chapter 1_2

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chapter 1_2

   ーーfrom A.D.2045_U.S.A-Los Angeles  任務先から戻るとまず、所属する情報局時間情報部のオフィスに向かう為にエレベーターに乗り込む。扉が閉まるとタバコに灯を点ける。上昇していく狭い箱があっという間に煙で満たされてゆく。喫煙禁止を警告するアラートをBGMに、僕は先日見た壁のシミを思い出す。  何故規則性のないインクの飛沫が芸術的に見えるのか、偶発的なものに美しさを感じているのか。以前、恋人と美術館にキュビズムを見に行った時、ピカソの絵を「ただの落書き」と評したことで、大いに恋人の反感を買ってしまってから芸術は苦手分野だ。そういえば、彼女の名前は何ていったっけ。  目的の階に到着し、扉が開くと同時に、充満した煙が吐き出される。まるで宇宙船から下船したエイリアンみたいだと思いながら僕はエレベーターを降りる。そこには、だだっ広い白い空間が広がり、沈黙を以って僕を受け入れる。五十メートル程先には高級オーク材のデスクがあり、そこには美しいブルネットの髪を丁寧にまとめた局長の秘書、アビゲイル・シュアが鎮座している。いつもの光景だ。  アビゲイルのデスクまで歩く間、ID、網膜、指紋、声紋、歩行、静脈パターン、ナノマシン照合、様々なバイオメトリクス認証スクリーンが眼前に現れては許可のグリーンランプを灯し消えていく。僕は若干のうっとおしさを感じながら歩くスピードを緩めずに、それらのスクリーンをすり抜けていく。この認証が拒否された場合、セキュリティが作動して床に穴が空いて階下に落下するとか、天井が開いて槍が降ってくとか、壁からレーザー銃が飛び出し、ビームで焼き払われるとか、社内でそんな噂がある。何故それらセキュリティのセンスが前時代的なのは、設計者の美意識なのか、はたまた根も葉もない噂なのか、真相は謎である。仮にその噂が真実であったとしても、それを拝む事になるのはまっぴらごめんだが。  幸運にもそれらのセキュリティは作動せず、僕はアビゲイルのデスクにたどり着く。 「やあ。アビゲイル。調子はどうだい」  僕はくわえ煙草のまま、そうアビゲイルに声をかけ、コートの内ポケットから今回の出張の成果であるメモリー端末を机の上に置く。天才が故に先日僕に人生を終わらせられる羽目になった哀れな科学者、ドクター・オーウェルの医療ナノマシンの研究データだ。  アビゲイルは無言のままメモリー端末を無駄のない所作で受け取り、傍にあるデスクトップに接続する。音もなくキーを叩くと、データが半透明のスクリーンに映し出され、確認作業が行われる。彼女の無口はデフォルトなので僕はしばしの沈黙を楽しみつつ、タバコを燻らす。 「はい。問題ありません。お疲れ様でした。ミスタ・ウェストン」  確認作業が完了し、アビゲイルが事務的な本日最初の言葉を発する。僕は安堵の気持ちと共に煙を吐き出す。 「そうだ、アビゲイル、最近いいバーを見つけたんだ。今夜飲みに行かないか」 「次の任務は三日後、テイラー・テクノロジーからの依頼です。出張先はA.D.2030のナイジェリアです。こちらに資料をまとめていますので眼を通しておいてください。」  清々しい程にデートの誘いを無視され、僕は彼女が差し出す次の任務の資料が記録されたメモリを受け取る。僕はアビゲイルの後ろにある長官室の扉に眼をやり、局長は元気かと尋ねる。すると彼女は、はいと素っ気ない返事をし、再び事務的な口調で仕事後の体調管理について説明を始める。 「先ずは規定通りに投薬とカウンセラーによる時間解離性障害防止のメンタルケアを受けて下さい。それと、今回の仕事でA.D.2021で過ごした日数は二日間なので、今、ミスタ・ウェストンは現時代と二日間のハーバート・ラグ(時流ボケ)があります。時流を現時代に同期し、フラットな状態に整えて下さい。喫煙には各種病気のリスクがありハーバート(時間遡行)にも悪影響を及ぼす可能性があるので禁煙を推奨します。それと、このフロアは禁煙です」  そう言ってアビゲイルはデスクから灰皿を出し、僕に向けて突き出した。このやり取りも今や恒例化して、自分は勿論、アビゲイルも慣れ親しんでいる雰囲気がある。 「でもなアビゲイル。タバコには高ぶった神経を落ち着ける作用があるんだ。それに、このフロアは喫煙禁止のアラートが鳴らない。ということはこのフロアは禁煙可能ということにならないか」 「なりません。常識的に考えて下さい。普通、局長室のあるフロアで喫煙をしようという輩などいません」  そう言ってアビゲイルは灰皿を持った手はそのまま、キッと僕を睨みつける。常識ねぇ、とため息をつきながら、僕は咥えていたタバコを消す。因みに僕たちのこのやり取りは任務の度に行われる恒例行事と化している。毎回言うことを訊かない僕に対して、毎回同じ対応をしてくるアビゲイルはもしかしたらこのやり取りを密かに楽しんでいるのではないかと最近思い始めている。彼女自身喫煙者ではないのにも関わらず、灰皿を用意しているあたりがその証拠だろう。 「時代ごとの各種感染症予防の投薬も忘れないで下さい。私からは以上です」  灰皿を無駄のない所作でデスクにしまうとアビゲイルはそう告げる。 「イエス・マム」  僕はそう答えてアビゲイルのデスクを後にし、エレベーターへと向かう。帰りはうっとおしい認証もないので気が楽だ。 「ミスタ・ウェストン」  急な呼びかけ振り返ると、アビゲイルは僕の方を見ずにこう続ける。 「三日後の任務が終了すれば、貴方は一週間の休暇に入ります。その際に先程のバー、お付き合い致します」  最早忘れかけていたデートの誘いに対する絶妙なタイミングの回答に、僕は面食らった。動揺を悟られないように再びタバコに灯を点ける。そして慣れないが、喜びを前面に出した笑顔を作り、こう答えた。 「イエス・マム」
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