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 温厚な種族・ナタタ族はいつも疑問だった。  川を挟んだ隣の草原に住む、どう猛な種族・ホニニ族。どうして彼らは、ああも毎日何かに怒っていられるのだろうか。 「このままでは地球が危ない!」  今日もホニニ族の若者が、長い槍を天に突き上げて、お決まりのフレーズを叫んでいる。全身に獄彩色のペイントを施したホニニ族は、いかにも狩猟民族と言った出で立ちで草原を駆け回っていた。温厚なナタタ族の娘・ナターシャは、川岸で魚を釣りながら、いつもそれを物珍しそうに眺めていた。ナターシャには彼らの言うことが良く分からなかった。そもそも彼女は草原から出たことがないため、彼らの言う『地球』と言うのが、一体何を指すのかさえ知らなかった。 「我らの魂が穢されてしまう!」 「一族の誇りを取り戻すために!」 「戦うぞ! 我らの未来と希望をかけて!」  これもまた、ホニニ族が良く使う定型文だった。  ナターシャが思うに彼らは、常に戦う理由を探していて、彼らの魂は、いつも何かに脅かされている。狩猟民族なので、何かを敵にして、因縁をつけ、誰かと戦ってなきゃ気が済まないのだろう。よくよく観察していると、彼らの誇りは常々削られがちで、『未来』と『希望』と言うのは、(彼女にはその言葉の意味さえ分からなかったが)いつの間にか無くしてしまうものらしかった。だって毎日の様に『希望』を探し回ってるのに、月が変われば、また血眼になって大騒ぎしているのだから。 「そんなに毎日毎日、貴方たちは一体何に怒っているの?」  ある日、物々交換の場で、釣り上げた大物を差し出しながら、ナターシャは思い切って聞いてみた。単純に疑問だったのだ。理由が知りたかった。草原に迷い込んだ、血に飢えた獣も追い払った。川を下ってきた疫病も退けた。雷雨も、火事も、しばらくは休暇中だろう。後何に怒っているのだろうか。どう猛なホニニ族の首長が、ナターシャのつぶらな瞳をじっ、と見下ろして唸った。 「我らは常に脅かされておる」 「だから、何に?」 「何もかもじゃ。見ろ、これが我々ホニニ族が『怒ることリスト』じゃ」  そう言って首長はずらっと文字が並んだ羊皮紙を広げて見せた。 「先月も、消費税が80%に上がった」 「まぁ……そんなに?」 「誰かが戦わねばならぬ。誰かが声を上げねばならぬ」 「その通りだ」  首長の後ろで、ホニニ族の若者たちが槍を突き上げて賛同した。 「『このままでは地球が危ない』も、もうすぐおかげさまで50周年を迎える。来年は50周年を記念して、プラスチックを撲滅するつもりじゃ」 「『このままでは地球が危ない!』」 「我らの魂が穢され続けて早100年。勘違いするな、汚れているのは、決して手入れを怠ったからではない。怒りの炎を絶やすことなく煮込み続け、創始以来守ってきた伝統の味を、とくとご堪能あれ」 「『我らの魂が穢されてしまう!』」 「親に誇られたことも、先輩に誇られたことも、いい思い出。今では立場が変わり、今度は私が誇る番です」 「『一族の誇りを取り戻すために!』」 「誰かが戦わねばならぬ。誰かが声を上げねばならぬ。一つ一つ、丁寧に怒ることが肝心じゃ。怒らなければ、戦わなければ、未来や希望は決して見つかることなどなく……」 「首長!」  すると、別のホニニ族の若者が慌ててテントの中へと駆け寄ってきた。 「大変です! 空に大量の円盤が!」 「何?」  急いで外に出てみると、空を埋めつくさんばかりに、銀色の円盤の群れが宙に浮いていた。辺りは一瞬で様変わりしていた。太陽は翳り、草原はまるで夜が訪れたように、真っ暗に染まっていた。草木は戦慄き、動物たちは驚いて四方八方に逃げ回っている。ナターシャは悲鳴を上げた。 「なんと言うことじゃ……」  首長は小刻みに体を震わせながら、宇宙からの侵略者を見上げて呟いた。 「まだ今日中に怒らなければいけないことがこんなに残ってるのに。再来月まで、怒りの予定がいっぱいじゃ。せめてもう少し遅れて来てくれれば、我々も彼らと戦えたのに」  ホニニ族ががっくりと肩を落とすのをみて、温厚なナターシャもさすがに怒った。
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