから良いのだ。今もどういう状況なのか、梅酒の瓶を鷲掴みにしてアイドルのようなポーズを取っている。酒が弱い私は下働きに徹するのみ。 「美月ちゃん、ハイボールあるー?」 「ウイスキーあるから作りますよー」 「濃いめでお願ーい」  ホステスか。なんて思いながらもドリンクを作りまくって、プラのコップが空になっている社員がいないか目を配る。 「日向さん、何にします」  日向さんのコップが空いたのを見て、声をかけた。嫌いだからと言って無視できない。煙草を咥えた日向さんは手を出した。 「自分でやるから、焼酎ちょうだい」 「ハイ」 「あっ、私やりますよー」  やんわりと私から焼酎の瓶と氷の袋を奪い取ったのは、二年先輩の戸田さんだった。どうぞどうぞ。 「美月ちゃん、もう座りなよ。あとは飲みたい人が勝手に作りなー」  見兼ねた先輩社員に手招きをされ、私はやっと腰を落ち着けた。  缶のカルピスサワーをちびちび飲むみながら、日向さんをこっそり観察する。  上着を脱いで、ワイシャツの袖をまくっており、無表情で煙草を更かしている。上着を着ているときは細身に見えたけど、脱ぐと胸と肩周りがデカい。何かスポーツでもやっているのだろうか。  この一週間で、日向さんは「仕事が出来る」ということを課内に周知した。  自分で言うだけあって抜群に頭がキレて、財務諸表も読めるし、イツワ化学の製品を完全に理解し、未経験のはずの化学分野の業界にも詳しい。愛想は無いくせ、口八丁で営業センスは抜群。  多少人間性に難があろうと、仕事ができるのは正義だ。  課内では、日向さんは「何か怖いけど一目置かざるを得ない」という雰囲気になって来ている。  私はちょっぴり、面白くない。 「日向さんって、前広告だったんですよねー。その前は製薬だったって。うちはプロパー多いし、そういう人珍しいですよ。なんでうちに来たんですか?」  戸田さんが興味津々で日向さんに話し掛けた。無造作アップヘアにして、白ニットを着た戸田さんは、田中みな実にちょっと似ていて凄く可愛いけど、口の悪い女子社員は彼女を評して蠅取草と言う。食虫植物だ。イケメンには目がない。  日向さんは顔を反らして煙草の煙を吐くと、飄々と言った。 「コネだね。人事に伝手があって、前のとこクビになった時、ちょうど話が来たから」 「え、クビ?」 「女性問題で」  日向さんはへらへらと笑った。こっそり聞いていた私は呆れて白目を剥いた。戸田さんは、冗談なのか違うのか測りかねる、という表情をしていたけれど、にこりと微笑んだ。 「やだあ、プレイボーイですね」  冗談と思うことにしたらしい。 「日向さん、大学はどこですか」  男性社員の一人が聞く。この会社には学閥めいたものがあるのだ。本当に馬鹿みたいだと思う。 「俺、中卒」  日向さんはあっさり答えたが、大卒しか採用しないので、これは明らかに冗談だろう。男性社員は皮肉だと受け取ったのか、乾いた笑い声をあげた。 「美月ちゃん、彼氏出来た?」  私が日向さんの方に聞き耳を立てていると、いつの間にか隣にやって来たのは、佐藤さんだった。独身三十九歳だが、頭髪が寂しくなりかけている。 「出来ませんよー」  うんざりしつつ、愛想笑い。最近はこういうのもセクハラになるのを知らないんだろうか。かと言って、こんなところで「セクハラです!」だなんて言える筈もない。 「美月ちゃん可愛いからなー、より好みしてんじゃないの?」  佐藤さんの口調は軽薄だが、目が座っていて怖い。 「あ、いや、そんなことないんですけど……」 「可愛いからさー、心配だよ」  佐藤さんは酔っているらしく、可愛いをやたらと連発してくる。普段はとっても大人しい人なのだが、酔うと人が変わったようにしつこく絡んでくるのだ。勘弁して欲しい。
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