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B29への体当たり攻撃は、死を前提とした特攻隊と違い、ある程度は生還が見込める作戦だった。上空でB29に体当たりし、その後は脱出して落下傘で降下する。可能ならば傷ついた乗機をだましだまし操って基地へ帰還する。もちろん上手く脱出できなければ散華となる。中には操縦技量が足りぬばかりにB29の大編隊に接近することさえ叶わぬ者も少なからず存在する。三式戦闘機飛燕の操縦者が誰でもB29に体当たりできるわけではない。できない者はどうやってもできない。そういう連中は鉄拳制裁を食らった挙げ句に特攻隊に無理やり志願させられる。その手の未熟な連中とは裏腹に、一度の体当たりでB29を同時に二機も撃墜して名誉の戦死を遂げ、二階級特進した英雄もいる。B29への体当たりはとても正気とも思えぬ戦法だが、大日本帝国陸軍航空隊の定めた正式な作戦であり戦術であった。 南条は操縦技量に長けていた。裸眼視力は二・五以上であったし、剣道で鍛えたせいか、動体視力も反射神経も人間離れしていた。当然のように、グラマン戦闘機やP51戦闘機との組んず解れずの格闘戦でも、圧倒的な強さを見せつけた。超大型爆撃機B29の編隊にも真っ先に突っ込んで、機銃射撃を雨霰と食らわせてやった。しかし、体当たり戦法だけは、断固としてそれをやらなかった。体当たりは、脱出に失敗したらそれで終わりである。それよりも、通常の迎撃を繰り返したほうが、間違いなく御国のためになると、そう判断したのだ。
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