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玉音放送は九州で聴いた。ラジオの音はひび割れていた。天皇陛下のお言葉はその半分も聞き取れなかったが、神国日本が破れ去ったということだけは辛うじてわかった。敗けた悔しさというよりも、そもそもはじめから万にひとつも勝ち目のない総力戦に国民を引きずり込んだ無謀な軍部と無責任な国家への暗い怒りで、五臓六腑が熱くなった。 若い将校たちが、次から次へと軍刀を腹に突き刺して、泣きながら命を絶った。親しくしていた本田軍曹が、拳銃を握りしめて唇を戦慄かせていた。 南条は本田から拳銃をもぎ取って言い聞かせたのだった。 ――やめておけ。俺は生きる。貴様も生きろ。 ――天皇陛下に申し訳が立たん。 ――天皇陛下が兵隊の無駄死にをお喜びになるはずがない。今死んだらただの無駄死にだぞ。 ――無駄死にとはなにか! ――俺は事実を言ったまでだ。生きろ。生きて親孝行しろ。 ――貴様ぁ! それでも日本人か! 本田は南条の手から拳銃を引ったくるなり、銃口を自らの喉元に圧し当てた。 ――天皇陛下万歳! 銃声と共に本田は絶命した。 自決しなかった戦友たちは、玉音放送を聴いたのちも続々と出撃していった。一部の者は泣きながら帰ってきたが、ほとんどは帰って来なかった。燃料が足りなかったり飛ばせる航空機がなくて出撃を断念した連中は、米英軍への恭順を主張する上官らを抜き身の軍刀を振り回して恫喝し、そして追い詰めた。一億総玉砕の徹底抗戦を叫ぶ狂信的な青年将校たちから袋叩きになった大佐や中佐などの高級将校たちが、ぼろ雑巾のようになって部下たちに命乞いし、恥も外聞もなく泣き喚いていた。南条は出撃しなかったし、無条件降伏を呼び掛ける上官たちへの容赦なき私的制裁行為にも加わらなかった。
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