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すべてを読み終えた後、南条夏央は祖父の言い遺した言葉に従い、庭に出て祖父の手記に火を放った。庭の片隅に、小さな焚き火が出来上がった。
庭先で小さな焚き火をぼんやり見つめていると、従姉妹の真理子がいつの間にか隣にいた。真理子は夏央と同い年であり、そのせいか親類の中でも特に親しかった。小学校低学年の頃など、本気で真理子と結婚しようと思ったりもしたものだ。だがそれも今となっては遠い思い出の黄昏にすぎない。
「それ、お祖父さんの日記だったの?」
「そうだね。日記のようなものかな」
「私、今でも信じられないのよ。あの優しいお祖父さんが、日本で一位二位を争う大きな暴力団の親分だったということが」
「お祖父さんは、女の子には甘かったからね。僕なんか子供の頃はお祖父さんが本気で怖くて、顔を正面から見れなかった。でも、よく考えてみたらお祖父さんに叱られたりした記憶がないんだ。僕は小さかった頃からお祖父さんを色眼鏡で見ていた。悪い孫だよ」
夏央は語り続けた。
「警察官になりたかった。でもそれは叶わない夢だ。祖父が日本最大規模の暴力団南条組の初代組長だからね。身辺調査の段階でアウトさ。どれほど努力しようと僕は絶対に警察官にだけはなれない。悔しくて、お祖父さんを恨んだりしたこともあった」
「今でも恨んでるの?」
「わからないよ。わからないんだ。わからないなんてあまりにも冷たすぎるよね。そもそも、お祖父さんはなぜ僕にあんな手記を読ませたかったんだろう。それさえわからない」
「夏央ちゃん、読み終えた後も、お祖父さんを肯定してあげられそうにないの?」
それには答えずに、夏央はただ「僕は悪い孫だよ」とだけ言った。
風が吹いた。風は冷たく湿っていた。
夏央はバケツに汲んであった水を焚き火に流し込み、小さく燃え盛る炎を消し去った。
「お祖父さんの書いたものを読んで、ひとつだけわかったことがある」
夏央は水に濡れた灰を眺めている。真理子は夏央の横顔を見つめた。
「僕はお祖父さんが好きだ。どんなに悪い男だとしても、僕はお祖父さんが好きだ。お祖父さんの孫として生まれて良かった」
真理子は夏央を見つめ、静かにうなづいた。
居間では一男叔父が、親類たちを前にして語気も鋭く息巻いている。
「私は決めたんだ。四十九日も済んだし、あの連中とは完全に縁を絶ちきる」
一男叔父が言った。
一男叔父が言うあの連中とは、言うまでもなく四代目南条組のことを指している。
「南条組には組織名に南条の名を使わないよう裁判所を通して要求するつもりだ」
「しかし一男兄さん。暴力団がそう簡単にこちらの言いなりになるとは思えないよ。瀧本とかいうあの四代目はなかなか一筋縄ではいかなそうな男だよ」
夏央の父である敏也の沈んだ声が、庭先の夏央と真理子にも鮮明に聞こえる。
「何年、いや何十年掛かろうとも、必ず南条の名の使用を中止させるさ。弁護士費用はいくら掛かってもいい。必ず組織名から南条の名を外させる」
一男叔父が声高に言った。
大気は湿り気をさらに増してきている。身体も冷えてきた。
「中へ入ろう」
夏央が言うと、真理子はうなづいた。
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