chapter 2_3

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chapter 2_3

ーーfrom A.D.2030_Nigeria-Lagos  僕は、ナイジェリアの南西端の都市、ラゴスにいた。かつての大都市は見る影もなく、建物は無残な瓦礫と化し、銃声や爆弾の爆発音がこの都市をこの都市足らしめる構成要素となっている。  この国は一年前から内戦状態にある。近年、その勢力と規模を急激に拡大していた反政府組織〝アーガ〟が国として独立を宣言し、クーデターを起こし、ラゴスを襲撃。大規模な虐殺と破壊行為を繰り返し、ナイジェリア政府軍と激突。その背景から〝二十一世紀のビアフラ戦争〟と呼ばれていた。  僕らの時代では、アーガの創設者であり、内戦の首謀者、ジェリコ・ベルキンが、首都アブジャへの襲撃作戦の計画中、政府軍の特殊部隊隊員、ドゥク・グリディックに暗殺され、創設者暗殺の混乱を機に、政府軍が一気にアーガを制圧。泥沼化が予想された内戦が僅か二年余りで終結した。  今回の仕事の依頼人は合衆国の大手軍需企業〝T・T〟(テイラー・テクノロジー)依頼内容はジェリコ・ベルキンの暗殺阻止。即ち、ドゥク・グリディック(暗殺者)の暗殺。ということになる。アーガにも、政府軍にも武器を密売していたT・Tは、ジェリコ暗殺により、早期終戦してしまった内戦を長引かせ、両者に大量の武器を売りさばき、懐を大いに潤したいという事らしい。仮にジェリコの暗殺を阻止したところで内戦が長引くとは限らないのだが、彼らにとっては、ラスベガスのカジノよりもベットする価値のあるギャンブルということらしい。  暗殺決行日の三日前に現地入りした僕は、T・Tに敵対する某国の軍需企業エージェントに扮して「新型兵器のプレゼンテーションを行いたい」と、ラゴスで政府軍にコンタクトをとった。政府軍の担当官によると、一刻も早く内戦を終わらせたいという切迫さが伝わってきた。それもそのはずで、ナイジェリア政府は現在、隣国からの支援を受けられずにいるからだ。  医療技術の発達により世界の人口は毎年、爆発的に増え続けている。人口の増加に反比例するかのように、物資は年々不足し、世界は慢性的な飢餓状態に苦しんでいた。それはどこの国でも同じで、内戦などに加担して自国の貴重な物資を減らすわけにはいかない。「自国で起きたことは自国でなんとかしろ」ということらしい。世界は疲弊しきっている。科学技術がいくら発達し、自由が増えても、それを使いこなせなければ逆にそれが、重く、大きな枷になるということか。  そんな背景もあり、この状況での他国からの支援申し入れは願っても無い申し入れだった様子で、僕は詳細な身分の確認も取られず、早々にドゥクの所属する政府軍特殊部隊内部に潜り込めた。 「この度はこんな危険な地までご足労いただきありがとうございます。大した御持て成しもできず、申し訳ありません。ええと、ミスタ・トーマス・ローグ」 特殊部隊のボス、シグ・ロイヤル大佐が某国の軍需企業の身分が記録された僕の電子名刺を片手にそう声をかける。 「いいえ、急な訪問にも関わらず、こうしてお話の場を設けていただけて感謝いたします。大佐」  ミスタ・トーマス・ローグこと僕は、厳重なボディチェックを受けた後、会議室に通される。  ラゴスの政府施設に赴いた僕は、我ながらセンスの良いスーツと伊達眼鏡に身を包み、満面のスマイルを顔面に貼り付けながら、スマートなビジネスマンを演じる。  会議室には五人。僕と先日接触した政府軍の情報官、大佐を含めた特殊部隊員三名、その内の一人が今回の暗殺対象、ドゥク・グリディックだ。なるほど、いかにも軍人らしい実直そうな面持ちをしている。 「早速で申し訳ないですが、本題に入りましょう。我々に新型兵器のプレゼンテーション行いたいそうですが」  大佐は、立体ホログラムタイプの電子名刺を丁寧に傍らに置き、顔の前で手を組み、僕に尋ねかける。その眼光から発せられるのは、百戦錬磨の軍人に相応しい鋭く重い殺気だった。並みの精神の持ち主なら途端に気絶するような、そんな重さのある殺気だった。 「お願いします。ミスタ・ローグ、是非強力な武器を。あの醜く下劣な豚どもを一匹残らずブチ殺せる武器を!」  拳を力任せにテーブルに叩きつけ、担当官は堰を切ったかの様に、鼻息荒くそう叫び散らす。同僚か、友人か、家族か、余程酷い殺され方をしたのだろう。彼の眼は憤怒で真っ赤に血走っていた。ドゥクを含めた隊員二人も言葉こそ発しなかったが、瞳の奥には燃えるような憤怒の感情が見て取れた。  不意に彼らの状況を自分にトレースしてみる。僕は、ここまで本気で怒ることができるのか。つい昨年まで隣を歩いていたであろう、バーで語り合ったであろう、映画館で感動を共有しあったであろう同胞を。豚と呼び、恥も外聞も無く穢い言葉を吐き散らしながら、ブチ殺したいと叫び散らすのだろうか。大事な存在が無残に殺されたら、そう思えるのだろうか。想像だけでは何も感じることはできなかった。  ふと僕は随分と永い間、自分の中の怒りという感情に触れてないことに気付く。いや、怒りだけではない。悲しみ、興奮、幸福、様々な感情が自分の中に存在しない事に気付く。何かが頭の中でチカチカしている。  何かが頭の中を這い回っている様で気持ち悪い。 「いや、お見苦しいところを見せてしまい申し訳ない……」  冷静さを取り戻した担当官の声で、僕は現実に引き戻される。危なかった。トレースし過ぎて自分の感情に変調をきたすところだった。余計な感情移入をしてしまった。 「どうかしましたか? ミスタ・ローグ」  僕の態度に疑問を感じたのか、隊員が訝しむような表情で語りかけてくる。 「いいえ、なんでもありません。失礼いたしました。では仕事の話をしましょうか」  僕はそう宣言し、この時代で調達したジュラルミンケースをテーブルに置き、プレゼンテーションの準備を始める。すると不意に大佐が口を開いた。 「ミスタ・ローグ。あなた、以前私とお会いしてませんか?」 「いや、初対面だと思いますよ」  大佐からの問いかけに僕は、違和感を感じながらも笑顔を崩さずに応じる。担当官の痴態を誤魔化そうとし、ふざけているのかと思い、大佐の顔に視線を移すが、獅子のような立派な顎髭を蓄えた屈強な軍人である彼はとてもそんな場を取り繕うような行為をする人物には見えない。  僕は今回の仕事をするにあたって、政府軍関係者、果ては反政府組織の末端兵士の顔にまで眼を通している。特に接触が想定されていたターゲットを含め、政府軍上層部の人間は、身長、体重、利き手、出身地、趣味嗜好、家族構成、贔屓の球団までも頭の中に入っている。つまり、僕は、シグ大佐のことを恐らく彼の妻以上に知っている。勿論、こうして面と向かって話をするのは初めてだが。  そんな僕とは対照的に大佐は、十五年も未来から来た僕の顔など知っている訳がない。もしかすると、僕の正体と目的に気付いているのか。ボロを出す行動は一切してないと思うが、しかし、気付いていたとして、何故、会議室に入った時点で撃ち殺さない。捕えて拷問にでもかけるつもりなのか。  だが、だとしたら、先刻発した殺気はこちらに警戒を促させる余計な行為だった筈だ。今でも大佐含め、隊員達のホルスターのフラップは外されていない。僕が攻撃を仕掛けることを想定しての行動なら随分舐められたものだ。  仮に目的がバレているとして、その手段も判明しない内に下手に動くのは危険だと判断し、僕はプラン通りに仕事を進行する事にした。 「お待たせしました。では、こちらを御覧いただけますか」  僕はテーブルの上を滑らすように彼らの方へとジュラルミンケースを差し出した。会議室にいる全員の視点がケースに注がれる。 「ミスタ・ローグ、これは?」  担当官は訝しげにケースの中のものを指差す。それもそのはず、ケースの中に丁寧に納められていたのは小さな石だった。 「これが、新型兵器ですか?私にはただの小石にしか見えませんが」  隊員の一人が小石を眺めながらそう言う。その声色には明らかに落胆の色が出ていた。 「これは、我々への侮辱だと認識すべきですかな? ミスタ・ローグ」  額に静脈を浮かせながらシグ大佐が訪ねる。その顔は紅潮し、今にも爆発しそうだった。恐らく大佐以外の全員も同じ気持ちだっただろう。 「いえいえ。そう早計に判断するものではありませんよ。皆様、モスキート音というものをご存知ですか」 「17キロヘルツ前後の高周波音の事ですな」  担当官が得意気にそう答える。この男、確か学生時代は電気工学を専攻していたとデータに記録されていた。黙っていると周波数とはなんたるか長い蘊蓄を喋り出しそうな雰囲気だったので、僕は彼の口が閉じきる前に、次の言葉を並べる。 「そうです。こちらは、そのモスキート音の原理を応用した小型音波兵器です。高周波により敵の肉体に深刻な影響を与えます、小石に擬態させているので発見される危険も少ないです」  兵器の説明に室内は、先刻までの落胆が嘘の様な活気に包まれ、銘々に小型音波兵器を眺めては驚嘆のため息をついた。現金な奴らだと僕は口の中で毒づく。 「肉体に深刻な影響を与えると言いますが、どの様な効果が現れるのですか」  声を弾ませシグ大佐が訪ねてくる。先ほどの鋭い殺気はすっかりと消えていた。 「三半規管に影響を与え、酷い目眩や吐き気などの症状が現れます。効果があらわれるまでの時間はおよそ十分。そろそろですね」  そう言いながら腕時計を見る僕に違和感を感じたのか一瞬彼らがアイコンタクトを取っているのが見えた。直ぐに言葉の意味に気づいたのか全員の眼がかっと見開く。 「貴様ッ!」  全員が一斉に立ち上がり、腰のホルスターに手をかけフラップを外す。一糸乱れぬ統率が取れたその動きに僕は感心するが、彼らの手が銃のグリップに触れることは無かった。  次の瞬間、彼らの身体がグニャりと傾く。ある者は重力に任せ、元いた椅子に沈み込み、ある者は机に突っ伏し、ある者は床に仰向けに倒れ、ある者はその場にしゃがみ込み嘔吐をしていた。全員、眼の焦点はあっていない様子で、大の男の悶え苦しむ声が静かな部屋にこだまする。  僕は小型音波兵器をケースからつまみ上げ、ONにしてあったスイッチをOFFへと切り替え、スーツの内ポケットにしまう。そして予め耳の中に押し込んであった音波遮断装置を外した。 「新型兵器の効果の程は如何でしょうか。気付かなかったのも無理ありません、今回出力していた周波数は、20キロヘルツ。13~17歳位の子供にしか聴き取れない周波数なのですから。因みに効果の持続時間は、三時間程度になります」  僕はそう言いながらテーブルに登り、机の上で突っ伏しながら苦しそうに喘いでいるシグ大佐の腰から銃を抜き取る。型の古いベレッタだったが、丁寧に整備されているのだろう、まだ十分現役で使用できる状態だった。そこは名前に因んでシグ・ザウエルを使っていてほしかった。  勝手にがっかりした僕は、銃口を向け彼らに向けて順番に引き金を引いた。 一発二発三発四発五発六発七発八発九発十発十一発十二発十三発十四発十五発。  薬莢が床に跳ね、硝煙の匂いが部屋中に立ち込める。僕は弾倉が空になりホールドオープンしたベレッタを床に放る。  会議室にいた四人の内、三人は殺していない。身体の自由奪うために手足に銃弾を打ち込んだだけだ。無駄な殺しはしないと決めている。ターゲットはドゥク・グリディック一人だけ、そんな彼は、実直そうな軍人らしい表情は消え失せ、額に風穴を空け、口の周りを吐瀉物で汚した物言わぬ肉塊と成り果てていた。僕は仕事の成功証明として右目の義眼に搭載されたカメラでドゥクの死体を撮影した。   「気持ち悪い」僕は無意識に呟いていた。 「そうだ、一つ言い忘れていました。実は私、軍需企業のエージェントではありません。反政府軍のスパイです。指導者ジェリコ・ベルキンの命令で今回こちらを襲撃いたしました」  僕は嘘をつく。政府軍と反政府軍、お互いに憎しみ合わせ殺し合うように。確実に内戦が激化するように。  その引き金は、少量の弾丸と、言葉だけだ。それだけで、何十万、何百万という数の人間が死ぬ。 『少々の労働で多大な利益を』  時代が移り行こうと、いつだって現代の理想形の仕事の在り方だ。  僕の話が通じたかどうかは一眼でわかった。四肢の自由を奪われて、音波兵器に三半規管をぐちゃぐちゃにされても尚、彼らは同胞を殺された怒りと憎しみで燃え上がっていた。彼らの瞳は僕を見ていない。その瞳が見ているのは、その怒りの矛先は、僕の向こう側にある、と思い込んでいる反政府軍だった。 「そうか、思い出した」  シグ大佐が、僕に向けてそう言い放つ。屈強な軍人と呼ぶにはあまりに情けない体勢ではあったが、その眼にはまだ、最後の矜持が色濃く浮かんでいた。 「貴様、貴様は……」  大佐のその言葉を聞いた瞬間、不意に全身の細胞が泡立つのを感じた。 「これ以上訊いてはいけない、知ってしまえば、もう戻れない」  僕の身体を構成する全ての細胞が、そう危険信号を最大出力で告げている。僕は大佐の口を塞ごうと、咄嗟に胸のホルスターへと手を伸ばし、拳銃を引き抜き、トリガーを引いた。だが、その手に拳銃は握られていなかった。ボディチェックを警戒し、武器を持ち込まなかったということをすっかり失念していた。僕は、ぴんと腕を伸ばし、指を突き出した体勢で固まっていた。それはつまり、大佐の口から出る言葉を阻止できなかったことを意味していた。 「アッシュ・フィリップス。貴様が何故こんなところに」  初めて訊く筈の名前に、頭が鐘を打ち鳴らした様に痛み出した。あまりの痛みに僕は、壁にもたれかかった。  頭の隅で燻っていた違和感が一気に燃え広がっていく。誰かが耳元で囁く。その声は酷く卑しく、不快だった。 「君は、ブルーノ、ブルーノ・オリオラスか?」 「あれ、あんた、クリス・アビオットじゃなかったか」 「アッシュ・フィリップス。貴様が何故こんなところに」  誰だお前たちは。  あまりの頭痛に視界が大きく歪む。シグ大佐は吐瀉物を吐きながら気絶していた。  蕩けた頭の片隅で、大佐は体勢が横向きだから窒息することは無いだろう。と、そんな余計なことを考えて、痛みに抗おうとするが、全ては無駄な抵抗だった。 ブルーノ・オリオラス。 クリス・アビオット。 アッシュ・フィリップス。  彼らの名前を必死に思い出そうと、脳から情報のサルベージを試みるが、脳内をどう検索しても何も思い当たらない  ふと、ある仮説が思い浮かぶ。  一度頭を支配したその仮説に、僕の頭は抵抗することもなくまんまと征服された。  その仮説に導かれるように、僕は、逃げるようにこの時代を去った。
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