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番外編 エピソードゼロ・森崎亨の同僚
俺こと森崎亨がその男に会ったのは、今から七年前、二十五歳の夏のことである。
俺は潜入捜査官になって二年目だった。
俺は高校を卒業後、アメリカの大学で電子工学や化学など広い分野の研究をかじらされ、帰国後間を置かずに「組織」の指示の下、企業や研究機関なんかに潜入していた。
潜入捜査官は孤独な仕事である。古今東西孤独な職業ランキングがあったら、首位間違いなし。
潜入先の社員とは情報を得るために、良好な関係を築かなきゃいけない。心理テクニックも使うが、まあ一番求められるのはごますりと愛想笑いだ。こちらの身分は絶対誰にも明かしちゃいけない。気軽に愚痴を言う相手もいない。
「オレ向いてないっすよー」
俺は何回もボスにこぼした。
「えー、お前向いてるよ。肝座ってんじゃん」
ボスはその度にそう言ってくれるが、
「でも、向いてないからってどうすんの? ここまで働いといて、普通に転職できると思ってんの?」
と笑顔で言われてから、愚痴をこぼすのはやめた。ボスの目は笑ってなかった。こえーオッサンだ。
ボスに呼び出されたのはそんなある日のことだ。
都内に組織の拠点はいくつかあるが、その時指定されたのは、神田の古い雑居ビルの一室である。
俺が所定の順序を経て部屋に入ると、書架が所狭しと並べられた部屋の中央に、一つだけ大きなデスクが置かれ、そこに「ボス」が座っていた。
俺を見ると微笑む。ぱっと見、ロマンスグレーのイケオジなのだが、得体のしれない不気味な男である。
「おう、座ってくれ」
ボスがデスクの前のパイプ椅子を指したが、椅子は二つあって、先客がいた。
短く刈り込んだ金髪の男が、だらしなく大股を開き、椅子にもたれかかるように座っている。
俺が空いた椅子に座ろうとしたら、まともに目線がかち合い、俺はその迫力に唾を飲んだ。
何コイツ。やっべえ。
男の頭から額にかけては包帯が巻かれており、その下から、濃いクマに縁取られた鋭い眼が、ギラギラ光りながら俺を睨みつけていた。
身体の大きな男で、シャツを着ていても、その下の筋肉の隆起ははっきり見て取れる。
左の二の腕から覗いた鮮やかな麒麟の刺青が、男と一緒になって俺を威嚇していた。本物か?
若干たじろいだものの、あまりに男が無遠慮に俺を見てくるので、俺も負けじと睨み返してやった。チビをなめんなよ。
「お前らはお仲間だよ。そいつは『武闘派』、……こっちは『研究者』」
俺達にボスはそう説明し、首をひねった。
「名前がないと不便だなあ。うん、お前は、森……森崎にしようか。森崎享ってどう」
ボスに言われて、俺は仮の偽名なんて何でも良いと思い、頷いた。それから七年、メインで使う名前になったけれども。
ボスは今度は刺青男に向かって、楽しそうに言う。
「お前も新しい名前がいるね……えー、苗字が日向でいいや。名前何にしようか? 彰暢ってどう? 昔、俺の又従兄弟の近所に住んでたオッサンの名前だよ」
「何でもいー」
日向という名を得た男は素っ気なく答えた。
ボスは俺達の顔を見比べて、にっと笑う。どうも嫌な予感がする。
「次の仕事、お前らバディ組んで」
「うえーっ」
声を漏らしたのは俺だった。
あ、しまった。
案の定、日向が鼻に皺を寄せて吠えてくる。
「んだよてめえコラ!」
「まあまあ、仲良くして頂戴ね」
ボスは手をひらひら振り、幼稚園児を諭すように言った。
「うちの組織はさ、今森崎がメインでやってるような技術防衛の仕事の扱いを増やしてくことになりそうなんだよね」
「え、そうなんですか」
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