1章

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学校が終わり寮の自室へ帰ると、玄関には既に同室者の靴があった。 見慣れた踵が潰れた革靴を見て、リリはそっと溜息を吐く。 ルーク・イヴァンユ――彼は吸血鬼のαだ。 リリは、この同室者がとても苦手だった。 リリと同じ学年だが、クラスは違う。ルークは、1学年の時からララと同じクラスだが、ララも親しくはしていないようだ。 同室にならなかったら、きっと一生話す機会もなかっただろう。それ程に、反りが合わない。 喧嘩や言い合いをするわけではないが、如何せん共通の話題も無く、顔を合わせても互いに無言で過ぎ去る事が常だ。 通常、αとΩを同室にするのは可笑しいと思うが、残念ながらΩに配慮してくれるような優しい世界ではないし、自分の身は自分で守れという風潮なので、その辺はもう諦めている。 幸い、リリは発情期の抑制剤が効きやすい方だし、発情期をコントロールする為のピルも毎日飲んでいる。 自室には鍵もついている為、いざとなったら鍵を閉めて篭もればいい。 そう思いながらルークと同室になって、早1年と2ヶ月。今の所、何も不祥事は起きていないが仲良くなれる気配は1ミリも無い。最早、マイナスなのではないだろうか。 彼もリリと同じ部屋は嫌なのだろうが、それはリリだって同じだ。因みに、ララとアレクは同室なので羨ましくて仕方が無い。叶うならば、自分もララ達の部屋へ住まわせてほしいくらいだ。 「ただいま……」 一応、小さな声ではあるが、ただいまを告げるのはリリの習慣だった。 返事が来ない事は分かっているし、端から期待もしていない。 玄関で靴を脱ぎ、リビングへ向かうと、そこには珍しく同室者の姿があった。 いつもは大抵自室に篭っていて、出てくるのは食事や風呂やトイレ等の最低限の時だけだ。 それなのに、今日はリビングのソファーで横になったまま無防備に眠っている。 余程熟睡しているのか、リリが近くへ寄って行っても全く起きる気配が無い。 あまりの珍しさに、リリは思わずルークの寝顔を覗き込む。 青白く血の気の薄い肌に、夜を纏ったような漆黒の髪。今は静かに伏せられているが、彼の瞳は紅蓮のように赤い。そして薄っすらと開かれている口から覗く鋭い八重歯は、吸血鬼特有のものだ。 人種が異なると、こうも容姿が違うのだなと改めて関心してしまう。 リリは彼の事が苦手ではあったが、容姿については羨ましく思っていた。 「……黒い髪に赤い瞳って、何となくかっこいいよね」 思わずポツリと独り言が口を突いて出てしまう程に、ルークは整った顔立ちをしていた。 リリ自身、髪の色も瞳の色も色素が薄いので、深い色の光彩を羨ましく思う。 反りは合わないのは確かだが、彼の容姿は永遠に見つめていたい程だ。 「……こんな、"いかにも吸血鬼です"みたいな髪と目なんてかっこよくもなんともねえよ」 吐き捨てるような言葉と共に、先程まで閉じていた瞼が開かれ、リリは思わず目を瞠る。 ルークは、不快感を隠す事なく嫌そうな表情を浮かべているが、やはり彼の瞳は、まるで柘榴石のようでひどく綺麗だなと思った。 確かに、黒色の髪は吸血鬼か人間しか持ち合わせない色だ。だが、赤い瞳は吸血鬼の中でも稀なのだと思う。何故なら、リリはルーク以外に赤い瞳を持つ吸血鬼になど会ったことがないからだ。 そもそもに、他の種族にも赤い瞳を持つ者は殆どいない。魔法使いにもライカンにも。 ルノアール異種族学校には、沢山の生徒がいるのにも関わらずだ。 「……あんま見んじゃねえよ」 「……別にいいじゃないか。だって、僕は君の黒い髪と赤い瞳がとても好きなんだから」 「ハッ…物好きな奴」 リリの素直で率直な言葉に、ルークは一瞬驚いた様に目を丸くしたが、嘲笑うように言葉を吐いて捨てた。 「……俺は、お前の銀色の髪と目が羨ましくて仕方ないけどな」 ポツリと、それは僅かに聞き取れる程の小さな声だった。 何かを諦めた様な、何とも言えないその言葉と表情に、リリはどう言葉を返したらいいのか分からずに口を噤む。 どうやら彼は、自分の容姿を好きでは無いようだという事はわかった。 1年以上も同じ部屋で生活を共にしているというのに、初めて知った事だった。 寧ろ、こんなに会話をした事さえ初めてかもしれない。 何故だか分からないが、リリはもっとルークの事が知りたいような気持ちに駆られていた。 今更かと思われてしまうかもしれないが、どうしてか気になってしまう。 だって、彼はこんなにも顔立ちが整っていて身長だってリリより10cmは高い。それにαなのに。 そんな彼が自分の容姿を嫌っているだなんて知って、疑問に思わない方が可笑しいのではないだろうか。少なくとも、リリは彼の事がもっと知りたいと思ってしまった。あんなに反りが合わないと思っていたのにも関わらずだ。 「ねえ、ルーク。君は、僕の事嫌いだよね?」 色々と、ルークの事が知りたいとは思うものの、そもそもに多分自分はルークに嫌われているのだ。 嫌いな奴にだらだらと話し掛けられるのは嫌だろうし、確認の意味も込めての言葉だった。 嫌いだと面と向かってはっきり言われたならば、これ以上詮索はせず、今までの様に空気の様に過ごすだけだ。 けれどもし、嫌われてはいないのなら、色々と話してみたい。 リリは、普段あまり積極的な方ではないし、どちらかといえば小心者だ。だが、自分が興味をもったものに対しては貪欲さを滲ませるような質も持ち合わせていた。 リリの言葉に、ルークは何とも言えない顔をしつつリリに視線を向けた。困っているような、そんな間があいた後で、口を開く。 「別に……嫌いではないけど」 「…え?本当に?」 「ああ…嫌いな奴と1年以上も同じ部屋で過ごすなんて俺には無理だしな」 それは、リリにとって青天の霹靂だった。 絶対に嫌われているとばかり思っていたのに。 「……それもそうか」 嫌われていなかったのなら、もっと早く歩み寄ればよかった。 けれど、彼もリリに近寄ってはこなかったのだし、今こうして面と向かって尋ねなければきっと卒業するまでまともに話せぬまま過ごしていただろうと思う。 「僕、これからは毎日ちゃんとルークと話しがしたい。もっと君の事が知りたいんだ」 「……俺の事なんて知ったところでどうすんだよ」 「うーん…別にどうするわけでもないけど。何となく君に興味がわいたんだ。だから知りたい。勿論、ルークが嫌じゃない範囲までで構わないから。…駄目かな?迷惑?」 「……別にいいけど、変な奴」 ルークはそう言って、一瞬、ほんの少しだけ微かに微笑んだのだった。
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