ペペロンチーノ・デイドリーム

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「なあ、鯉さん。腹減ってないかい? 食パンならあるよ」 「ペペロンチーノがいいな。ニンニクがしっかり利いたやつ。ゆで加減は柔らかめで」 「何、ペペロンチーノだと? そんなもん作れやしないよ。生憎うちにはスパゲティもニンニクもないんだ」  勝手に上がり込んでいるくせに厚かましい要望を言う。男は首を振って答えた。鯉は唖然として口を開いたままでいる。 「信じられない。君は普段何を食べているんだい?」 「スーパーの惣菜とか、野菜炒め、味噌汁。焼くだけの簡単なものなら作れるよ」  男は普段、料理なんて面倒なものはしない。米だけは炊くが、あとは出来合いのおかずを買うのがほとんどだ。時々健康への免罪符のように野菜を適当に炒めて食べるが、味なんて二の次だ。腹が膨れさえすればいい。 「なんと嘆かわしいことだ。人間、たまにはパスタを食べないと駄目だよ。休日こそ欲望を発散しないと。最後にニンニクを食べたのはいつだ? ずっと我慢しているんじゃないかね? ニンニクは活力の源だよ。たまにはペペロンチーノでガッ! と精をつけなくちゃ」  うるせえな、お前は魚類だろう。魚畜生が人間様を語るんじゃねえ――男は腹が立ったものの、確かにニンニクなんて久しく食べていないことを思い出した。そう言われると無性に食べたくなってくる。男はごくりと唾をのんだ。 「我輩が作り方を指南しよう。この小さな脳みそにはあらゆるパスタのレシピが刻まれている。君はそれに従って動いてくれたらいい」  鯉は頭頂部を男に見せつけた。自分で小さな脳みそって言うなよ。男は呆れる。 「分かった。スーパーで適当に買ってくるよ」 「オリーブオイルはあるんだろうね。手を抜いて市販のソースなんかで作っちゃあ駄目だよ」  見抜かれてぎくりとする。この魚は徹底的にペペロンチーノを作らせようとしているのだ。こうなればとことん付き合うしかない。  男は降参の意を示し、財布を取り出して家を出た。うっとうしい真夏の日差しが曖昧な脳の活力をさらに奪った。道路には陽炎が出ていた。何だか別の国にいるような気分だった。
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