ラストチャレンジ

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ラストチャレンジ

 最悪だ。危惧していたことが現実になってしまった。せめて一文を書ききれと俺は言いたい。しかも変換すらしていない。ここまで堕落してしまっては一行で終わるようになるのも時間の問題だ。  とにかく今日の俺は、早くも人間界に降り立つことに成功した。今すぐにでもこの小説を完結させたいという作者の気分がそうさせるのかもしれない。  いつもどおり、回収する予定の魂は二つ。だが今の作者にこのノルマを達成させる気などないだろうから、俺の願いは最初から魂を一つでも回収することだ。そのためにはこの日死ぬ予定の二人のうち、より描写が少なくて済みそうなほうへ足を運ぶ必要がある。  片方は事故死、もう片方は死刑だ。もちろん死刑囚となればそいつが起こした事件に触れなければならないし、「本当は冤罪なのに」という不条理な展開を作者は好んでいる。下手したら俺がその死刑囚を救うことになるかもしれない。俺が目指すべきなのは間違いなく事故死側の人間だ。  事故が起こるのは見通しの悪い交差点だ。角を曲がってくる乗用車に、猛スピードのトラックが衝突する。回収しなければならない魂は、トラックの運転手の方だ。男性は居眠り運転をしていたせいでスピード管理を誤り、さらには事故の衝撃で気が動転し、そのまま近くの建物に衝突してしまうのだ。運転席から放り出された運転手はフロントガラスを突き破り、全身を壁に打ち付けて絶命する。ちなみに乗用車の運転手は一命を取り留めることになる。  正直、居眠り運転による事故死と聞いたときは心が躍った。これでは間違いなく居眠り運転をする側が悪いからだ。冤罪で死刑になるみたいに、不条理に殺されるときは必ずその人の背景を明確にしなければならない。それでないと読者は納得しないからだ。しかし悪者が死んだときはどうだ。悪行を働いた者が死んだとして、それは当然の結果だということになる。悪いことをした人間の魂をお迎えするのに余計な描写は必要ない。人間は不謹慎だなんて言うかもしれないが、作者のやる気がなくなる前に仕事をこなしたい俺にとっては都合がいいのだ。  さて、事故を起こす予定のトラックが動き出した。運転手の男はどうやら電話をしているようだ。これから居眠り運転をして他人を巻き込む人間が、一体どのような会話をしているのか、少し聞いてみよう。そう思った俺は空中を滑り、そのトラックへ近づいた。 「うん、もうすぐで終わるよ」  男はハンドルを操作しながら、優しく語りかけるように喋っている。話を聞いているうちに、電話の相手が彼の妻だということがわかった。 『あなた、私のお腹に子どもが出来てからずっと働き詰めじゃない』 「大丈夫だよ、これくらい。我が子のことを思えば楽なものさ。それに、生まれてからお金がなかったんじゃ困るだろう?」 『そうだけど……、無理はしないで』 「ああ、もうすぐ帰るよ。それじゃあ。愛してる」 『うん、私もよ』  そこで電話は切れた。男は大きく息を吐くと、エナジードリンクを呷り、「よし」と呟いた。俺は電話の内容を聞いてしまったことを後悔した。この男は、新たに生まれる生命のために無理して働いていたのだ。  それから間もなく、魂と肉体の結合が緩み始めた。儀式がどんなものかを説明していては作者がやる気をなくしてしまうため省くが、そもそも奴が儀式の内容まで作り込んでいるかは定かじゃない。とにかく、俺は早く儀式をして彼の肉体から魂を引き出す必要があった。  運転手のまぶたが下がり、トラックがふらりと揺れる。もうすぐであの交差点だ。しかし俺は、儀式を始めることができなかった。男は目を覚まし、驚いたような表情のままブレーキを踏んだ。けたたましいブレーキ音がして、トラックが交差点の直前で停止する。 「おい! 危ねえだろ!」  乗用車の窓からはげ上がった頭と怒声が飛び出す。男は申し訳なさそうに何度も頭を下げた。
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