chapter 3_1

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chapter 3_1

 ーーfrom A.D.2045_U.S.A-Los Angeles  情報局に戻った僕は、任務報告をせず、真っ先に局内の情報保管室に向かう。そこには過去にRHカンパニーに所属していた全エージェントのデータが保管されている。  扉の前に設置されている指紋と網膜認証をクリアし、僕は室内に脚を足み入れる。頭痛は治まるどころか、更に痛みを増していた。  ウサギ小屋のような狭い室内にぽつんと置かれているスクリーンデスクトップ前の椅子に腰掛けた僕は、ブルーノ・オリオラス、クリス・アビオット、アッシュ・フィリップスの名を検索にかける。  しばし、読込中の表示の後、画面に現れたのは歴代セパレーターの名前だった。仮説通り、彼らはRHカンパニーに関係していた。しかし、なぜか全員、不自然なほど、顔写真の登録がなかった。  アッシュ・フィリップスーーA.D.2030・死亡  ブルーノ・オリオラスーーA.D.2035・死亡  クリス・アビオットーーA.D.2040・死亡  前任者たちのデータを詳細に調べていくと彼ら前任者たちはある実験に名を連ねていた。『記憶移植手術実験』(メモリー・ポーティング・プロジェクト)、その名の通り、記憶を他者に移植する実験だ。実験レポート見てみると、この実験はまだ不完全で、移植した被験者に元の記憶の持ち主の人格まで反映されてしまい、解離性同一障害のような症状が突発的に現れてしまうと記載されている。このプロジェクトは倫理的な部分が問題視され、五年前の実験を最後に、凍結されている。  これを見た瞬間、全身の血が逆流する感覚を覚えた。もし、このプロジェクトがまだ秘密裏に続いているとしたら、産まれも、生きている時代すら違う人間たちが僕の顔を見て前任者たちの名前を呼ぶ理由は、もしかして。  プロジェクトを指揮している研究者の名前を見て、疑惑は確信に変わる。そこにはセパレーター専任精神科医、ミア・マーシャルの名前があった。煮崩れるように痛む頭が、更にずきりと痛んだ。  どのように辿り着いたか覚えていない。気が付くと僕は博士のオフィスの前に立っていた。その手には拳銃が握られていた。  カウンセリングルームに入った僕に対して、博士はソファに腰かけ、いつもの調子で言葉をかけてきた。 「どうしたデール。今日は診療の日ではなかったはずだが?」  そう言う博士に僕は無言で拳銃を向けた。 「穏やかじゃないな。何かあったのか」 「僕の頭に何をした?」 「なんの話だ」 「とぼけるな。僕の頭に前任者たちの記憶を移植したな。ここ最近、僕のことを、前任者たちの名前で呼ぶ人間たちに会った。僕で『記憶移植手術実験』の続きをしているのか」  僕はそう叫び、拳銃のグリップを強く握り、ハンマーを起こす。 「そんな人間たちに会ったのか」  博士は少し悲しそうな顔をして、ぼくにそう告げ、次いで言葉を紡ぐ。 「あのプロジェクトの記録を読んだのであれば、実験内容は理解しているな。結論から言おうデール。お前に前任者たちの記憶は移植していない。いや、正確に言えば、移植できなかった。あのプロジェクトは失敗だ」 「失敗?なら、産まれも生きている時代すら違う人間たちが僕の顔を見て前任者たちの名前を呼ぶ理由はどう説明する。答えろ!」 「それは……」  博士は口を噤む。その拳は強く握られていた。その表情は、なぜか自分の不甲斐なさを恥じているような、そのような色が見て取れた。オフィスに重い沈黙が落ちる。 「全て話してあげたらどうですか。博士」  訊き覚えのある声が沈黙を破った。咄嗟に振り向くと、そこには見慣れた顔が二つ。  一つは局長専属秘書、アビゲイル・シュア。  もう一つは、情報局局長だった。 「局長、アビゲイル、どうしてここに」  突然の状況についていけず、僕はやっとのことで、そう言葉を口にした。 「どうして? おかしなことを訊きますねウェストン君。君が任務報告をせずにこんなところに来ているから、わざわざこうやって赴いたんじゃないか」  局長は、蛇のような眼で僕をとらえる。舐めまわすようなその視線に寒気が走る。ずっとこの眼が苦手だった。 「時にウェストン君、頭痛の具合は如何かな?」 「どうして僕が博士のオフィスにいることがわかったんですか。尾行でもつけていたんですか」  理解できない状況に不快感を隠そうともせず、僕は威圧的に二人を睨み付けた。 「そんな瑣末なことはどうでもいい。それより質問に答えたまえ。頭痛の具合は?」 「僕の状態を見て分かりませんか? おかげさまで最悪ですよ」 「そうか、そうか。それは何より」  局長の眼が金縁眼鏡の奥で妖しく湾曲する。心底喜んでいるような、安心したような、そんな表情だった。 「そういえばお話の途中でしたね。どうぞ続きをお話下さい。それとも私がお話して差し上げましょうか」 「やめろ」  わざとらしい紳士的な素振りでそう促す局長を、ミア博士は殺気を込めた眼で睨みつける。局長はその視線を心地よく感じたのか、嬉々として口を開いた。 「ウィンストン君、『記憶移植手術実験』の本当の目的はですね……」 「やめろ!」  ソファーから立ち上がろうとする博士を、アビゲイルのデリンジャーが無音で静止する。数秒睨み合った後、観念したのか、博士はソファーにその身を戻す。しかし、眼に宿した殺気はそのままだった。 「結構」局長は小さく咳払いをし、オーケストラの指揮者の様に襟を正す。 「『記憶移植手術実験』の本当の目的は、君を、いや……を助けるために発足されたプロジェクトなんだよ」  突然の告白に一瞬呼吸の仕方を忘れる。不意に拳銃を落としそうになった手に再び力を込め、蕩けた頭で冷静を保つ。喉がからからに渇いて息苦しい。 「君・・たち?」 「まるで理解できないという顔をしているな。まあ、当然か。君自身はそれを知覚出来ないのだからな」  局長は冷たい視線を僕に向ける。それはまるで、これから食肉工場に出荷される家畜を見るような、酷く冷たく、残酷な眼だった。 「デール君。君の脳は記憶を保持する脳細胞が、過去に負った障害のせいで若干変異していてね、記憶と自我が五年間しか保てない新種の健忘のような症状が現れているんだよ『記憶移植手術実験』はそんな君を見かねて、マーシャル博士が主体となって、進められてきたプロジェクトでね、五年間で自我もそれまでの全ての記憶が消滅してしまう君の記憶を、正常な脳に移植し、自我と記憶を正常に維持させようという試みだったんだ。しかし、先ほど博士から聞いたとおり、結果は失敗。プロジェクトは凍結されてしまった」  博士は俯きながら唇を噛んでいた。血が滲むほど、強く、唇を噛んでいた。頬には涙が伝い、その身体は小刻みに震えていた。 「望みは叶わなかった訳だ。悔しいでしょうね、マーシャル博士。一人救えないのだから。だが、それでもプロジェクトのおかげで記憶消滅のメカニズムが判明したのだからあなたは十分な働きをした」  プロジェクトの失敗を心から祝福するように局長は、高笑いをしながら博士の顔を覗き込んだ。博士は局長の顔を見ようとはせず、俯いたままだった。 「君の脳が面白いのはここからなんだ、デール君。五年経つと君の記憶は自我と共に、完全に消失してしまう。記憶と自我を呼び起こす様々なテストを行ったが、綺麗に全て消えてしまっていた。からっぽだ。普通の脳は、ここでおしまいだが、君の場合、消失するのは記憶と自我のみで、は脳内に残留されているのだよ。そのを持って君の脳はまたを作り出すんだ。つまり、以前のがしたことだったら、新しい君、はその記憶がなくてもという訳だ。考えられるかいデール君、君の肉体と脳は記憶と自我を失うたびに強く進化するのだよ。素晴らしい。君の脳内の『経験の蓄積』メカニズムが解明され、他の人間に応用できる技術が発明された暁には、人類は更なる進歩を遂げることになるだろう」 「五年で、それまでの記憶の一切が消滅し、経験だけを引き継いで新たな人格が生まれる。じゃあ、前任者たちは……」 大きく腕を広げ、天を仰ぐ局長の言葉を、僕は反芻する。自分の声が頭の中で反響する。まるで無人のコンサートホールにいると錯覚を起こすほど、何度も何度も、僕の声は僕の頭を揺らす。 「そう。アッシュ・フィリップス、ブルーノ・オリオラス、クリス・アビオット。全て君だ、デール・ウェストン。しかし、君も間もなく消えてしまう。その激しい頭痛は、記憶消滅の兆候だ」 局長のその言葉を聞いた途端、僕は彼に無意識に拳銃を突きつけていた。そのスピードに、さすがの局長も仰天した様子で、蛇の眼を見開き、僕の顔を覗き込んだ。 「ほう。素晴らしい反応速度だ。ナノマシンは上手く稼動しているようだな」 「ナノマシン?」 「そうだ。君の体内に注入している様々なナノマシン。その中の一つの『人工テロメア』これは老化を防止し、身体を一番ベストな状態に保つ。君はおそらく自分の年齢を二十代前半辺りと思っているようだが実際、君の年齢は四十歳を超えている。合衆国は、君をセパレーターとして保つために多大なる技術を資金を投資している。君の存在自体が合衆国の未来と言ってもいい」 「そうですか。でも、もうそんなこと、どうでもいい」 僕はトリガーに指をかける。拳銃がカチャリと軋む音がする。 「こらこら。自暴自棄になってはいけない。受け止めきれない現実に絶望する気持ちは分からなくもないが、「もう、自分は消えるのだから周りを道連れにしよう」なんて考えるべきじゃない。先ほどの言葉を言い換えれば、君の身体は、脳は、もはや合衆国の所有物だ。たかが意識の分際で勝手なことをするのはやめてくれないか」 「僕の生きているうちは、この身体は僕のものだ。あんたや合衆国にモルモットにされるくらいなら、ここで全部終わりにしてやる。合衆国の未来だって?僕はそんなもの、知らない!」  僕は叫びながら局長の眉間目掛けて拳銃のトリガーを引く。しかし、銃弾は発射されなかった。いや、正確に言えば、トリガーが引かれなかった。人差し指がトリガーに掛けられたまま、まるで凍りついたかのように動かない。いくら脳から動作要請の信号を送っても、僕の人差し指はぴくりとも動かなかった。 「ここまでのことを話しておいて、反逆を予想しないわけないだろう。君は私を殺せないよ。そのようにプログラムしたナノマシンをあらかじめ注入してある。何万回試そうと君は私に向けてトリガーを引くことは出来ない」  局長はため息をつく。そして拳銃のスライド部分に手を置き、ぬるりとした動作で僕の手から拳銃を抜き取った。 「勘違いしないでほしい。そんなものは知らない。だと? 君の承認など始めから求めてなどいない。デール君、君は自分が今立っている場所が、どれほどの血と犠牲の元に成り立っているかまったく理解していないようだね。私たちは人類の進化の為に、新しい技術というバトンを未来に繋げなくてはならない。人間の進化の探究心は、その脳にあらかじめインストールされているハードウェアであり、日々拡張されていっている。それを君一人に停止させる権利はない。君は今、進化の最先端にいる。君は選ばれたのだ。脈々と受け継がれてきた進化の螺旋に個人の意思など、介在してはならない」  拳銃をもてあそびながら局長は強い口調でそう言った。 「絶対に殺されないと理解していても、銃を向けられるのはあまりいい気分ではないな。これは、二度と私に銃を向けないようにに刻み込んでおく必要がありそうだ」  そう言うや否や、カウンセリングルーム内に発砲音が響く。白を基調とした壁に赤いペンキの様な血液が飛び散った。  撃たれたのは僕ではなかった。  ついさっきまでミア・マーシャル博士だったは、もはや吹き飛ばされた顔の半分から血と脳味噌をただ、だらしなく床に撒き散らす物言わぬ肉塊になり果てていた。その虚ろな瞳にはもう何も映ってはいなかった。 「せっかく優秀な博士だったのにな。また代わりを探さなくては。わかったかなデール君。私に銃を向けるとこういうことになる。しっかりその脳に経験させておくといい」  僕はマーシャル博士だったものを見ながら、何も言わずその場に立ち竦んでいた。  びたびたと血と脳漿が床に叩きつけられる音だけがずっと頭の中で反響していた。 「うーん。この血飛沫は雄鶏に見えるな。実に美しい雄鶏だ。そういえば前の君であるアッシュ君は芸術のセンスがなくてね。私の描いたペイントアートを見せても、ただの汚れにしか見えないと言っていた。そういう芸術のセンスのなさも君の脳内には経験として残っているのかな?」  壁に飛び散った血飛沫を見ながらけらけらと笑う局長は、手にしていた拳銃を床に放る。ごとんと鈍い音が響いた。  僕は叫んだ。だけど僕の喉から声があふれ出ることはなかった。それどころか、僕の身体は僕の意思に反して床に沈むように仰向けに倒れこんでいる。二の腕に、針状のものが刺さっているのが見えた。 「暴れられても、逃亡されても厄介なので、身体の神経伝達機能を一部カットさせていただきました。安心してください、命に別状はありません」  訊きなれた事務的な口調でアビゲイルがそう告げた。  さて、と言いながら局長は倒れているぼくの顔をしゃがみながら覗き込んできた。僕の顔が局長の蛇の眼に映り込む。僕の頭は痛みの臨界点を超えたのか、もう何も感じなくなっていた。 「その様子だとそろそろのようだ。最後に次の処遇を話しておくとしよう。君にはセパレーターを続けてもらう。君ほどセパレーターに向いてる人間もそうはいないからな。人間の思想とは厄介なものでね、どんなにリベラルな思想を持っていても、数年同じ仕事を続けていると、その思想は右や左に傾いてしまう。大きな事故もなかったことにできる、割れてしまったティーカップも元に戻る、そんな時間遡及技術に関わっていれば、その傾きも顕著だと言うことは容易に想像できる。そういう風に人間はできているのだから、あれこれ言っても仕方ないのだがね。その点、君は違う。五年で記憶と自我が消滅してしまう君では、特定の思想に傾く心配がない。傾く前にその自我は消滅してしまうのだからね。歴史に手を加える者の、神の領域へ足を踏み入れる者の思想はいつだってフラットでなければならない」  局長の瞳に映る僕の瞳は虚ろだった。どんどんが消滅していくのがわかる。暗く底がない水に浸かっていくような感覚が徐々に全身を覆っていく。僕は眼の前の死に心底恐怖していた。泣き叫びたい、逃げ出したい、死に全力で抵抗したい。そんな思いとは裏腹に、僕の身体は全く動かない。まるで首から下がすべてなくなってしまったかの様だった。  僕は思い出す。今まで僕が命を奪ってきた人間たちの最期の行動を。そこで唐突に理解した。彼らは神に助けを求めていたわけではなった。死が現実になる瞬間、人間は神に祈ることできないのだ。人智を越えた大きな流れの前で人間は、祈り以外の感情がなんの役にも立たないことを思い知らされるのだ。 「そうだ、忘れるところだった」  と、立ち上がっていた局長は、再び僕の瞳を覗き込む。 「何も持たず産まれてくる次の君の為に、名前を送ろう。アッシュ、ブルーノ、クリス、そして、デール、すべて私の送った名だ」 「名前……」  そう口にするが、僕の耳は僕の声を掬い取ることはできず、その音は、音と認識される前に消えてなくなった。 「新しい君の名は、エドワード・フェンダー。また五年間よろしく頼む。最期に君の本当の名前を教えてあげよう。君の名前は……」  もう、僕の耳には、なんの音も届かなかった。  いやらしいにやけ顔のまま、局長は部屋を後にする。追ってアビゲイルも部屋から退出しようとするが、立ち止まってこちらを一瞥した。 「バー、ご一緒できなくて残念でした。さようならミスタ・ウェストン」  僕は薄れゆく意識の中で一つだけ神に祈った。 「願わくば、以降の僕たちがこの、我の螺旋を知らずにその生を終えれるように」と。  意識が消失した後もは心からそう願い続けた。
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