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chapter 2_1
2034年に時間跳躍技術、所謂タイムマシンが開発され、その技術は創始者の名に因み『ハーバート』と名付けられる。
長年空想の産物だった時間旅行が可能になるかもしれないというそのニュースに、世界はその技術に大いに注目した。実用化も間近と言われていたが、人体実験の段階で重大な問題が見つかった。開発されたタイムマシンというのはタイマーで目的の時代での滞在時間を設定。肉体をスキャンし、目的の時代の原子で出力し、ーーつまり出力された自分は紛う方なき自分だが、その構成原子は完全に同一ではないーーその肉体に意識を転送する技術をいう。
設定した滞在時間を過ぎると肉体を構成している原子が分解され、意識が強制的に現代に引き戻される。それは散歩をしていようが、食事をしていようが、女と寝ていようが、それこそ殺人の最中だろうが例外は無い。目一杯伸ばしきったゴムが元の形に戻るように唐突に意識が現代に引き戻されるため、被験者には重度の時間解離性障害の症状が現れたのだ。
一瞬で変化する現実に脳の認識能力が追いつけない事が原因らしい。時代が、科学が、いくら進歩しても人間そのものが進化しない限り、人間はどうしても人間でしかありえない。人間ごときが神が創造した聖域を侵してはいけないという警告だ。
時間こそ神がお創りになった世界を世界たらしめる概念なのだ。それを蚕食する人間には必ず大きな罰が下される。と訴える宗教家もいた。
そういった経緯や世界中の宗教団体の激しい抗議がありハーバートは実用には至らなかった。
だが、僕の所属する諜報機関、RHカンパニーがハーバートの技術を買収し、表向きには世界で起こった犯罪、テロを、過去に遡及し、それらの原因となった対象を暗殺するという名目で合衆国に認可を受けた。
つまり、現在ハーバートは、ここロサンゼルスのRHカンパニー、情報局時間情報部内で密かに稼働している。世界は遂にタイムマシンを手に入れたというわけだ。この技術は有効に活用され、ここ十五年の間、僕の生きる現代では大量殺人、テロは起きていない。
しかし「表向き」という呼称が示す通り、革新的技術は正義、平和の為だけには使われない。それは歴史がしっかりと証明してくれている。合衆国にとって不利益な技術や情報は歴史から消去するか技術のみを取り入れてきた。その結果出来上がったのが今の合衆国である。おかげで現在、世界中で使用されている革新的技術はそのほとんどが合衆国発だ。当然といえば当然だ。過去でどんな悪事を働き歴史を改変したところで世界では今こそが正しい歴史なのだから、どれほど過去が改変されたところでその事実を認識する事自体が不可能なのである。たとえ隣の家から高級品を盗んだとしても誰も知らなければ罰せられることはない。
「お前がそういった汚れ仕事をやっているからこそ我々合衆国民は安全な生活を送れ、ベッドで安心して眠れるわけだ。事後対処しかできない警察なんかよりよっぽど役に立っているじゃないか。もっと自分の仕事を誇りに思え」
「僕の仕事も基本的には、事後対処の部類に入ると思いますが」
そう喉元まで出かかったが、女性精神科医のミア・マーシャル博士は自分の言葉の矛盾に気づかずバーボンのグラスを傾けながらけらけら笑う。
壁一面に整然と酒瓶が並ぶその様は、太陽光がよく入る白が基調のカウンセリングルームの中で異彩を放っている。
「どうした。バーボンは苦手だったか。I・Wハーパーの四十年ものだぞ」
博士は目の前の丸テーブルにグラスを置き、その対面のソファに腰掛ける僕に向けて声をかけながらボトルの注ぎ口を突き出してくる。
「博士。いつも思うんですがカウンセリングに酒は必要ですか」
「無論必要だ。お前達『セパレーター』は平均寿命が極端にが短いからな。少しでも人生を楽しいものにしてやろうという私からの計らいだ。酒は人生の潤滑油だぞ。なぁ? デール・ウェストン」
癖のある人懐っこい笑い方をする博士に反論する気力を失った僕は、新たに注がれたバーボンをぐっと喉に流し込む。消化管が熱を帯びてゆき、内臓の輪郭を感じる。
『セパレーター』とは僕の仕事の呼称だ。主な任務は過去へ遡及しその時代での諜報活動。その活動はもっぱら歴史的犯罪者と合衆国に不利益な技術と開発者の命を根こそぎ奪うことだ。依頼人は合衆国の大手企業。その依頼内容には女、子供の暗殺など人道に反しているものも数多くある。実際、その精神的負荷は相当なもので、過去三人いた前任者達も全て死亡しているという事実がセパレーターの平均寿命が極端に短いと言われる理由だ。
「博士、前任者達ってどんな人たちだったんですか?」
カランとグラスの氷が落ち、その音が部屋に溶けていく。暫くして博士が口を開く。
「お前が他人に興味を持つなんて珍しいな。どういった心境の変化かな?」
「僕もいつ死ぬかわかりませんからね。前任者たちがどのように死んでいったか後輩としては知っておきたいと思ったので。それに、セパレーター専任のカウンセラーである博士ならこの仕事のことはきっと僕よりも詳しいはずですし」
ふむ。とグラスを傾けながら博士はまだ半分以上残っていたバーボンを一気に飲み干すと、過去を懐かしむかのように語り出す。
「そうだな、守秘義務があるから多くは話せないが、良いやつらだったよ。性格はみんなバラバラだったから、毎回退屈しなかったしな」
「彼らともカウンセリング中に酒を飲んでたんですか」
僕の皮肉交じりの質問に博士は「もちろんだ」と返し、得意げな表情で続ける。
「精神科医は相手の本心を聞き出してこそ適切な治療ができる。本音を聞くにはどんな薬より酒が効果的だ。それに本音で語れば良い友人関係も築きやすい。私がお前たち患者をファーストネームで呼ぶのもその方が治療に効果的だからだ。酒が一番。アルコール万歳」
高らかにそう宣言する博士に僕は心の中で「不良精神科医」と毒づくが、不意に博士の顔が曇ったのを見逃さなかった。
「だから、死亡通知書が届けられた時のあの感覚はいつまで経っても慣れないよ」
そう話す博士の表情からは昔の患者や友人について語るというより、自分の子供について語るような、そんな感情が見て取れた気がした。
「それはそうと、デール」そう言いながら博士はソファから腰を上げ窓の方に歩を進め、僕に背を向けたまま話し始める。
「お前、まだ仕事中にターゲットと話す癖が抜けてないようだな」
「何か問題がありますか。確実に殺すターゲットと話をしてもT・P規定に違反はしていないと思いますが?」
僕らセパレーターは、時間遡及するという仕事の特性上多くの規定がある。その中の一つにタイムパラドクスに関する規定がある。無闇な過去改変を避けるために遡及先の時代では極力その時代の人間との接触を避けなければいけないという規定だ。これに違反するとセパレーターとしての資格を剥奪され、故意に歴史に改変を加えようとしたと見做され逮捕、投獄されてしまう。
「確かにT・P規定には違反していない。だが、お前のその行為はあまり感心できないな」
「どういう意味ですか」
博士の言ってる意味がわからず、僕は訊き返す。
「会話で人体には数多くの影響が出る。特に脳は脳内物質が分泌され、カタルシス効果を始め様々な感情が脳内を駆け巡る。一例として、ストレスが減る。考えが整理される。自己理解が増す。それとーー」
博士はなおも背を向けながら窓の外を見ながら話し続ける。僕は博士から視線を外し、耳だけで博士の声を拾う。
「何かを思い出そうとしている、とか」
不意に耳元で博士の声が囁く。反射的に僕は声の方向へと顔を向ける。
だが、博士は先刻の位置から微動だにせず、窓の外の常緑樹を見ながら話を続けていた。まだ耳には生々しく今の声が残っている。不快さをかき消そうと僕は耳を手の腹で力任せに拭った。
僕の視線に気づいた博士はこちらへ向き直り、「どうした、大丈夫か」と声をかけてくる。
「いや、なんでもないです。大丈夫です」
僕は何故か、慌てて取り繕うように平静を装おうと努めた。
「なんでもなくないだろう」という博士は僕の下腹部付近に眼を落とす。
博士の視線に追随して自分の下腹部付近に眼をやると、バーボンが僕の色褪せたジーンズの大腿部に大きなシミをつくっていた。どうやら、振り向いた時の勢いで派手にこぼしてしまったようだ。グラスにはもう殆ど中身は残っていなかった。湿り気に不快感を催す。
博士は短くため息をつくと、僕にタオルを手渡し、中身が溢れでてしまったグラスをバーボンで満たしていく。
「それにだ、もし、会話の最中に隙を突かれて反撃されたら、どうするつもりだ」
「相手がなにをしようと殺します」
僕は即答する。博士の眼を真っ直ぐに見つめたまま。博士の大きな虹彩に映る僕の顔はなんの感情も映していなかった。カウンセリングルームにしばしの沈黙が流れる。
「そうか」
自分のグラスに口を付けつつ博士は短く答える。
「だが、結論から言うと、お前のその行為はお前自身に危険を及ぼす可能性があるということだ。危険因子は少ないに越したことはない」
「その意見は医者としてですか」
僕は先ほど感じた違和感の正体を突き止めようと、そう博士に問いかける。
「半分はな」
「半分?」
「デール。お前、セパレーターの仕事を初めからどれくらい経つ」
「なんですかいきなり。そろそろ五年になりますけど‥」
「どんな仕事も慣れてくると、ついミスが出る。私の言葉は、できるだけお前が危険な目にあって欲しく無いという親心だ」
博士は少し悲しそうな笑顔で僕にそう告げる。
「親心‥‥」
その言葉に胃がむかつきだす。感情がざわつく。
嫌なことを思い出した。無理矢理バーボンを流し込み、脳に、酔え、酔えと、指令を送る。
酔いで、ざわつく感情を紛らわそうとするように。何も思い出さないように。
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